シャンク、ダフリ、トップ…不調の要因は“右ヒジの使い方” 浅地洋佑が涙の4年ぶりV「つらかった」

2025年5月5日(月)7時32分 ALBA Net

浅地洋佑がツアー通算4勝目を挙げた(撮影:ALBA)

<中日クラウンズ 最終日◇4日◇名古屋ゴルフ倶楽部 和合コース(愛知県)◇6557ヤード・パー70>

先週初優勝を遂げた小西たかのり、プロ2年目で勢いのある岡田晃平との最終組対決を制し、31歳の浅地洋佑が4年ぶり通算4勝目を挙げた。


「この3年間、ほぼいいことがなかったので…」。30センチのウィニングパットを沈める前から込み上げるものがあった。パットを沈めて優勝が決まると、涙が止まらず、帽子で目元を隠しながら、右手を挙げてギャラリーの声援に応えた。

杉並学院高校出身の浅地は、石川遼の2学年下。ジュニア時代から“石川遼の後輩”として注目されていた。ツアー1年目の12年に初シードを獲得したものの、翌年にはシード権を喪失。17年に再びシード選手に復帰すると、19年の「ダイヤモンドカップ」で初優勝を遂げ、21年の「マイナビABCチャンピオンシップ」では通算3勝目を挙げた。

順調に勝ち星を重ねていたが、2022年のオフに異変が起きる。「シャンク、ダフリ、トップ。練習場でも当たらない」。まるで“アベレージゴルファー”のような症状が頻発し始めた。

「曲がる、飛ばない、乗らない…。普通のラウンドでも80打っちゃうみたいな。そこからどうしようもなくなりました」と復調の糸口を見つけられずに、22年の賞金ランキングは86位でシード落ち。

「優勝した翌年に(賞金)シードを落とすって、なかなか経験できることじゃないし、したくないこと。そこからずっとつらかったですね」。持ち前のショートゲーム力で23年には賞金シードに返り咲いたが、「試合に出たくなかったし、見られるのも嫌だった」とショットは一向に改善されなかった。

24年1月には、中学生まで師事していた植村啓太コーチの門を叩いた。「10年ぐらいコーチをつけていなくて、久々に見てもらうようにしたら、理論的に教えてくれて、理解してできるようになりました」。

植村コーチに指摘されたポイントが右ヒジの使い方だ。浅地は手首を柔らかく使い、タメを作って打つスイングが特徴だが、当時の浅地は右ヒジを使ってタメを作っていたという。

「トップで右ヒジが曲がりすぎていた。ダウンスイングで右ヒジを体に近づけるからクラブが寝て、右サイドが下がった状態で手元が体から離れるように手元を抜いていました」とフェードヒッターにもかかわらず、フック系のボールが出やすくなっていた。右ヒジを伸ばしたまま振るイメージを持ち、練習では右ヒジが曲がらない矯正器具を着けて行うなど、努力のかいもあってショットは上向いてきた。

優勝は4年ぶりだが、最終日最終組もその時以来、4年ぶり。「勝ち方を知っているはずなのに、初優勝みたいにそわそわしていた」と話したが、試合運びは冷静だった。

10番のチップインバーディで首位の岡田に並ぶと、「(岡田)晃平が落とすとは考えていなかったので、絶対に自分からボギーを打たない」。ショートゲームでパーを拾い続け、後続に2打差をつけて18番を迎えた。「ボギーでいける」。その狙い通り、1.5メートルのパーパットは「カッコつけずに距離を合わせて」寄せにいき、きっちり優勝をつかんだ。

次の目標は「そろそろ国内メジャーをとりたいと思いが湧いてきました」。ショットの不振にあえいだ3年間は、「いろんなところから打ったので、トラブルショットはうまくなりました。そしてきょう、強くなりましたね」と引き出しも増えて、ゴルファーとしての成長を実感する。

「この3年間、いろんなことが頭の中で流れてきて、ようやく報われるというか、嫌な気持ちがなくなると思ったら勝手に(涙が)出てきました」。普段は泣かない男が流した涙。コーチやトレーナーら関係者への感謝も忘れていない。次は心の底からうれし涙を流したい。(文・小高拓)


<ゴルフ情報ALBA Net>

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