53歳で逝去したミハイロビッチ氏…指導受けた本田圭佑、冨安健洋らが追悼「安らかに」

2022年12月17日(土)10時5分 サッカーキング

ミラン時代のミハイロビッチ氏(左)と本田(右) [写真]=Getty Images

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 16日、急性白血病のため53歳の若さで逝去したことが公表された元ユーゴスラビア代表DFシニシャ・ミハイロビッチ氏に対し、指導を受けた選手たちが追悼のコメントを寄せている。

 ミラン在籍時、当時同クラブの監督を務めていたミハイロビッチ氏から指導を受けた元日本代表MF本田圭佑は、17日に自身のツイッターを更新。「シニシャ、今までありがとうございました。R.I.P.(ラテン語で「安らかに眠れ」の意)」と投稿した。

 また、ボローニャ在籍時にミハイロビッチ氏の下でプレーし、その後アーセナルへと飛躍した日本代表DF冨安健洋は、自身のインスタグラムのストーリーに「あなたから多くのことを学びました。ありがとう監督、安らかに」と、恩師の死を悼んでいる。

 本田や冨安以外にも、関係のあった選手たちからはミハイロビッチ氏に向けた追悼コメントが多数発表されている。ミランで本田と同僚だった元イタリア代表MFリッカルド・モントリーヴォ氏は、自身のTwitterに「あなたはフィールドで、そして人生で、決意と威厳を持って戦いました。言葉もありません……。あなたを知り、一緒に仕事ができたことを光栄に思います。さようなら、監督」と投稿。イタリア代表GKジャンルイジ・ドンナルンマは「あなたが常に戦士であり、どれだけ闘ってきたかを僕は知っています。初めて会った日から、いつも僕を信じてくれて、いろいろと声をかけてくれたことに感謝しています。あなたはいつも、僕の心の中にいます」とコメントしている。

 現役時代のミハイロビッチ氏は、母国の名門ツルヴェナ・ズヴェズダで1990−91シーズンにチャンピオンズカップ(現:チャンピオンズリーグ)優勝を経験。その後はローマ、サンプドリア、ラツィオ、インテルで活躍するなど、セリエAに足跡を残した。ラツィオに所属していた1998−99シーズンには、第13節のサンプドリア戦でフリーキックのみでのハットトリックを達成するという偉業も成し遂げている。また、1999−2000シーズンにはセリエAで26試合に出場して6ゴール5アシストを記録し、ラツィオを26シーズンぶり2度目のセリエA優勝に導いた。

 また、ミハイロビッチ氏はユーゴスラビア代表およびセルビア・モンテネグロ代表としても国際Aマッチ通算で67試合に出場して10ゴールを記録。FIFAワールドカップフランス1998では、母国のベスト16入りに貢献した。

 2005−06シーズンを最後に現役を引退すると、指導者に転身。ボローニャ、フィオレンティーナ、セルビア代表、サンプドリア、ミランなどで指揮を執った。2019年1月には、自身が初めて監督を務めたクラブであるボローニャの指揮官に復帰したものの、同年7月に白血病を公表。病と闘いながら監督業を続けたが、今シーズンの第5節終了時点で解任が決定していた。

サッカーキング

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