【中日】「42」の後継者・ブライト健太が決勝打 ブランコ氏の遺志を受け継ぐ竜ナイン

2025年4月10日(木)11時20分 ココカラネクスト

ブライト健太はブランコさんの背番号「42」を受け継いでいる(C)産経新聞社

 多くのプロ野球ファンが言葉を失ったに違いない。

 現地時間4月8日、トニ・ブランコが故郷・ドミニカ共和国でナイトクラブを訪れ、天井崩落事故に巻き込まれ亡くなった。44歳、非業の死だった。

【動画】42を受け継いだブライト健太が魂の決勝タイムリー

 2009年、当時の森繁和コーチに見出され中日に入団すると、来日初年度に本塁打王&打点王の二冠。翌年からは主軸の一人として球団初のリーグ連覇に貢献した。

 13年にDeNAへ移ると、不動の4番として大活躍。移籍1年目に首位打者&打点王、キャリアハイの41本塁打をマーク。15〜16年にはオリックスに在籍した。

 NPBでの8シーズンで通算181本塁打、OPS.867と自慢のパワーを遺憾なく発揮。「記録にも記憶にも残る」助っ人スラッガーだった。

■素顔は心優しいナイスガイ
 188センチ102キロの堂々たる体躯に、丸太のような腕でバットを扱う姿に「おっかない」印象を抱く人もいたかもしれない。でも、素顔は心優しく、真摯な姿勢で野球に取り組んだナイスガイだった。

 それでいて、活躍するとすぐに油断して体重を増やし、ダイエットに励むという繰り返し。いい意味でツッコミどころのある選手でもあった。

 そんな人柄だから、ブランコは選手にもファンにも愛された。亡くなった後の追悼コメントの数々を見てもお分かりだろう。

 現地報道によると、ブランコはエステバン・ヘルマン(元西武・オリックス)と共にライブを楽しんでいたところ、会場の屋根崩落に遭遇。トイレから戻ってきたヘルマンを突き飛ばし、自らが「人柱」となる形でヘルマンを助けたとされる。最後までナイスガイが過ぎる。

■亡くなったその日に「42」番が決める
 訃報が届いた約半日後、かつてブランコが何度もアーチをかけたナゴヤドーム(バンテリンドームナゴヤ)で、中日は広島と戦っていた。

 1−1の同点で迎えた8回裏、二死二、三塁の場面で、井上一樹監督はブライト健太を代打に送った。

 ブランコと共にプレーした指揮官が、同じ「42」を背負う選手を勝負どころでコールするーー、これだけでも出来すぎなのに、ブライトは広島左腕、ハーンの外角直球を捉え、センター後方へ決勝タイムリーを運んだ。走者が2人いる状況、センター右への打球方向を見て、2011年の優勝を決めた同点3ラン(横浜スタジアム、10月18日)を思い出したのは筆者だけだろうか。

 その後に走塁死をかますところはご愛嬌。これもまた、おっちょこちょいなブランコを想起させるものだった。

 「悲しいニュースですけど、そういったことが起きた後の試合で活躍できたのは凄く意味があることだと思う」

 ブライトは試合後、こう話したそうだ。もうブランコの勇姿は見られないけど、彼の“遺志”は確実に竜ナインに受け継がれていく。

[文:尾張はじめ]

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