岩崎加根子92歳「俳優座劇場を建てるために映画の世界へ。石原裕次郎、勝新太郎、萬屋錦之介の相手役をすべてやったのは、自分だけ」

2025年5月27日(火)12時29分 婦人公論.jp


「芝居をやりたいのに撮影所に行かねばならないと変な思いでしたが、冗談まじりに〈稼いでこ〜い!〉なんて言われて」(撮影:木村直軌)

戦争を伝える朗読劇を30年続けてきた、劇団俳優座の岩崎加根子さん。終戦を迎えたのは12歳のときでした。戦争体験を経て女優となり78年。今、演劇を通じて伝えたい思いとは(構成:篠藤ゆり 撮影:木村直軌)

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<前編よりつづく>

劇場を建てるため映画の世界へ


劇団俳優座の8人ほどいる創設者の一人、演出家の千田是也先生は「養成所は勉強をするところ、まだ芝居に出てはいけない」と言ってらしたのに、「チェーホフは『桜の園』のアーニャ役を若ければ若いほどいいと言っている」と、18歳で最年少だった私にアーニャの役をふってくださった。母親のラネーフスカヤ役は、東山千栄子さんでした。

千田先生は、劇団は劇場をもたねばと強くおっしゃって、六本木に劇場を建てることに。そのためには、お金が必要です。そこで、私も映画に駆り出されることになったのです。

芝居をやりたいのに撮影所に行かねばならないと変な思いでしたが、冗談まじりに「稼いでこ〜い!」なんて言われて(笑)。

ギャラのことはよくわからないけれど、たぶんすべて俳優座に入っていたんでしょうね。東野英治郎さんや東山さんなど、先輩総出で映画会社と契約して映画に出ましたよ。

当時は五社協定があり、役者はある映画会社と契約をしたら、他の会社の作品には出ることができませんでした。でも私はそんなことなしという待遇だったようです。

石原裕次郎さん、勝新太郎さん、萬屋錦之介さんというスターの相手役をすべてやったのは岩崎加根子だけだ、などと言われたものです。

だけど私は、相手役が有名だとか、スターだとか、そんなことはよくわからなくて。とにかく、無我夢中で役に取り組みました。

六本木に俳優座劇場が竣工したのは54年。まさに自分たちで建てた劇場でした。その後、78年に建て替えることに。等価交換方式をとり、劇場と劇団は別会社となったんです。

劇場が立ち上がるまでの2年間は映画や台頭してきたテレビドラマに休まず出ていました。こうして80年に完成したのが、新しい俳優座劇場です。

その俳優座劇場が、今年4月末日をもって閉館することになりました。やっぱり寂しいですよ。「ここ、私が建てたんだ〜」と叫びたいくらい、なんてね。(笑)


1954年の俳優座の舞台『女の平和』より。中央が22歳の岩崎さん(写真提供:劇団俳優座)

あのとき、俳優座を受けていなかったら


私生活では、31歳のときに結婚しました。ヨーロッパロケから帰国したら、よく舞台を観に来てくださる知人が羽田空港に迎えに来て、お隣に知らない男の人がいた。それが後の夫です。

後日、そのお宅にお土産を持って伺うと、「ちょっとお待ちなさい」と引き留められて、なぜか桜茶が出たんです。桜茶は結納や結婚式など、めでたい席で出すそうだけど、そんなこと知らないから、「あら、おいしい!」なんて飲んでいたら、空港で会った方がやって来て。まさかそれが、お見合いだったとは!

ちょっと反発して、「お見合いって、お互いの家族同士も一緒に会うものでしょう?」と言ったところ、段取りを組まれてしまった。家族同士で顔合わせをしたのに、「私は芝居をやっている人間なので、結婚は考えていません」なんてことを言いました。ところがテキもさるもの。「お見合いをしたからには、結婚が前提でしょう」。

それ以降、芝居を観に来てくれたり、花輪を贈ってくれたりするようになって。しかも彼の友人たちまで花輪を贈ってくださるし、何かというと送り迎えもしてくれるので、優しさに徐々にほだされて——。知り合って2年目に結婚しました。家具の輸入を仕事にしており、芝居の世界とは縁もゆかりもない人です。

「結婚したら芝居はどうするの?」と聞かれ、「舞台に立ってやっと10年です。10年で新人と言われる世界だから、新人のままやめるわけにはいきません」と答えました。向こうは商売人ですから、「お金にもならないのに、よくそんなに全力でやれるなぁ」なんて言われましたよ。

36歳のとき、千田先生が「イプセンの『人形の家』のノラ役を、市原悦子組と加根子組の2パターンでやって全国をまわろう」と言ってくださって。ところがそのタイミングで長男を妊娠したので、お断りしました。

それから8年後、再びノラを演じる機会があり、長男は私の母と一緒に観に来てくれました。ところが家に帰ったら、母が「あの子、ご飯も食べずに寝ちゃったのよ」。

「あの食いしん坊がどうして?」と聞いたんですけど、要は『人形の家』は、子どもを置いて母親が家を出ていく芝居でしょう。だから、自分の母親も自分を置いて出ていっちゃうかもしれないと、不安に思ったのではないかと母は言っていました。次男も授かりましたが、夫は56歳で逝ってしまいました。

でもありがたいことに、先日の読売演劇大賞の贈賞式には、長男、次男、孫も来てくれたんです。ほったらかしでもちゃんと育ってくれたのね。

人生って、本当に不思議。戦争はイヤだけど、戦争があったから私は立華学園に行くことになり、芝居と出合ったわけです。もしあのとき俳優座を受けていなかったら、お嬢様学校に入学し、医者になった兄の紹介で医者と結婚して、病院の受付をしていたかも、と思ったりもします。(笑)

今年、日本は戦後80年を迎えます。戦争を経験している人がどんどん減り、「え〜っ? アメリカと戦争してたってホント?」なんていう子がいたりする。しかも地球上では、まだまだあちこちで戦火があがっています。

だから「戦争とは…」シリーズも、やめるわけにはいきません。可能であれば、命続く限り舞台に立っていたいですね。

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