インドを脱出するシーク教徒…宗教人口では世界5位でも、母国では少数派
2025年5月7日(水)9時7分 読売新聞
米国は1月の第2次トランプ政権発足以降、不法移民の取り締まりを強化しているが、インド系移民の強制送還も異例の早さで進められている。今年に入り米国からインドに強制送還された388人のうち4割が、シーク教の信者が多数派のインド北部パンジャブ州の出身者だった。背景には、低迷する地方経済とシーク教徒を取り巻く特有の事情がある。(パンジャブ州 浅野友美、写真も)
収入5〜10倍
「渡航費さえあれば、外国で働きたいと今でも思う」
2月に強制送還された同州グルダスプールのシーク教徒ジュグラージ・シンさん(33)は元々、運転手として働いていたが、同じ集落の出身者が自分より5〜10倍も多い収入を米国で得たと聞き、渡米を試みた。
集落の有力者に紹介された渡米仲介業者の「米国での就労が可能な査証(ビザ)を取って、1か月以内に渡米させる」との言葉を信じ、農地を売却し、担保付き融資を借り入れるなどして、420万ルピー(約720万円)をなんとか工面した。
2024年1月に出発したが、同行した業者の指示でアフリカや中南米の計15か国を経由させられ、米国の隣国メキシコにたどり着いたのは25年1月。途中で旅券や所持金も没収され、少量の水や食料しか与えられない中、密林を長時間歩かされることもあった。
2月8日、歩いて国境を越えて米国に入った。しかし、すぐに米国境警備隊に拘束され、カリフォルニア州の収容施設で取り調べを受けた後、インドに強制送還された。
業者との連絡は途絶え、膨大な借金が残った。「地元で仕事を探し、何とか妻子を養っていくしかない」と自身に言い聞かせている。
模型で験担ぎ
パンジャブ州の人口の6割を占めるとされるシーク教徒の多くが、海外移住の願望を口にする。
同州ジャランダルの集落では、戦車や飛行機、蒸気機関車の装飾が住宅の屋上に並ぶ。近隣住民によると、いずれの家も欧米を拠点とするシーク教徒が所有し、海外での成功を誇示しようと、約30年前から屋上に装飾を施し始めたという。
近くのシーク教寺院では、多くの参拝客が、海外での成功に縁起が良いとされる飛行機の模型を手にしていた。シェウタ・ワヒさん(34)はイタリアのホテルで働く夫と同居するためにビザを申請中で、「早く承認されますように」と、模型を祭壇に供えた。
寺院周辺には、査証申請を支援するとうたう代理店の看板が並んでいた。
若者に閉塞感
シーク教徒の海外志向は、彼らがたどった歴史や現在の経済状況と関係する。
1800年頃、インド北西部にシーク教徒国家が建国されたが、2度の戦争を経て約50年後に英国領となった。1947年に英領インドがインドとパキスタンに分離独立する際、大半のシーク教徒はインドに流入した。ただ、シーク教徒の人口はインド全体の2%弱にすぎず、8割を占めるヒンズー教徒に遠く及ばない。
シーク教に詳しい英ロンドン大キングス・カレッジのグルハルパル・シン教授は、「宗教上の理由で差別を受けたと感じ、自由な環境を求めてインドを脱出する人もいる」と指摘する。
シーク教徒が多数派のパンジャブ州の主要産業は農業で、インド政府が支援を強化している製造業やIT産業の新規進出に乏しい。州別の1人当たり国内純生産は、首都ニューデリーがあるデリー首都圏の半分にも届かない。
若者らの間では
地元警察は渡米希望者らから大金をせしめる仲介業者の摘発を進めているが、海外移住の機運が収まる兆しはみられない。シーク教寺院を運営するバルジット・シンさん(51)は「夢を抱くのは理解するが、若者たちがどんどん流出していく。誰がこの国のシーク教徒コミュニティーの未来を背負っていくのか」と不安を漏らした。
米から送還時に手錠 批判
インド外務省によると、2009〜24年、米国から強制送還されたインド人は計1万5564人に上る。
今年1月の第2次トランプ政権発足後、米国からインドなどへの強制送還には米軍用機が使われるようになった。送還する移民に手錠や足かせをはめるケースも確認され、インド国内では「人道上の配慮に欠ける」といった批判の声が上がっている。2月に強制送還されたジュグラージ・シンさんによると、米国の収容施設では、深夜に看守が大きな音を立て、水のシャワーを浴びるように指示して睡眠を妨害するなど、非人道的な行為が行われていたという。
インドのビクラム・ミスリ外務次官は、移民らの取り扱いについて、米国側に懸念を伝達したと明らかにしたが、直接的な批判は避けた。インドは防衛分野などで米トランプ政権と関係強化を図っており、現在は関税交渉も継続中だ。不法移民問題で米国を不用意に刺激することを避けたいとの思惑があるとみられる。
◆シーク教=15世紀末〜16世紀初期、ヒンズー教の改革を唱えたグル・ナーナクが創始した。インド北部アムリツァルの黄金寺院に聖地があり、宗教別人口は世界で5番目に多いとされる。教義で男女間の不平等や、インドの伝統的な身分制度「カースト制度」を否定する。髪やひげは「神からの贈り物」だとして切らず、男性の多くはターバンの中に髪をまとめている。