『ポルシェ911ターボ(JGTC)』チームクニミツにGT初勝利をもたらした1台のポルシェ【忘れがたき銘車たち】
2022年8月16日(火)8時30分 AUTOSPORT web

モータースポーツの「歴史」に焦点を当てる老舗レース雑誌『Racing on』と、モータースポーツの「今」を切り取るオートスポーツwebがコラボしてお届けするweb版『Racing on』では、記憶に残る数々の名レーシングカー、ドライバーなどを紹介していきます。今回のテーマは、全日本GT選手権(JGTC)を戦った『ポルシェ911ターボ』です。
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2022年3月に逝去された日本モータースポーツ界のレジェンド、“国さん”の愛称で親しまれた高橋国光さん。その高橋国光さんが1992年に設立し、今シーズンも高橋国光さんの意思を受け継ぎ『STANLEY NSX-GT』でスーパーGT GT500クラスを戦うのがチームクニミツだ。
チームクニミツは1994年と1995年にホンダNSX GT2でル・マン24時間レースへと参戦し、参戦2年目の1995年にGT2クラスを制覇。さらに翌1996年にはいち早く全日本GT選手権(JGTC)にNSXを持ち込むと、HSV-010の時代を挟みつつ、今現在もNSXで戦い続けるなど、JGTCにおいてはホンダ車ひと筋である印象が強い。
しかし1994年と1995年。JGTCのシリーズ戦が本格的にスタートしたばかりの黎明期といえるこの2年間、チームクニミツはホンダ車ではなく別のマシンでJGTCへ挑んでいた。
そもそもチームクニミツは、1994年よりJGTCが始動するにあたって、NSXでのJGTC参戦を計画していた。しかしノバエンジニアリングが手がける予定だったJGTC仕様のNSXの製作が見送られると、その他のプランも諸事情により断念。そこで白羽の矢が立ったのが『ポルシェ911ターボ』であった。
チームクニミツが導入した911ターボは、ポルシェのワークスチームがアメリカのIMSAで走らせ活躍していた車両で、すぐにJGTCでも戦える戦闘力を兼ね備えたマシンであった。
この911ターボをJGTCで走らせるにあたり、マシンのカラーリングは赤×黒のADVANカラーに彩られ、エントリー名は『ADVAN PORSCHE』に決定。メンテナンスは、当初NSX導入計画時にも予定されていたノバエンジニアリングが担当した。
この高橋国光/ポルシェ/ADVAN/ノバエンジニアリングのコンビネーションは、かつて1980年代に全日本スポーツプロトタイプカー選手権を4回制した鉄板の布陣。それが1990年代のJGTCで再び実現したのである。
そして高橋国光とともにポルシェのステアリングを握ったのは、高橋国光の愛弟子、土屋圭市。1992年と1993年に全日本ツーリングカー選手権(JTC)でグループAのR32 GT-Rを共に走らせたこちらもコンビネーション抜群なふたりでJGTCを戦うこととなった。
そんな高橋国光と土屋圭市が駆るADVAN PORSCHEは、富士スピードウェイで開催された第3戦でデビュー。この初陣はアクシデントによってリタイアに終わってしまうが、続く第4戦のスポーツランドSUGOで行なわれた1戦では、優勝争いを展開する。
予選3位からスタートしたADVAN PORSCHEは第1スティントを担当した土屋圭市のドライブで、鈴木利男駆るZEXEL SKYLINEとテール・トゥ・ノーズのバトルを展開していく。
レース中盤に2台は同時にピットインするとここで燃料のパーコレーションによってZEXEL SKYLINEがエンジン始動に手間取ってしまい、ADVAN PORSCHEがトップへと立った。
その後、ADVAN PORSCHEは高橋国光のドライブでトップを快走。途中、スピンなどのハプニングもあったものの首位の座は譲らず。参戦2戦目にしてGT初勝利を手にしたのだった。
優勝の勢いそのままに挑んだMINEサーキットでの最終戦では、2連勝とはならなかったもののADVAN PORSCHEは2位表彰台を獲得。3戦のエントリーながら優勝と2位という好成績を残して、1994年のシーズンを終えたのだった。
1995年はドライバーやメンテナンスガレージなどの体制は変わらずともカラーリングをBPオイルカラーへと一新し、開幕戦よりフル参戦。
しかし第2戦富士、第3戦仙台ハイランドではそれぞれ3位表彰台と4位を獲得したものの、前年のような活躍とはならなかった。そして、この年を最後にチームクニミツによるポルシェでの参戦は終了し、1996年より待望だったホンダNSXヘの戦いへと移行していく。
わずか2年間。しかも本来望んだかたちではなかったものの、1994年のSUGOラウンドなど、高橋国光/土屋圭市のコンビとポルシェが見せた活躍はファンにとって印象的なものであった。