NHK朝ドラ『カムカムエヴリバディ』が描いた「夢が叶わないこと」。その後の人生のほうが長いのだから、そちらを教えるべき

2025年4月12日(土)8時0分 婦人公論.jp


イメージ(写真提供:Photo AC)

貧困家庭に生まれ、いじめや不登校を経験しながらも奨学金で高校、大学に進学、上京して書くという仕事についたヒオカさん。「無いものにされる痛みに想像力を」をモットーにライターとして活動をしている。第86回は「カムカムが描いた夢が叶わないこと」です。

* * * * * * *

ジョーの描かれ方が斬新


現在再放送中の連続テレビ小説『カムカムエヴリバディ』(NHK)は、安子(上白石萌音)、るい(深津絵里)、ひなた(川栄李奈)と親子3代のヒロインの物語が描かれる画期的な内容で、名作と言われることも多い。

身分違いの恋が実るも、戦争により死別してしまう安子編はとくに人気や評価が高い。個人的には、安子の娘・るいの物語が印象的だ。

『カムカムエヴリバディ』は3人のヒロインが登場すること以外にも斬新な点がある。るいの夫、ジョーこと大月錠一郎(オダギリジョー)の描かれ方だ。

るいはひとりで回転焼き屋を切り盛りしながら子ども2人を育てるのだが、夫であり父親でもあるジョーは、無職なのだ。

仕事がないことに違和感を抱くのは、ジョーが男性だからか? と自分の中のジェンダーバイアスを疑ってみたが、家庭に入った女性が無職の場合、家事や子育てを一手に引き受けるか、多めに負担するものだ。

しかし、ジョーは家のことすらできないのだ。子どもの遊び相手にはなるけれど、これといって何かするわけでもなく、加えて筋金入りの不器用で、簡単な計算もできないので店番もできないし、回転焼きの仕込みをさせるとかえってるいの手間が増えてしまう。

プロデビューが決まった矢先


専業主夫ともいえない男性が登場するのは、なんとも珍しく感じる。

るいと出会った頃のジョーは、戦争孤児だったがジャズ喫茶の店主に拾われ、トランペッターとしての才能が開花。東京のレコード会社の社長が審査員を務めるオーディションで優勝し、プロデビューも決まった。しかし、いざ上京しレコーディングするとなると、トランペットが吹けなくなってしまった。


イメージ(写真提供:Photo AC)

仲間たちが、他のことはできるのにトランペットだけ吹けないという原因不明の症状を治すため、医者を訪ね回り奔走するも、結局治らずプロデビューの夢は潰えてしまった。現代では病名がつくだろうが、当時は未知の病だったのかもしれない。

ジョーはるいのために別れようとするが、るいはどんなジョーでも受け入れる覚悟が決まっており、説得してふたりは家庭を持ったのだった。

このドラマで画期的だと思った点は他にある。それは、「夢が叶わないこと」を正面から描いていることだ。

花咲く日は来ない


るいはいつか治療法が見つかった時のために貯金までしていた。ジョーの才能にほれ込み、心から応援する人はたくさんいて、誰もがいつかまたジョーがプロの演奏者として舞台に立つ日を心待ちにしていた。

普通のドラマだったら、こういう場合、何か新しい治療法などが見つかって、一発逆転、夢が叶う。困難は夢が叶うための伏線で、苦労が多いほど、報われた時の幸せも大きくなる。

でも、『カムカムエヴリバディ』ではそうはならない。ジョーがプロのトランペッターとして花咲く日は来ないのだ。

しかし、このストーリーこそ、とてもリアルだと思った。

メディアは、最後は努力は報われる、いつか夢は叶うというストーリーを持て囃し過ぎている。そういう全体では極めてレアなケースだけ持ち出して一般化するのはどうなのか、といつも思う。


『死ねない理由』(著:ヒオカ/中央公論新社)

もちろん、苦労が望んだ形で報われる人だっている。でも、そうではない方が、現実には多いのではないだろうか。

努力は報われないし、夢は大抵叶わない。そっちの方がよほどリアルなのだ。人生を生きていれば、そういった現実とも折り合いを付けていかないといけない。

何が本当に幸せかはわからない


ジョーは、トランペッターとして花咲くことはできなかった。でも不幸な人生だったか? というと、決してそんなことはない。仲間に恵まれ、子どもに恵まれ、何より、どんな姿でも受け入れてくれるるいと出会った。

るいはトランペットが吹けなくても、決して見捨てたりなどしなかった。それどころか、仕事の手伝いも、家事もろくにできないジョーでさえ受け入れたのだ。


イメージ(写真提供:Photo AC)

そういう点では、ジョーの人生は幸せだったのではないだろうか。

何か大きな成功をおさめることや、たくさんの人に認められることが幸せだと思われがちだが、実際はそうとも限らない。結局は自分がどう感じるか、それがすべてだとも思うのだ。

一見夢を叶え、成功をおさめたかのように思えても、その立場だからこそ受けるプレッシャーや責任で潰れてしまう人もいるし、名声に人が寄ってきて人間不信になることだってある。何が本当に幸せかはわからないものだ。

最近、アイドルのオーディション番組が増えている。合格した人が注目されるが、その背後には、その何倍もの通過しなかった人たちの人生がある。プロのスポーツの世界も、活躍できずに引退していく人たちの方が多い。夢が叶わないほうが多数派で、それを失敗だと断じることはできない。そして、夢が叶わなかったあとの人生の方が長いのだ。

夢が叶わなかった先の生き方を考える方が大事なのではないかと思う。

前回「劣悪な環境の労働に「嫌なら辞めればいい」は正論ではない。自己責任で片づけるのは思考停止、建設的な議論を生まない」はこちら

婦人公論.jp

「NHK」をもっと詳しく

「NHK」のニュース

「NHK」のニュース

トピックス

x
BIGLOBE
トップへ