24の元機密資料から見るアメリカの実像! UFO、エリア51、洗脳実験、原爆開発の裏側(前編)
2023年2月3日(金)17時0分 tocana
機密指定が解除された政府文書からかつてのアメリカの実像が浮かび上がってくる——。空飛ぶ円盤についての報告書からマインドコントロール実験まで多岐に及ぶこれらの文書だが、はたして東西冷戦時代のアメリカは何を考え、何を必要とし、何を恐れていたのか。24の機密指定解除文書から仄見える冷戦下のアメリカの実像とは。前編では疑惑の宝庫である“エリア51”や原子爆弾開発の裏側などにフォーカスする。
プロジェクト1794
2012年に米空軍はソ連の爆撃機を撃墜するように設計された空飛ぶ円盤型の航空機を製造するための秘密計画の記録を含む、一連の文書の機密を解除した。
「プロジェクト1794」と呼ばれる野心的なプログラムは1950年代に開始され、エンジニアのチームは高高度を超音速で移動できる円盤型の航空機を開発する任務が課されていた。つまり“空飛ぶ円盤”が一度は米軍の手によって作られようとしていたのだ。
機密解除された文書によれば、円盤型航空機はホバリングが可能であると共に最高速度はマッハ4で、高度3万メートルの高高度を飛行する性能が求められていた。プロジェクトの推定費用は今日の米ドルで2600万ドル(約33億円)以上である。
鋭意開発が進められた同プロジェクトだったが、空飛ぶ円盤の設計が空気力学的に不安定であり、高速 (超音速は言うまでもなく) では制御不能である可能性が高いことがテストで示された後、1961年12月にプロジェクトの中止が決定された。
プロジェクト・アイスワーム
東西の緊張が最高潮に達しつつあった1960年代、米陸軍はグリーンランドの氷床の下に一連の移動式核ミサイル発射施設を建設するという極秘任務に着手した。目的はソビエト連邦内の標的を中距離ミサイルで攻撃できる手段を確保するためである。
このプログラムは「プロジェクト・アイスワーム」というコードネームで呼ばれていたが、それに先駆けて米陸軍は「キャンプ・センチュリー」と呼ばれる北極の科学調査プロジェクトを開始し、調査の拠点となる極秘基地をグリーンランド内に設営した。ちなみに当時の領有国であるデンマーク政府には秘密のまま計画が進められた。
極秘基地は移動可能な原子力発電施設を有し、研究室や備品倉庫、通信センターのほかにも診療所やレクリエーションホールなども備わっていた。
秘密基地は7年間運営されプロジェクト・アイスワームも進められていたが、周囲の氷床が移動して施設が不安定になったこともあり、1966年に中止となった。放棄された設備の残骸は今も北極の雪の下に埋もれていて環境汚染の面でも問題視されている。
MKウルトラ計画
冷戦中にCIAは悪名高い「MKウルトラ計画(Project MK-ULTRA)」に着手した。このプロジェクトはマインドコントロール技術を開発するための極秘の違法な研究プログラムであった。実験では催眠術、生物剤、およびLSDやバルビツール酸系向精神薬などの薬物が人間の被験者に及ぼす影響が検証された。
一部の専門家はこのプログラムは潜在的な暗殺者の脳を“プログラム”するために使用できるマインドコントロールシステムを開発するように設計されたと示唆している。つまり“自発的暗殺者”を養成するプログラムであったというのだ。
プロジェクト終了後の1973年、当時のCIA長官であるリチャード・ヘルムズはMKウルトラ計画に関するすべての文書を破棄するよう命じたが、皮肉にもその数年後にプログラムに対する正式な調査が開始された。このプロジェクトは映画にもなった小説『影なき狙撃者(The Manchurian Candidate)』や映画『ヤギと男と男と壁と(The Men Who Stare at Goats)』などの作品の題材になっている。
エリア51
「エリア51」ほど陰謀論者やUFO愛好家の注目を集めている施設はない。米空軍管理下のエリア51は、ラスベガスの北西約134kmにあるネバダ州のグルーム湖近くの人里離れた砂漠地帯にある。
基地を取り巻く数々の疑惑は人々の想像力に火をつけ、エイリアンやUFOを隠しているのではないかという噂が後を絶たず、周囲では頻繁にUFOの目撃や超常現象が報告されている。
2013年7月に機密解除されたCIAの文書により、エリア51の存在が初めて認められ、この極秘サイトが有名なU-2偵察機を含むさまざまな偵察機のテストに使用されたことが確認された。
近隣のカリフォルニア州にあるエドワーズ空軍基地の別働拠点としても機能しているこのエリア51は公式には“秘密基地”ではないのだが、そこで行われた研究と活動は、アメリカで最も厳重に秘匿された秘密の1つであることは間違いないようだ。
プロジェクト・グラッジ
エリア51は地球外生命体を研究するために設計された秘密基地ではなかったものの、確かに米空軍はUFOの存在を研究していた。
「プロジェクト・グラッジ(Project Grudge)」は、未確認飛行物体を研究するために1949年に開始された小規模のUFO調査部会「プロジェクト・サイン(Project Sign)」として知られる初期のプログラムを引き継ぐものであった。
一部からの批判の声では、プロジェクト・グラッジは単にUFO報告の真相を暴くために開始されたものであり、実際の研究はほとんど行われていないことが指摘されている。つまりUFOとは既知の現象の誤認や自然現象の偶然の産物であり、そこにミステリーは何もないというスタンスであったのだ。
空軍大尉でプロジェクト・グラッジの責任者であるエドワード・J・ルッペルトは、この話題に関する著書の中で次のように書いている。
「プロジェクト・グラッジが続いている。UFOは存在しないという前提ですべてが評価されていました。あなたが(UFOのような)何かを見たり聞いたりしても、それを信じてはいけません」
ペーパークリップ作戦
1946年9月、ハリー・トルーマン大統領は第二次世界大戦後にナチス・ドイツからアメリカに科学者を誘い込むことを目的とした「ペーパークリップ作戦(Operation Paperclip)」と呼ばれる計画を承認した。
戦略サービス局(CIAの前身)の職員は、貴重な科学的知識がソビエト連邦や分断された東ドイツの手に渡らないようにするために、終戦後のドイツの取り組みを支援するためにアメリカ国内で研究するドイツ人科学者を募集した。
ペーパークリップ作戦の最も有名な獲得人員はナチスのV2ロケットの開発者であるロケット科学者のヴェルナー・フォン・ブラウンで、彼はアメリカ航空宇宙局(NASA)の初代所長を務めた。
ノースウッズ作戦
東西冷戦中のアメリカとキューバとの間の緊張が高まる中でアメリカ中央所法曲(CIA)はカストロ政権打倒を目的とした多数の奇抜な計画を練り上げていた。それらの秘密作戦の主要な目的はフィデル・カストロを暗殺することであったが、別の計画ではアメリカとキューバの間の全面戦争を扇動することを目的としていたと専門家は指摘している。
1998年、情報公開法によって公開された情報を公開する非政府組織である国家安全保障アーカイブ(NSA)は「ノースウッズ作戦(Operation Northwoods)」に関連する機密解除された文書を公開した。
1962年に統合参謀本部によって考案されたノースウッズ作戦は、アメリカとキューバの民間人に対する暴力行為を画策し、それらの行為をキューバ政府のせいにする計画を含んでいた。
NSAの文書によるとこれらの計画にはアメリカの都市での偽装したテロ攻撃、旅客機のハイジャック、アメリカに向かう途中のキューバ亡命者を多数乗せたボートの沈没が含まれ、キューバとの戦争を正当化するために使われることになっていたのだ。
報道によると最終的にケネディ政権はノースウッズ作戦の愚かさを認識し、承認を拒絶した。
マンハッタン計画
最も有名な秘密研究プログラムの1つは、最終的に世界初の原子爆弾を製造した「マンハッタン計画(Manhattan Project)」である。
このプロジェクトは1939年に始まり、原子力兵器の潜在的な威力を調査のを柱に秘密裏に行われた。1942年から1946年にかけては米陸軍工兵隊のレスリー・グローブス少将がマンハッタン計画を指揮した。
最初の核実験は1945年7月16日午前5時30分、ニューメキシコ州のアラモゴード砂漠のホワイトサンズ射爆場において人類史上初の核実験「トリニティ」が実施された。爆発の破壊力はTNT換算で15キロトン以上であったといわれている。
トリニティ実験から1カ月後、第二次世界大戦末期の日本の広島と長崎に2発の原子爆弾が投下されたのはご存じの通りだ。今日まで戦争で核兵器が使用されたのは広島と長崎への原爆投下だけである。
【中編】に続く
参考:「Live Science」ほか