『ミツビシ FTO』異色のFF+ターボエンジンで強烈な印象を残したGTマシン【忘れがたき銘車たち】

2021年9月15日(水)17時30分 AUTOSPORT web

 モータースポーツの「歴史」に焦点を当てる老舗レース雑誌『Racing on』と、モータースポーツの「今」を切り取るオートスポーツwebがコラボしてお届けするweb版『Racing on』では、記憶に残る数々の名レーシングカー、ドライバーなどを紹介していきます。今回のテーマは、全日本GT選手権に参戦した『ミツビシ FTO』です。


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 多彩な車種がバトルを繰り広げるのが魅力のスーパーGT GT300クラス。現在、ランボルギーニやフェラーリなどのスーパーカーから、トヨタ・プリウスといったハイブリッドカーまで、バラエティ豊富なマシンがGT300には出走している。


 遡ること1990年代、全日本GT選手権(JGTC)黎明期からGT300は、現在に負けず劣らずのバリエーションの豊かさを誇っていた。今回は、そんな1990年代のGT300クラスを彩った異色の1台、ミツビシ FTOを紹介する。


 ミツビシ FTOと聞くと、世代によってはギャランクーペFTOのほうを思い浮かべてしまう方もいるかもしれないが、JGTCに参戦したのは無論、ギャランFTOはなく、その名を受け継ぎ、1994年に登場したモデルのことだ。そんなFTOがJGTCのGT300クラスに参戦したのは、市販車のデビューから約4年後、1998年のことであった。


 このFTOの参戦にあたって、企画・統括をラリーアートが担当した。マシンの製作・メンテナンスは、かつてグループA時代にスタリオンを手がけていたノバ・エンジニアリングが務め、エンジンメンテナンスはF3などでミツビシのエンジンを多数チューンしてきたHKSが担うなど、かなり豪華な体制でのエントリーとなった。


 さらに、マシンが纏うエアロを市販車のFTOをデザインしたデザイナーが手がけるなど、三菱自動車自体の息がかかったプロジェクトでもあった。


 そんなGT仕様のFTOは、大きくふたつの特徴があった。まず、左ハンドルを採用していたこと。これはエンジンが若干右側にオフセットされているために重量バランスを考えての選択であった。


 そして、もうひとつがエンジン。市販車では2.0リッターV6の6A12型を積んでいたが、GTではランサー・エボリューションなどに採用されている2.0リッター直4ターボの4G63型を搭載した。


 4G63型の大きなパワーとトルクは“武器”と言えたが、それを前輪2輪だけで伝えるというのは、不利になるのではとも思われた。しかし、装着するトーヨータイヤの開発もあり、FTOはデビュー戦からいきなり速さを見せる。


 1998年のJGTC開幕戦。鈴鹿サーキットで開催されたこのラウンドでFTOは、予選2番手を獲得。決勝で他車との接触があったものの、見事3位表彰台に登壇し、デビュー戦からそのポテンシャルの高さをアピールした。


 その後も第3戦、第6戦をポイントをゲットし、最終戦SUGOではシーズン最上位となる2位でフィニッシュ。最終的にドライバーズランキング5位という上々のリザルトで初年度を終えた。


 続く1999年。開幕戦の舞台は、昨年に引き続き鈴鹿。レースはウエットとなったものの、昨年同様の速さを発揮して、2位でチェッカーを受け、幸先のいいスタートを切る。


 その翌戦、第2戦富士ではフラットボトムとなったニューボディを投入。投入初戦こそ結果が残らなかったが、第3戦SUGO以降は第4戦を除いてすべてのレースでポイントを獲得した。だが、ドライバーズランキングは前年よりひとつ順位を落とし、6位という結果に終わった。


 こうして2年連続で好調な走りを見せていたFTOだったが、1999年いっぱいで活動を終了。わずか2年間という参戦期間であったが、他車に比べて不利なFF、そしてターボエンジンという異色のパッケージングながら見せた速さで、強烈な印象を残したGTマシンであった。

1988年、デビュー戦ながらいきなり3位表彰台を獲得。ドライバーは、中谷明彦/原貴彦のコンビだった。

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