老々介護の現実。疲れで体調を崩す娘に、健康自慢する96歳の認知症の父。楽しみは施設からスーパーへ買い物に行くこと

2025年3月5日(水)11時0分 婦人公論.jp


イメージ(写真提供:Photo AC)

高齢者が高齢者の親を介護する、いわゆる「老老介護」が今後ますます増えていくことが予想されます。子育てと違い、いつ終わるかわからず、看る側の気力・体力も衰えていくなかでの介護は、共倒れの可能性も。自らも前期高齢者である作家・森久美子さんが、現在直面している、96歳の父親の変化と介護の戸惑いについて、赤裸々につづるエッセイです。

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前回〈コロナから復活した96歳認知症の父。電話攻撃に辟易していると、父は「久美子多忙 TELしないこと」とメモしていた〉はこちら

健康な父に理解してもらえない私の体調不良


父が老人ホームに入居してから1年経った2024年10月。ホームの規則正しい生活のせいか、父は体調も頭の回転も好調で穏やかな日々を過ごしている。ホームの敷地内にあるデイサービスに行くのは週に2回。デイサービスでの入浴は、浴槽が大きいし、体を洗うときの補助もしてもらえて快適だという。

風邪気味でデイサービスを休んだ場合は、日をずらしてホームの建物内のお風呂に入れてもらっている。おかげで、父はいつも肌のコンディションも良い。会話の切り返しも早く、認知症の進行が止まっているように見える。

一方、私の体調は秋が深まり寒さが厳しくなるにつれ悪くなってきた。朝起きた時からどこかが痛く、父より肌の艶がない。加えて精神的に疲れることが重なると、嘔吐するようになってしまった。

前からセットされていた会食などの席を断れず、頑張って食べた時は、家に戻ってコートを脱いだ途端にトイレに駆け込む。嘔吐の恐怖で、好きな食べ物を口にしなくなっている。本当は好きな辛い味付けの物、揚げ物、コーヒーなどを普通に摂れるようになりたい。

原因不明の体調不良について、わざわざ人に言うことでもないし、父にも言っていなかった。心配をかけないように、時間に都合がつく限り、ポットにコーヒーを入れて、ホームの居室へ話し相手に行っている。

私がコーヒーを飲んでいないことに父が気付いたのは、雪が降り始めた11月中旬になってからだ。コーヒーカップを口に運びながら、突然私に言った。

「おまえもコーヒー好きだったのに、どうして飲まないんだ?」

「最近胃の調子が悪くて、コーヒーや脂っこいものが食べられないの……」

「そうか、かわいそうに」

労わってくれていると思いきや、父は私に訊ねる。

「胃が痛いって、どういう感じだ?」

「え?」っと、一瞬絶句してしまった。痛さをわからない人に、説明するのはすごく難しい。私は真剣にどう表現しようか考えた。

「パパ、間違って紙とかで指を切ったことはない?」

「あぁ、あるよ」

「その時指がヒリヒリして痛いよね。そういう痛みが胃にきている感じ」

「それは辛いな。俺は何を食べても痛くない」

「人が辛いと言っているのに、さりげなく頑健さをアピールするのですか!」と私は心の中で父に悪態をついた。体調不良の人に自分の健康を誇る無神経さは、昔から変わっていない。気にしていたら私はもっと胃が痛くなりそうだ。

同じことを繰り返し聞かれて、ついイライラしてしまう


師走の声を聞いても、私の体調は回復せず、消化器のいろいろな検査を受けた。結局逆流性食道炎以外はこれといった病気は見つからなかった。

お医者さんは介護のストレスが原因だろうと言う。しかし、家で父の面倒を見ていた時に比べたら、老人ホームの居室に行って話し相手をするくらい、何ということはない。ご飯作り、洗濯、入浴介助のどれもしていないのに、ストレスで不調だなんて、在宅介護を続けている人に申し訳なくなる。むしろ仕事でストレスが多かったのが原因だと自分では思っていた。


イメージ(写真提供:Photo AC)

12月の中旬、午後3時半頃にコーヒーを持って行き、お菓子を渡してから、一輪挿しの水を替えたり、新聞を畳んだりしていると父が私に訊ねた。

「まだコーヒーが飲めないのか?」

「うん、胃が痛くてね」

「悩みがあるのか?」

「まあ、仕事をしているといろいろあるよ」

と私が答えると、父は意外なことを言い出した。

「良かったな。仕事があって。おまえはあと2年で古希だろう? そんな年になって仕事をくれる人がいるなんて、ありがたいと思ったほうがいい」

父もたまには良いことを言うなと思った。そのうちに、テレビで水戸黄門の放送が始まった。たぶん40年位前の番組の再放送だ。画面を見ながら父は呟いている。

由美かおるはきれいだな」

「本当にきれいだね」

私が相槌を打つと父は喜ぶ。今日の私の役目をこなしたと思っていたら、父が予想外の
質問をしてきた。

「何年生まれだ?」

私はスマホを使って検索し、由美さんの生まれ年を伝えると、父は驚いている。

「えーっ、今は70代か? こんなにきれいだからもっと若いはずだ」

「あのね、確かに今もとても若くてきれいだけど、この番組はずっと前の再放送だよ。由美さんが30歳位の時じゃないかな?」

1時間近い放送中ずっとこの会話が繰り返され、私はイライラしてきた。

「パパ、何回も同じことを聞かないでよ!」

「俺はさっきも聞いたか? 覚えていない。ボケたのかな?」

ついに私は言ってしまった。

「そうだね!」

父は非常に前向きな性格だから、私の辛らつな言葉に落ち込んだ様子はない。

「96歳なんだから、すぐに忘れても仕方ない。おまえも俺の年になったらわかる。長生きしてみろ」

私はきっぱり言った。

「最近体調が不良で、長生きする自信はありません」

「それは困る。俺より先に死ぬな」

オーマイ・ダッド! そんなふうに言われると、冷たくしきれなくて却って辛くなるじゃない!

たまに一人で買い物をする楽しみ


老人ホームと父と私の三者で、父が一人で外出する際の取り決めをしている。病院や外食や散髪などは私が車で連れて行くが、近所の小さなスーパーには、父が一人で歩いて行くのを認めるということを確認し書類を出してある。

父は96歳。若い頃から方向音痴なのに、買い物に行って一人で無事に帰って来られるかどうか、実は心配だった。書類を提出する前に、私は2人の息子に相談した。

「おじいちゃんのホームから100メートル位のところにスーパーがあって、そこへは一人で自由に行かせてあげたいと思っているのだけど、どう思う?」

2人とも老人ホームに来たことがあるので、スーパーまでの距離と、段差のない歩きやすい歩道があることを知っていた。

「スーパーとホームの間には、交差点も信号もないし、まっすぐ歩くだけだから、大丈夫だと思うよ」

長男がそう言うと、次男も賛成してくれた。

「かあさんがおじいちゃんのところに行かない日に、お菓子を買いに行く自由があったほうがいいよね。一人で好きな物を買う楽しみがある方が、長生きできるんじゃないかな」

ひと月に2度程父は一人でスーパーに行っているが、道に迷ったことはない。

2024年の暮れが押し迫ったある日、ホームに面会に行った私が入り口で入館手続きしていると、受付の女性が報告してくれた。

「お父様、午前中に買い物に行かれましたよ。予想していた時間になってもお帰りにならなくて……探しに行こうかと思っているうちにお戻りになったので、ほっとしました」

私は心配をかけたことをお詫びしてから言った。

「すぐ近くなのに、どうして時間がかかったのか、父に聞いてみますね」

父は焼き芋が大好き


父の居室に入ると、焼き芋の香りがする。ゴミ箱に目をやると、お芋の皮やレシートが入っていた。

「パパ、今日は焼き芋を買ってきたんだね。おいしかった? 受付の人が、戻るのが遅かったから心配したっておっしゃっていたよ」

「甘くておいしかった。でも焼き芋ができるのに時間がかかったんだ。店の中で焼いているそうで、焼き上がるまで30分位かかると言われて待っていた」

「どこで待っていたの?」

「店の中で立って待っていた」

私は店内で父が立っている様子を思い浮かべ、「体力あるね」と父を褒めてから聞いた。

「立っているのは疲れたでしょう?」

「いいや」

と返事をした後に父は「疲れを知らない子どものように……」と、どこかで聞いたことがある歌を口ずさんでいる。一人で外出したのが余程うれしいのか、焼き芋がとてもおいしかったのか、父は終始上機嫌だった。

私は老人ホームからの帰り道、父の行くスーパーに寄って牛乳などを籠に入れてレジに並んだ。料金を払う際にレジの人に聞いてみた。

「午前中に焼き芋を買いに来た高齢の男性がいたと思いますが、担当していらっしゃいましたか?」

「はい。来ると必ず焼き芋を買われるので、お顔も覚えていますよ」


イメージ(写真提供:Photo AC)

「私は娘です。お芋が焼き上がるまで待たせていただいていたそうですね。父が立っていたら、ほかのお客様の迷惑になったのではないでしょうか」

レジの人は微笑んで答えてくれた。

「いいえ、座って待っていただいていました」

立っていたというのは父の思い違いらしい。小さなスーパーなので、椅子を置いたら通路を塞いでしまって邪魔になるはずだが、どこにいたのだろう。レジの人は、バックヤードに行くドアを指差して私に言った。

「事務所の中で待っていてもらいましたよ」

私は丁寧にお礼を言って店を出た。知らないところで、父に優しく接してくれる人がいることが心底ありがたかった。

(つづく)

【漫画版オーマイ・ダッド!父がだんだん壊れていく】第一話はこちら

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