最期まで自分を貫いた女装愛好家・キャンディさん、死去の直前で取材Dが目の当たりにした“執念”と“清々しさ”
2025年5月2日(金)20時0分 マイナビニュース
●亡くなる3日前の集中治療室まで密着
女装愛好家のキャンディ・H・ミルキィさんが3月27日、間質性肺炎のため、72歳で亡くなった。女装趣味によって家族は崩壊したが、世間の偏見や差別にめげることなく、最後の最後まで自分がやりたいことを貫く人生を走りきった。
そんなキャンディさんが亡くなる直前までを追った動画、ザ・ノンフィクションStream「キャンデイさんのその後 最期の日々」が、『フジテレビドキュメンタリー』公式YouTubeチャンネルで2日に公開され、3日(14:00〜 ※関東ローカル)には同局の特番『フジドキュの世界 自分らしく生きる人SP』で放送される。亡くなる3日前の集中治療室の姿まで映し出す貴重な映像だ。
取材したのは、同局のドキュメンタリー番組『ザ・ノンフィクション』(毎週日曜14:00〜 ※関東ローカル)の「女装と家族と終活と 〜キャンディさんの人生〜」(21年8月1日放送)でキャンディさんに密着し、ともにYouTubeチャンネルも作ってきた込山正徳ディレクター。30年以上の交流がある中で、今回のドキュメンタリー制作を通し、改めてキャンディさんにどんな思いを抱いたのか——。
○息苦しい中でも女性のカツラをかぶり…
今回の映像が始まるのは、キャンディさんが亡くなる4カ月前の姿から。医療用の酸素ボンベが欠かせず、日増しに呼吸が苦しくなることを吐露しているが、しゃべりだしたら止まらないマシンガントークは健在だ。
込山Dは「全然元気なんじゃないかと思ってしまうのですが、呼吸が苦しいから逆に大きな声を出さないと大変だと言っていました」と意識的に行っていることを解説。それでも、女装して外出し、声をかけられることがバイタリティになっていたようで、酸素ボンベ入れにも、かわいさを追求していた。
しかし後日、体調が急変した連絡を受け、自宅に駆けつけた込山D。そこにいたのは、もうかわいい服を着て外を歩くことができない、息苦しそうなキャンディさんだった。
それでも、カメラを回すと何とか力を振りしぼり、女性のカツラを手に取ってかぶり、インタビューに対応。「もう執念を感じました。私にはどこか、キャンディさんにとって女装はお遊び的な部分があると思っていたのですが、あそこでカツラをかぶって“女装した姿が自分なんだ!”と言っているようで、本気だというのを改めて感じました」と驚かされた。
○“正しくなかったけど、楽しかった”人生
キャンディさんがこのインタビューで発したのは、「我が人生、本当に楽しかった。こんなに好き勝手やって」「つくづく皆様のおかげで、本当に幸せな人生だったな」と、実に清々しく自らの歩みを振り返る言葉だった。
込山Dは「聞いていてこっちも気持ちがいいんです。本当にいい人生を送ったんだなというのが伝わってきました。奥さんに逃げられたりもしていますが、自分が選択した人生が、“正しくなかったけど、楽しかった”という感じがしました」と表現。
長くドキュメンタリーを制作し、何人もの最期に立ち会ってきた中で、「本当にそれぞれの考え方で死を迎えるのですが、ここまで自分の人生を清々しく肯定して、後悔がない感じが伝わってくるのは、キャンディさんが一番でした」とのことだ。
●認めてくれる人たちから感じた「貧乏なりの幸せ」
よく「貧乏なりの幸せを感じる」と言っていたというキャンディさん。それは、女装など趣味の楽しみに加え、男女関係なくキャンディさんの存在を認めて、支えてくれる人たちがいることも大きかった。
込山Dは「最後の頃、キャンディさんが“僕はずっと自分のことをしゃべっちゃうし、相手の目を見てしゃべれなくて…自分でも問題があると思うんだよ。でも、そんな人間をみんな受け入れてくれたんだ”と言っていたのが、とても印象に残っています」というが、キャンディさん自身についても「本当に優しい方でした。いろんな人に優しいんです」と、その人柄を語る。
こうした人とのつながりは、『ザ・ノンフィクション』での放送や、込山Dが手がけるYouTubeチャンネル『キャンディびんぼう』での発信も大きな役割を果たした。
「自分の人生がドキュメンタリー番組で放送されるというのは、やはり肯定されたんだと感じてくれたと思いますし、そこから様々なメディアの取材を受けるようになっていきました。それに、元々キャンディさんは女装雑誌を作って発信する側の人間だったので、時代が変わってYouTubeでみんなが知ってくれることに、喜びを感じていたと思います」
○30年前出ていった元妻も葬儀に参列
カメラが最後にキャンディさんを映したのは、亡くなる3日前の集中治療室。ドキュメンタリー番組の中でも異例のシーンで、特別に取材の許可が下りたが、込山Dは「キャンディさんが病院側に頼んでくれたのではないかと思います」と推測する。
病院側は、キャンディさんが女装して発信していることを理解していたようで、「亡くなった後に、集中治療室ではできなかった女装をさせてもらったと聞きました」とのこと。ここでも“受け入れてくれる人たち”との出会いがあったのだ。
葬儀は親族が20人ほど参加する小規模なものだったが、特別に参列したという込山D。棺には女装姿で入ることができなかったが、お気に入りのぬいぐるみが一緒に収められた。
この葬儀には、キャンディさんの女装を「生理的に受け入れられない」と、30年前に出ていった元妻も参列。彼女は込山Dに、「私はやっぱり当時、女装を認められなかったけど、息子たち3人が最終的に父親のことを毛嫌いするとか、認めないということがなかったので、それは良かったと思います」と心境を語っていたという。
●2人で始めたYouTube、折半した収益は…
『ザ・ノンフィクション』での取材をきっかけに、キャンディさんの日常を発信するYouTubeチャンネル『キャンディびんぼう』をスタートさせた込山D。キャンディさんは、散歩や料理などのネタを楽しそうに考えていたという。
込山Dが特に印象に残るというのは、羽田空港周辺を散歩する回。かつて清掃スタッフとして空港施設で働いていたキャンディさんは、飛行機のトイレに客が落とした指輪を、し尿処理の装置から強烈な臭いの中で何時間も捜索したエピソードを語っている。
「そんなの“見つかりませんでした”と言えばいいのに、“お客さんが喜んでくれたらうれしいから”と、全部探したというんです」という真面目で温かい性格や、街ブラの中で次々に飛び出す知識やユーモアなど、キャンディさんの人柄が詰まった動画だ。
この回を含め、5月2日時点で計196本を公開。『ザ・ノンフィクション』の放送は大きな反響となり、当初はコロナ禍でYouTubeが盛り上がっていたが、初めて得た収益は、スタートから3年が経ってようやく計上された9,000円だった。
収益は2人で折半すると決めており、4,500円を封筒に入れてキャンディさんに渡すと、「めちゃくちゃ喜んでくれました」という。そしてキャンディさんが亡くなった後、遺品を整理する息子からの連絡で、その封筒が開けられていないまま保管されていたことが判明。キャンディさんにとって、このチャンネルの活動がいかに楽しく、大事な存在だったのかが伝わってくるエピソードだ。
今後の展開については、「まだ公開していないネタもあるので、それを配信したり、過去の分を再編集しながら出したいと思います。ファンの方たちから“キャンディさんに励まされる”という声も頂くので、いつまで続けられるか分かりませんが、ちょこちょこ出していければ」と構想を語っている。
○EXILE ATSUSHIが843日ぶり復活ライブに臨むドキュメンタリーも
3日放送の特番『フジドキュの世界 自分らしく生きる人SP』ではほかにも、『フジテレビドキュメンタリー』公式YouTubeチャンネルでこれまで配信された人気作や、今回新たに配信される作品から、自分らしく生きようと自らの人生と懸命に向き合う人々の映像が登場する。
『ザ・ノンフィクション』からは、キャンディさんを追った「女装と家族と終活と〜キャンディさんの人生〜」に加え、「地下アイドル・きららさんのしっくりくる生き方」(17年2月12日放送)、「片付けられない部屋〜ゴミに埋もれた思い出〜」(22年7月24日放送)、「私が踊り続けるわけ〜53歳のストリッパー物語〜」(21年2月7日放送)を再編集したショートバージョンを。
さらに、情報番組『ノンストップ!』でEXILE ATSUSHIが843日ぶりの復活ライブに臨む姿を追った「独占密着! EXILE ATSUSHI 復活」(25年4月15日放送)などもラインナップされている。
●込山正徳1962年、横浜生まれ。日本大学芸術学部卒業後、アジア貧乏旅行を経てフリーのディレクターに。90年頃から主にドキュメンタリー番組を制作し、『春想い 初めての出稼ぎ』(フジテレビ)でギャラクシー選奨受賞。『生きてます16歳 500gで生まれた全盲の少女』(同)でATP賞・総務大臣賞受賞。『ザ・ノンフィクション』では、『天国で逢おう』『われら百姓家族』などを手がけている。05年には、自身の体験を記録した著書『パパの涙で子は育つ シングルパパの子育て奮闘記』を出版。