彬子女王殿下 研究の道に進んだことは、祖父・三笠宮殿下の存在が大きかった。後世に日本文化を伝える活動を通して、父・寛仁親王殿下の教えを引き継ぐ

2025年3月24日(月)12時30分 婦人公論.jp


「美術や文化は特別なものとして大切に保存するものではなく、人々の生活のなかに息づく存在であってほしいという思いも持っています」(撮影:三浦憲治)

英国オックスフォード大学で2010年に博士号を取得された彬子女王殿下。ご著書『赤と青のガウン オックスフォード留学記』はベストセラーとなっています。グローバルな視点で日本美術史の研究をされた殿下が今、国内で伝統文化を伝える活動に励まれる思いをうかがいました(構成:山田真理 撮影:三浦憲治)

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<前編よりつづく>

美術や文化は生活のなかにある


英国から戻られて活動の中心が日本文化に向かわれました。何かきっかけがおありでしょうか。

——帰国後、京都の大学で仕事を始めたことから、日本文化を担う方々からお話をうかがう機会が増えました。京都には神社仏閣も多いですし、伝統工芸の職人や作家も大勢いらっしゃる。

そうした方々が口をそろえて「工芸品の需要が減って大変だ」「この道具を作る人がいなくなったら続けていけない」とおっしゃるのを聞いて、自分にできることはないかと考えるようになったのです。

海外で日本美術を研究するうちに、自国の文化なのに知らないことがたくさんあると実感していました。また、美術や文化は特別なものとして大切に保存するものではなく、人々の生活のなかに息づく存在であってほしいという思いも持っています。

研究だけではなく、少しでも多くの方にその意味を伝える活動をしていきたい。そう思っていた頃、雑誌での連載のお話をいただきました。

その連載『日本美のこころ』『最後の職人ものがたり』が昨年、一冊の文庫になりました。

——煎茶や竹工芸、植物染めなど、生活のなかに息づいてきた日本文化をひとつひとつ取り上げて、魅力や思いを綴る。あるいは、伊勢の神宮の御神宝や皇居の盆栽、ボンボニエールなど皇室ゆかりの文物についても書かせていただきました。

『最後の職人ものがたり』では全国に取材し、烏帽子、琵琶、金平糖など、昔ながらの製法でものづくりに励む職人の皆さまからお話をうかがえたことは、私にとって宝物のような体験でした。

文庫化の折に職人の皆さまの現在のご様子を知ることができ、「後継者が見つかった」という知らせを聞いてほっとすることもありました。

日本の伝統文化は「その家の人が継ぐ」というイメージが強いかもしれませんが、まったく違ったところから弟子入りをしたり、偶然の出会いから始めた方も多かったり、豊かな物語にあふれています。


『日本美のこころ』(著:彬子女王/小学館)

職人の方々のそういったエピソードとともに、子どもたちに「将来、こんな仕事をする選択肢もあるんだよ」と伝えたいという思いを強く持ちました。

子どもたちに本物の日本文化にふれる機会を提供し、未来へ繋げたい。この連載を続けながらそんな思いが膨らみ、心游舎(しんゆうしゃ)という団体を立ち上げて13年になります。

一期生として参加してくれたお子さんが社会人になっていてびっくりしたりも(笑)。幼稚園での和菓子のワークショップに始まり、田植えから稲刈りまで行う米作り体験はもう10年目になります。

能登半島地震に際してはクラウドファンディングもなさっています。

——能登の漆芸職人の方々が、震災前から技や文化の継承問題に悩んでいらしたことは存じており、切れかけた糸がぎりぎりで残っているような状態と感じておりました。

その支援をするとともに、能登の漆芸文化を広く後世に伝えるため、「お能」の舞台にしてみよう。そんな試みにたくさんのお志を寄せていただき、本当に感謝しております。

三笠宮家の歴史を妃殿下からうかがって


そういった活動はお父様である寛仁親王殿下の影響でしょうか。

——父は、「皇族というのは、国民のなかに自ら入り、国民が求めることをするのが仕事だ」とつねづねおっしゃっていました。父にとってそれは、社会福祉やスポーツ振興、青少年の育成でした。

父から引き継がせていただいたお役目も大切にしながら、私は日本文化を後の世まで伝えるという活動を、研究、執筆、心游舎の運営を通して続けていく。そうして父の教えを引き継いでいるつもりでおります。

寛仁親王殿下が、留学記がベストセラーになったことをお知りになったら、さぞお喜びでしたでしょう。

——どうでしょう。きっとすごく悔しがられたのではないでしょうか(笑)。連載の1回目を読んでいただいた時も、「25歳で留学記を出した俺にようやく並んだな」などとおっしゃって。

ですから今回も絶対素直に褒めてはくださらず、「まあ、たまたまだろう」くらいのご感想ではないかと思います。

研究の道に進んだことは、祖父である三笠宮殿下の存在が大きかったと感じています。殿下は古代オリエント史がご専門の歴史学者です。幼い頃、わからないことをうかがうと、何冊もの百科事典や辞書からコピーを取って渡してくださった。

本によって記載内容が違うと知ることで、さまざまな資料にあたる大切さ、何かを鵜呑みにせず自分なりに答えを探す道筋について教えてくださっていたのだと思います。

その話を10年ほど前に妃殿下にしたところ、「トモさん(寛仁親王殿下)みたいに勉強嫌いな人はともかく、彬子ちゃんのような勉強好きにああしてすぐ教えてしまっては、ためにならないのではと思っていたわ」とおっしゃって(笑)。

「いえいえ、おじいちゃまのあの教えがあったから、私は研究者になったのです」と熱弁をふるったものでした。

敬愛する祖父のお伝記(『三笠宮親王』)の編纂作業に関わらせていただいた折、妃殿下から三笠宮家100年の歴史について詳しくうかがえたのは、大切な思い出です。お二人が出会われる前、殿下がまだお小さい時からのエピソードを、写真をご覧になりながら楽しげにお話しくださいました。

妃殿下にいろいろなお話をうかがわせていただく時間は、本当に楽しかった。昨年11月に妃殿下がお隠れになられた後、それがもう叶わないことが本当に寂しくて……。失ったものの大きさを改めて感じています。

今後の目標としては、どのようなものがおありでしょうか。

——実は、私、なるべく目標を定めないようにしております。道を定めてしまうと、ほかにあったかもしれない素敵な選択肢に気づかないまま進んでしまうかもしれません。今いただいている役目や仕事を誠実に務めながら、結んだご縁を大切に歩んでいきたいと思っています。

婦人公論.jp

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