【インタビュー】シャイで純粋、そして自由…ヤン・イクチュンの魅力はアンバランス『詩人の恋』キム・ヤンヒ監督が語る
監督が2007年の短編デビューから10年の時を経て手掛けた初長編は、2017年・第30回東京国際映画祭ワールドフォーカス部門で上映されていたが、今回、待望の劇場公開が実現。そこで、主人公のさえない詩人を演じたヤン・イクチュンについて、また、彼が恋することになる青年を演じたチョン・ガラムや物語の舞台となる済州島について語ってもらった。
『息もできない』以前のヤン・イクチュンを知る監督
『息もできない』(08)の粗暴な借金取りや『かぞくのくに』(12)の不穏な北朝鮮監視員、『あゝ、荒野』(17)の吃音症のボクサー役などで知られるヤン・イクチュンが、本作ではドーナツを愛するぽっこりお腹の売れない詩人に。しかも、自作の詩を情緒たっぷりに朗読するシーンもある。
「詩は本編にたくさん登場しますが、詩を読むナレーション箇所はいっきにまとめて録音しました。感情を入れて詩を読むことは大変難しいことですよね」と監督。ヤン・イクチュンとともに試行錯誤していったそうだが、「だんだん読んでいくうちに、イクチュンさんのなかでも感情が出来上がってきて、彼自身の感情に浸りながら読むようになりました。感情に浸る瞬間ができてきたので、いっきにスイッチが入ると、すーっと滑らかに詩を朗読できるようになりましたね」とふり返る。
「聞いているこちらも、耳に心地いいくらいの読み方になっていました。途中からは私もイクチュンさんにはとくに注文はせず、『気になるところがあればもう1回撮ってもいいですよ』と言うくらいで、それほどまでに彼自身のレベルが上がっていたので、録音を聞きながら私自身も本当に感動しました」。
“これまでのイメージを打ち破る”べく、ヤン・イクチュンに詩人テッキ役を任せた監督の試みは大成功といえるだろう。10年以上前の短編映画以来の再タッグとなった彼について、「私がいままで出会ってきた人の中でも5本の指に入るくらいのシャイな方」と監督は評する。
「ナイーブなところがあって、それでいて心が美しい方、また一方では自由奔放なところもあります。純粋なところも自由なところもあって、アンバランスなところがとても魅力的だと思っています」と、共演者や映画ファンからも愛される彼の魅力に触れた。
「たくさんインスピレーションを受けた」チョン・ガラムの魅力とは?
そんなイクチュン演じる詩人が淡くも激しい感情を抱くようになるドーナツ店で働く青年セユンを演じたのは、注目の若手俳優チョン・ガラム。「オーディションでドアを開けた瞬間から、『セユン役は自分がやる』という眼差しで入ってきたので、私も彼を射るように見ていました(笑)その姿にまず圧倒されてしまいました」と監督はふり返る。「彼自身、『詩人の恋』の撮影前に少し仕事をセーブしていた時期があったので、休んでいた分、本作に打ち込みたいという気持ちが強かったんですね」。
その圧倒的な眼差しに加え、「誠実さもあって、ルックスも素晴らしいですし、とにかく作品に臨む姿勢も素晴らしかったので私も彼からたくさんインスピレーションを受けました」と言い、「ガラムのような青年がいればセユンのキャラクターも観客に説得力を持たせることができる」と監督が考えるキャラクター像に大きな影響を与えたようだ。
詩人の妻ガンスンの愛は包み込む愛
情熱的な恋とはいえなくとも、お互いの存在がどうしても必要という、どこか切実さを感じさせるテッキとセユン。だが、テッキには妻ガンスン(チョン・ヘジン)がいる。売れない詩人の夫を支えながら働き、切実な思いで妊活を始める済州島の女性だ。
「韓国で公開した時に、『この映画はフェミニズムな部分が多い』と問題視する人がいました。私は意味を持ってシナリオを描くというよりも、あくまでも物語を展開させるためにシナリオを描き上げました」と監督は明かす。
「その中で私が考えていたのは、もともとガンスンという人物はこの時点で人として“成熟した大人”で、かたや、詩人の夫(テッキ)は“未成熟な人物”。映画の中では未成熟の夫が人として成熟していく過程を描いているんですね。成熟している人は未成熟な人を包み込んであげることができるので、“犠牲”の意味とは違ったものなのかなと思っています」。
「私個人的には、成熟した人が未成熟な人を包み込むことは当然のことだと思っていて、なのでガンスンは未成熟のテッキを包み込み、テッキは(未成熟な)セユンのために自分を犠牲にしたりしていく、という構図を描いています」と、3人の関係性を説明する。
済州島自体が悲しく寂しく思えるときがある
また、3人の物語の舞台・済州島は監督自身もかつて実際に暮らしていた場所。本作では“韓国のハワイ”と呼ばれるような、世界遺産の火山やキラキラと輝くビーチといったイメージとは全く別の場所のように映し出されていく。
「済州島で生まれ育った人が主人公なので、あえて観光地として映す必要もないですし、どこで生活をしている人なのかと考えながらシナリオを完成させました。『済州島で生まれ育った人ならこういうところがいいのではないか』と思いながら、ロケハンもしていきました」と監督は明かす。
「私も済州島に住む前までは観光客の立場でした。実際に島に移り住んで生活、仕事をしていく上で、私のなかでも観光地としての概念がなくなっていったんです。現地の人として生活の基盤を済州島に据えていたので、観光地という気持ちがどんどん薄れていきました」と言い、「その立場になって済州島を見ていると、悲しく寂しく思えるときがあるんですね。観光客がいなくなる冬場は本当に閑散としていて、なおさら、寂しいと思わせるときが実はあります」。
だからこそ、港や深緑の森を静かに歩くテッキとセユンの姿がいっそう際立つ。監督自身が思い入れのあるシーンとして挙げた、閑散とした夜のリゾートプールで「テッキとセユンが心を通わせるシーン」もまさにそうだ。
「韓国公開時にスクリーンで観たときも、やっぱりここのシーンで2人の心の触れ合いが感じられるなぁと、雰囲気もあって、改めて好きなシーンだと思いました。編集のスタッフは、実はこのシーンの前に苦労していた作業があったのですが、それが終わったあとにプールシーンを編集したので『癒しになったね』と話していたくらいです」と監督。恋をしたときの温かさと切なさを同時に感じさせるこのシーンには、本作の空気感が凝縮されている。