《メゾン・エルメス》のファサードはどうしてガラスブロックなのか?巨匠レンゾ・ピアノが紡ぎ出した「物語」
2025年2月20日(木)8時0分 JBpress
文・写真=三村 大介
建築は”読む”ことで一層楽しくなる
先日、本屋の店内をブラブラと散策していた時、一冊の本にハッと目が止まった。なんとタイトルが『名画は嘘をつく』(木村泰司著/大和書房)・・・ん!?嘘?
その文庫の表紙にはダヴィンチやレンブラント、ルノワールやモネなど、誰もが一度は目にしたことがある名画が並んでいたのだが、帯には「巨匠たちが絵に込めた素敵な嘘を解き明かす」とまで書かれていた。
この「嘘」というインパクトのあるタイトルとコピーについ惹かれ、ワクワクしながら手に取り、さて名画たちの裏の顔をこっそり拝見・・・と思ったのだが、
せっかくなので、ここでこの著書の中で取り上げられている作品を2つ、紹介しておこう。
1つ目は、ムンクのあまりにも有名な傑作《叫び》。この画はタイトルからして、中央の人物が「叫んでいる」画だと思われがちだ。しかし、実際はそうではなく、この人物が「自然を貫く叫び」から耳を塞いで自身を守ろうとしている姿が描かれているのだ(確かにそう言われてみれば、両手は耳にあてがわれている)。
また、青いターバンと真珠のイアリングを身に付け、魅惑的な微笑を浮かべる少女を描いたフェルメールの《真珠の耳飾りの少女》。「北のモナリザ」とも称される誰もが知る名画だが、実はこの画、肖像画ではないのだ。実際はトローニーといわれる不特定の人物を描いた習作で、実在のモデルがいるわけではなかったのだ(ただ、これについては諸説あるようだが)。
このように、『名画は嘘をつく』では名画のトリビアが、見開き2ページにフルカラーの絵画と合わせて紹介されており、解説も500字程度で簡潔に書かれているので、西洋絵画に苦手意識がある人でも、どこからでも目に止まった画から読み始め、へぇ〜そうなんだ、おぉ〜それは知らなかったと気軽に楽しめる内容となっている。
私もふむふむ、なるほどなどと思いながら興味深くページを繰ったのだが、実は私がこの本で一番グッと来たのが、著者である西洋美術史家の木村泰司氏がまえがきで次のようなことを書いていたことだった。
木村氏曰く、そもそも、美術の近代化が起きる以前の西洋絵画には宗教的な教えや神話、政治的なメッセージ、日常生活の戒めといった当時の文化や思想が表現されている。なので、その真意や含意を知性によって読み解くことが本来の鑑賞方法、すなわち、「西洋絵画は”見る”ものではなく”読む”もの」であり、一枚の絵画を見たときに、そこに秘められたメッセージを解読することなく、「感性だけで鑑賞することは非常にもったいない」と。
私は思わず本屋で大きくうなずいた(もちろん心の中で)。
というのも、私がこの連載でこれまで書いていること、そして今後も書きたいと思っていることは、まさしく「建築は”読む”ことで一層楽しくなる」ということだからだ。
古今東西、世界中に傑作と称される名建築が多数存在する。そして、それらを目にした(実際に訪れたか、画像や動画で見たかを問わず)多くの人たちが、「おぉ美しい!さすが有名建築家が創った建築だ!」とか「なんと気持ちのいい空間だ!なるほど名建築と言われるだけある!」といった感想を抱く。確かに、それだけでも充分それらの建築作品を知ること、楽しむことになるとは思うのだが、ただ、それだけではもったいないと私は思う。
いかなる建築も、そのウエイトの占め方は様々であるものの、機能や構造といった工学的な側面はもちろん、経済的、文化的そして美学的など多元的な側面を持っており、建築家はそれらにいかに”意味”や”意義”を持たせ「作品」として昇華、成立させるかに苦心する。
なので、感性だけではなかなか捉えられない、これら作品の裏に隠れた”意味”や”意義”を知り、建築を“読む“ことができれば、その作品をより深く理解し、知的好奇心を満たしてくれるだけでなく、日々の生活までも豊かにしてくれるのではと思っている。
私のこの連載が『東京建築物語』というタイトルであるのも、このように建築作品を、建築家が紡ぎ出した1つの「ストーリー」として読み解いてほしい、という思いと願いを込めてのものである。
さてそれでは、今回も傑作と呼ぶに相応しい『物語』をご紹介したいと思う。
《メゾン・エルメス》の物語
今回の作品は、イタリア人建築家、巨匠レンゾ・ピアノの設計によって2001年に竣工した《メゾン・エルメス》である。
銀座に建つこの建築は、晴海通りに面し、正面の幅約10m、奥行き約58mという細長い敷地に建ち、地下1階から4階はエルメス銀座店のフロア、5から7階はアトリエとオフィス、8階はアート・ギャラリー、10階は予約制のミニシアターという構成になっている。
この《メゾン・エルメス》の特徴はなんと言っても、ガラスブロックの外観だ。このファサードには約45cm角という特注サイズのイタリア製ガラスブロックが約13,000枚も使用されており、まるで水晶のオブジェのように美しい。また、日が暮れると日中のキラメキから一転、優しく温もりあるオレンジ色の外観となり、幽玄で幻想的な雰囲気を醸し出す。
まさしくこれが、レンゾ・ピアノがこの建築を『マジック・ランタン』と称する所以でもある。
それでは、ここで読み解きポイントその1。
なぜレンゾ・ピアノはファサードデザインにガラスブロックを採用したのだろうか?
単なる思いつき?前から使ってみたくていい機会だったから?それとも施工が簡単そうだったから?いやいや、そんな事はない。
この解答解説にはまず、クライアントであるエルメスが設計者のレンゾ・ピアノにどのようなリクエストを出していたかと言うことから説明が必要となる。
エルメスは設計を始めるにあたりレンゾ側に、「この建築は日本でお客様をお迎えするべく設けた『MAISON(家)』である」というコンセプト(なるほど、だからこの建築の名称は《メゾン・エルメス》)と、「時を超え、時に溶け込み、流されることなく質を保持して欲しい」という要望を出していたのだ。
さて、レンゾ・ピアノ、そこでどうしたか。
彼はまず、これらのオーダーに応えるべく、ある建築作品を今回のデザインのリファレンスとした。それは20世紀初頭、モダニズムの黎明期における傑作の1つ、フランス人デザイナー、ピエール・シャロー設計による《ガラスの家(メゾン・ド・ヴェール)》(1931年)であった。
いやぁ、さすが巨匠、何とも秀逸な一手!
確かに《ガラスの家》は文字通り、エルメスのリクエストである「MAISON」であり、「時間を超越したクオリティ」を持つ名作である。この作品をレファレンスしたということだけで、エルメスの命題に対して回答をズバリ提示していることになっているではないか。お見事。
しかし、《ガラスの家》そのままのデザインを引用してもそれは単なるコピー、意味がない。当然、巨匠レンゾ・ピアノは次の手を打つ。
それが《メゾン・エルメス》用に約45cmにサイズアップしたガラスブロックのファサードである。このカスタマイズは、単にガラスブロックを大きくしたということではなく、そのサイズが45cmであるということに、非常に重要な意味を持つのだが、そこで読み解きポイントその2。
なぜ、この《メゾン・エルメス》のガラスブロックのサイズが45cmでなければならなかったのか?
建物が大きいからそれに合わせて大きくした? 45cmサイズが珍しいから試してみたかった? もちろんそんな安直な理由ではない。
実はこのサイズ、エルメスの看板商品でもあるスカーフ『ガヴロッシュ』の大きさなのだ(ちなみに最もポピュラーな90cmサイズのものは『カレ』と呼ばれ、その1/4の大きさである『ガヴロッシュ』は『プチカレ』と称されることもある)。つまり、この建築は『ガヴロッシュ』『カレ』がファサードのデザインとなっている、すなわち、《メゾン・エルメス》は「エルメスを纏った建築」ということなのだ。ブラボー!
『マジック・ランタン』の真意
さて、ここからさらに深掘り。『マジック・ランタン』について、私なりに、もう少し考察してみたいと思う。
みなさんは「ランタン」とは、と問われるとどのようなものを思い浮かべるだろうか?
一般的に「ランタン」は、多角柱もしくは円柱状で側面がガラスなど透明な囲いによって、中心部の炎や電球を保護している灯のことを指す。持ち運んだり、吊り下げるように持ち手が付いたもの、また、広くは街灯や提灯、行灯もこの「ランタン」に分類されることになる。
そう言われると、『マジック・ランタン』について、こう考えたくならないだろうか。
さすがレンゾ先生。この《メゾン・エルメス》が建つこの地の街並みはかつて、ガス燈=ランタンが立ち並んでいたという銀座の歴史もしっかりファサードデザインに取り込んだんだな、なるほど、そう考えるとガラスブロックを採用したのも、煉瓦造だった銀座の建築をモチーフしていたからかもしれない、と。
しかしである。確かに、この説明も全くの見当違いではないとは思うのだが、私はこれではレンゾ・ピアノのいう『マジック・ランタン』のイメージや意図を完全に理解したと言えないのではないかと考える。
なぜそう思うのか。
その根拠は、この建築のファサードのディテール、地面近くの下端部や、地下鉄出入口の側面図の納まりに現れている。これらの部分、よく見てみるとファサードのガラスブロックは通常の施工方法のように「積まれている」のではなく、地面から浮いている、つまり「吊るされている」のがわかる。
ということは、レンゾ・ピアノはこの《メゾン・エルメス》において、重力に従って「積み上げた」重厚感のある建築ではなく、重力に逆らって「吊るされた」浮遊感のある建築を表現したかったのではないか、と私は考える。
そうしてさらに詳しく見てみると、この《メゾン・エルメス》のガラスブロックの表面は、少しシワの寄ったような加工がされ、半透明になっており、それ薄い紙、まるで和紙のようにも見える。
そうなると、この建築でレンゾ・ピアノが意味した「ランタン」は街灯でも行燈でもなく、むしろアジア各国で見られる願いを書いて空に飛ばす「天燈」をイメージしたのではないかとさえ思えてくる。
もしかしたらレンゾ・ピアノはこの《メゾン・エルメス》を銀座という文脈を超越し、アジアという文脈に位置付けていたのかもしれない。
さらに深読みして、北棟と南棟の間の中庭に飾られた、新宮晋による風のモニュメントが『宇宙に捧ぐ』というタイトルであるのも、夜空に美しく舞い上がる『マジック・ランタン』をイメージして付けたのでは、と想像してしまうのは私だけだろうか・・・。
と、ここまでのランタンをめぐる解釈はあくまでも私の勝手な想像である。ガラスのファサードが吊られたのは、日本の法規や構造的な制約から「吊るさざるを得なかった」かもしれないし、文字通り「ガヴロッシュを纏った」建築を表現した結果かもしれないし、その意図やプライオリティは残念ながらわからない。レンゾ・ピアノに会って話せる機会があったら是非ともその真意を聞いてみたいところだ。それは飛躍し過ぎと冷笑されるかもしれないが、ただ、このようにも深く考察できるというのは、《メゾン・エルメス》がいかに多層的な意味、「物語」を持ち得る作品なのかということの現れではないかと思う。それはまさに読み応えのある傑作であることの証明として。
先に紹介した『名画は嘘をつく』では名画が125作品も紹介されており、今では続編も何冊も発行されている人気シリーズになっている。本当に木村泰司氏の知識量の多さには脱帽である。私の連載はその数に遠く及ばずまだ16回・・・紹介したい建築作品はまだまだあるのだが、執筆する時間がなかなか・・・という言い訳はやめておこう。これからもがんばって、みなさんにたくさんの建築の『物語』をご紹介したいと思う。将来は『東京建築物語』から『日本建築物語』さらには『世界建築物語』へと、『マジック・ランタン』が高く舞い上がる夜空の如く、夢だけは大きく・・・。
筆者:三村 大介