入社式に「3ヵ月」遅刻した驚異の新人…!?「阪急電鉄」生みの親・小林一三の若き日の苦悩

2025年4月16日(水)12時30分 婦人公論.jp


(写真提供:Photo AC)

子どもの巣立ち、親の介護など…中年期を迎え環境が変わり、この先の人生を憂いている方もいらっしゃるのではないでしょうか。そのようななか「後世で『偉人』と称された人のなかには、人生の後半で成功した『遅咲き』の人が少なくない」と話すのは、偉人研究家、伝記作家の真山知幸さん。そこで今回は、真山さんの著書『大器晩成列伝 遅咲きの人生には共通点があった!』より「阪急電鉄」の生みの親・小林一三が「創作者」という長年の夢をかなえるまでを一部引用・再編集してお届けします。

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阪急阪神東宝グループを創業した実業家の小林一三


〈30代だけど「将来何になろうかなぁ」って感じで生きてる〉

SNSの「X」にて、あるアカウントからの投稿です。たちまち共感の声が集まって話題となりました。

〈40代だけどだいたいそんな感じ。未来のことはポジティブに考えたい〉

〈50代だけど、たまに通勤電車の中でこれを思う〉

「人生100年時代」が到来した今、年齢と関係なく、夢を追う人がますます増えていきそうです。

夢に向かって具体的に動き出せる人は、すぐに始めたほうがよいでしょう。「今日が人生で一番若い日」というフレーズが、背中を後押ししてくれるはずです。

しかし、なかには、夢はあるけれど何から始めればよいかわからない……そんな人もいるかもしれません。それでも心配は無用です。今やっていることを一生懸命やっていれば、自然と自分のやりたかった分野に近づいたりもするからです。

阪急阪神東宝グループを創業した実業家の小林一三が、まさにそうでした。

かつて一三が夢見たこと……。それは小説家として、創作活動を行うことでした。

20歳 入社式に「3カ月」遅刻した驚異の新人


一三は明治6(1873)年、山梨県の韮崎町の裕福な商家に生まれました。

小説家を志した一三は、15歳で慶應義塾に入学すると、学業そっちのけで執筆活動に夢中になりました。

ある日、東洋英和女学院校長が何者かに殺されるという事件が起きると、一三はすぐさま関係者にあたりました。そして取材内容を小説にして、「山梨日日新聞」で「練絲痕(れんしこん)」というタイトルで連載を始めることになったのです。

新聞小説がまだ珍しい時代で掲載のハードルが低かったとはいえ、事件を取材して作品を書き上げ、新聞社に提案しているのですから、なかなかの行動力です。いきなり夢に向けて確かな一歩を踏み出すことになりました。

しかし、あまりに事件から日が浅かったため、関係者ではないかと疑われてしまい、一三は麻布警察署から取り調べを受けることに……。連載も中止に追い込まれてしまいます。

一三は大学卒業後、新聞社への勤務を志望します。理由は、「小説家になるのに一番の早道は新聞社に勤めることだ」と聞いたからでした。

意気揚々と都新聞(現在の東京新聞)に応募しますが、結果はあえなく不採用。結局、一三は三井銀行に就職しました。明治26(1893)年、20歳になったばかりのことです。

それでも、小説家になる夢を諦めたわけではありません。銀行に勤務しながら、挑戦を続けようと一三は考えたのです。

仕事を持ちながら別の夢を追うのはよいですが、一三の場合は、仕事へのやる気のなさがあからさまでした。入社日を迎えても一向に出社せず、実に「3カ月」も遅刻しています。3日ではありません。3カ月です。

しかも、何か特別な事情があったわけではなく、出社日を迎えても、ただ実家でのんびりするばかり。その後は、熱海の温泉旅館で療養し、旅先で女性に恋したりしているのだから、呆れたものです。

20代 サラリーマン生活は「耐えがたき憂鬱」


ずいぶんマイペースな一三ですが、3カ月も遅れて入社した新人を、周囲がよく思うはずがありません。しかも一三が小説を書いていることも、早々と社内に知れ渡ってしまいました。

すぐに大阪への転勤が命じられたかと思えば、今度は貸付係から預金受付へと店内で左遷させられるなど、完全にダメ社員扱いを受けています。


(写真はイメージ。写真提供:Photo AC)

一三は小説家の夢に未練があったため、銀行を辞めて新聞社への転職を考えることもしばしばでしたが、かないませんでした。

プライベートでは、実家からの潤沢な仕送りを、茶屋遊びに散財。このときに知り合ったコウという女性と結婚することになりますが、銀行からすれば、「女たらしで役に立たない文学青年」という存在でしかなかったようです。

何をやってもうまくいかない


やがて東京本社に復帰するも、重要でない課に配属されてしまいます。一三は常にこんな思いを抱えていました。

「銀行の仕事は少しも面白くない」(※)

そんな不満を持ちながら、新聞社への就職はかなわずとも、せめて環境を変えたいと、住友銀行や北浜銀行への転職を試みるも失敗。三越呉服店に誘われたときは嬉々として借金までして三越株を買い込みましたが、最終的には内定に至りませんでした。

何をやってもうまくいかなかった一三。のちにこう振り返っています。

「東京における三井銀行時代は、私にとっては耐えがたき憂鬱の時代であった」(※)

(※)小林一三著『小林一三─逸翁自叙伝』(日本図書センター)

※本稿は、『大器晩成列伝 遅咲きの人生には共通点があった!』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)の一部を再編集したものです。

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