<自分はクレームを言ってよい人間だ!>40代手前の逆玉男。見当違いな怒りから透けて見えた意外な家庭事情とは…

2025年4月14日(月)6時30分 婦人公論.jp


(イメージ写真:stock.adobe.com)

店の利用客から従業員が迷惑行為を受ける「カスタマーハラスメント(カスハラ)」が社会問題として注目されています。4月1日から、全国初のカスハラ条例が東京都や北海道などで施行されました。「悪質なカスハラ」と「耳を傾けるべき苦情」の違いに悩む方も多いのではないでしょうか。大手百貨店で長年お客様相談室長を務め、現在は苦情・クレーム対応アドバイザーとして活躍する関根眞一さんは「カスハラに対抗するためには実態を知り、心構えを持つことが必要」と指摘します。そこで今回は、関根さんの著書『カスハラの正体-完全版 となりのクレーマー』から、一部引用、再編集してお届けします。

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突然の呼び出し


私が百貨店を退職する直前に出会った、思い出深いクレーマーのお話をします。その方との出会いは閉店した直後の21時5分。宝石売り場からお客様相談室に電話が入りました。「お客様が怒っている、責任者を呼べ」とのこと。事務所には私の他に事務員がいましたが、帰り支度の最中でした。対応できるのは私しかいないので1人で出向いたところ、そこに、濃紺のTシャツを着て、年齢の判断が付かない男が立っていました。

体格が良く目つきは鋭く、腕っぷしも太く短髪、得体のしれない感じがありました。その男の発した最初の言葉は「あんたは、必ず俺の前でボロを出すよ」。そして、1メートルもない距離から睨まれました。私は恐怖を感じました。

恐怖の理由は、年齢が想像出来ないことからだろうと思いました。話をしても、決して歳をとっているようには感じないが、隙がなく、落とし穴を用意されているように感じました。それに、怒っている理由を話してくれません。興奮して苦情を大声で言うのであれば、その対応は心得ているのですが。

私と男は店の通路で睨み合うような形で非常に近い距離に立っていたため、圧力もすごく、押しを感じました。こんな輩は初めてで、ここは時間をかけて相手を観察することに決め、「手強いが何とかなる」と感じるのに10分も費やしました。その間、「あんたは、必ず俺の前でボロを出すよ」と、また男は意味不明なことを言います。再びの言葉に、暗示に掛からないよう警戒しました。

長時間かかると覚悟


店内が一部消灯し、これは長時間掛かるだろうと予想しました。運よく、その日は誰とも約束はなく、じっくり対応できると思いました。閉店してお客様の姿が完全に引くと、店内の照明をそれ以上落とさぬよう管理室に連絡し、応接室に移動することにしました。

移動の際のわずかな時間に、男は歩きながら「俺の携帯の番号を、女房に教えた奴がいる」と言った。これが苦情か、とピンときました。個人情報なので対応が面倒です。ただ相手が奥さんならば、奥さんを味方にすることで収まると踏みました。


『カスハラの正体-完全版 となりのクレーマー』 (著:関根 眞一/中公新書ラクレ)

応接室では、宝飾担当の課長がお茶の用意をして待っていました。男が席に着き、私が対面に座ろうとすると、「座るな、立って対応しろ」と言います。

威嚇のつもりなのでしょう。男に断って席を外し、課長と話すと「見たことがない方だが、どうも外商に担当者がいるようです」とのこと。外商とは、企業か個人に担当者が付き、年中訪問して注文を取る組織です。この男は俗に言う「ビップ」でお得意様の層だと判明しました。

数分して戻ると、男はいく分落ち着いてきているようで、初めて座る許可が出ました。相手の本性が分からないときは、言いなりになっているほうが良いものです。座って向き合い、この輩は若いと感じました。何か、困った状況に陥っており、その原因が電話番号の洩れにあると想像できました。

当時私は53歳でしたが、相手は40代手前と読みました。初対面時は、その判断が出来ないほど恐怖が先に立っていたのです。想像の付かない出来事と、相手の「ボロを出す」という言葉、そして体操選手のような筋肉、そして、なぜ怒っているのか話さないことなどが、今までにない経験だったため、こちらも警戒を強めていましたが、落ち着けば片は付くものです。

男はお茶を口にして、初めて出来事を語り出しました。

2台目の携帯電話


「俺の女房はブラックカードを使うが、俺は持たされていない」

と言って言葉を切ります。その瞬間に私は、こいつは「逆玉」なのだろうと判断しました。そして、携帯電話を2台以上持ち使い分けているのだろう。婿だから女房には弱く、何も言えず従っているだけだろう。

そう読むと、何となくかわいそうな気もしてきました。さらに会話を続けると、事情が見えて来ました。


(イメージ写真:stock.adobe.com)

「今日は買い物でなく、俺の携帯番号を女房に知らせた奴がいる、そいつに会いに来た」

顔を見ると、優しい目つきになってきています。自分の情報を晒したことで、威勢を作る必要が失せたのでしょう。ここからは、こちらが先導し事を収める仕事になります。

「時計売り場に谷口と言う男がいる、そいつが女房の問いかけに、俺の電話番号を知らせた」

つまり、奥さんに知られてはまずい携帯電話の番号を、店員が開示したことで困っている、ということなのでしょう。

それは大変だろうと、にやける私。そして、管理が甘いと思いました。今までの態度は、私への威嚇ではなく、自分を奮い立たせるための威勢だったのでしょう。男はようやく「その谷口を呼べ」と口にしました。私は課長に、該当社員が居たら呼ぶよう指示をしました。

谷口が来るまでの間、私は相手の仕事内容や、その家庭内の立場や住まいを聞いて実生活を把握しました。女房のおやじさんが鳶職で稼ぎ、一代でブラックカードを保持するまでに成功していました。

昭和のバブル期を乗り切った中小企業のトップに立っている人物には多い事例です。男は、それなのに、自分はまだブラックカードを持たせてもらえないと萎んでいました。

声を荒げる男


さて、携帯の話に戻ります。奥さんが、この男の時計の修理品を取りに来た際、店員が電話番号の確認をした。奥さんは男が修理依頼時に台帳に記載していた番号を知らず、2台目の携帯電話を持っていることが明らかになってしまったそうです。


(イメージ写真:stock.adobe.com)

この男、外に女がいるようで、問題の携帯はその連絡に使っていたようです。奥さんに迫られて認めたかどうかは知りませんが、ことによったら家を追い出されかねない事態だったのかもしれません。

谷口が応接室に入ってきました。

「お前がしゃべったんだろう」

と男は声を荒らげます。

「申しわけございません」

と言って谷口は頭を下げる。

男は今にも殴り掛かりそうな形相になっていますが、「まあまあ、この者も2台目の番号とは知らなかったようで、その件は家庭内で収めていただかないと。さらにことが大きくなるといけませんので、外野は引き下がります」と、私は言い切りました。

当然、相手は言葉がありません。

「申しわけございませんが、彼はもう帰しますがよろしいでしょうか」

と言うと、素直に頷きました。

アドバイスは禁物


ここから苦情が脇道に逸れ、言いがかりを付けてくるかと思ったのですが、気が抜けたようです。男の置かれた状況について、思い浮かぶ対応策はいくらでもありますが、アドバイスは禁物です。

そのアドバイスの結果あらぬ方向に行ったということになると、さらに面倒になります。求められたら、「そのような境遇にないものですから、自分では判断できません」と、言うことです。

でも、からかうのは自由です。私は今までの恐怖感が消え、若造をいじりたくなり、同時に気の毒にもなりました。いつしか、自分が裕福になり、金が自由に使えることから増長し、自分はクレームを言ってよい人間だ、それが当然だと勘違いするクレーマーになっていたのでしょう。

会話が途切れ、その場の空気がよどんだので、私は男に話を振りました。

「どんな趣味をお持ちですか」

「車かな、今、ランドクルーザーに乗っている」

「大きい車の都内での運転は難しいでしょう」

「慣れたよ、今洗車してもらっている」

「そうですか、当店でですか」

と聞くと、そうだと答えた。絶対にボロは出せないと思って臨んだ結果、気持ちが落ちつきました。それに、この方は、苦情の二の矢は持ち合わせていないようです。

すでに21時50分を回っていました。洗車も終わっているはずです。それを告げると素直に「帰るか」と言い、立ち上がりました。この後の奥さんとの戦いはそう簡単ではないでしょう。

「送りますよ」と相手を先導しました。すでにお客様用エスカレーターとエレベーターは停止になっているので、従業員用のもので移動をし、別館のカーディーラーまでお送りしました。

男は洗車が終わった車に乗り、走り出しました。坂のコーナーを出る前に、急ブレーキがかかる。ドアが開き、男が私の名前を呼びます。おっとりとそこに行くと、「関根さん見てよ、これだよ」と、前ガラスに流れる二筋の水跡を指し「しっかり拭けよな、これが百貨店の仕事だよ」と言われました。やっと元のクレーマーに戻れたのでしょう。

さらに、ついでがありました。

「また会えるかな」


「関根さんはいつもいるの」

「いやいや、私はあなたとは付き合いたくないですよ。もう二度と会わないでしょう」

と言うと、憮然としました。

「いや、申しわけありません。本当のことを言うと、**さんとはいつまでもお付き合いを願いたいのですが、2か月後には退社して他の企業に移ります」

と伝えると、一瞬笑みを浮かべたが、本当にがっかりしたようで「ほんと、それは残念だ、また会えるかな」と。私は「無理でしょう」とにやりとし、彼も笑い、車のドアを閉めました。

このとき、この男まだ若いと踏み、20代後半なのだろう、と読みを改めました。走り去る車は元気になっていました。がんばれ。

※本稿は、『カスハラの正体-完全版 となりのクレーマー』(中公新書ラクレ)の一部を再編集したものです。

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