「自分は大切にしてもらった記憶がほとんどないのに…」機能不全家庭で育った男性(41)に家族との絶縁を覚悟させた“子どものころの記憶”
2025年4月21日(月)8時0分 文春オンライン
障害や病気のある兄弟姉妹がいる子どものことを「きょうだい児」という。システムエンジニアの白井俊行さん(41)は、4歳年上の兄が6歳の時に難治性のてんかんと知的障害を負い、家庭環境が一変。兄の障害により、家族関係や学校生活に大きな影響を受けた白井さんは、29歳で両親と絶縁するに至った。

両親や兄と疎遠な暮らしを続けていた白井さんは29歳の時に、3カ月の休暇を取得して実家に戻ったことがある。兄が施設で暮らすようになっており、祖母も認知症で施設に入っていたため、「普通の家族」を経験する最後のチャンスだと思ったという。
しかし、穏やかな時間は1か月ほどで終わりを告げた。母親が癌の手術後に双極性障害を発症したのだ。
白井さんが母親をケアする生活が始まったが、父親は非協力的だった。
「父は料理ができないので、僕が料理を作って父には皿洗いを担当してもらったのですが、『俺が家事をやるなんて屈辱的だ』という雰囲気を全身から出していて。洗ったお皿を乱暴に置くので割れたこともありました」
休暇を延長して母の世話に力を入れるか迷った白井さんだが、決め手になったのは子どもの頃の記憶だった。
「自分は大切にしてもらった記憶がほとんどないのに、なんで僕は仕事を休んでまでこの人たちのためにご飯を作っているんだろう」
「『家族は助け合うべき』といっても…」
結局、白井さんは当初の予定通り3カ月の休暇が終わるタイミングで「家族に関わるのはこれで最後にしよう」と覚悟を決め、東京へ戻ることを決意した。
その後、白井さんは実家との関わりを絶った。母親からの電話にも一切応じず、母親が亡くなった後は父親とも連絡を取らなくなった。兄の世話については「親亡き後」問題は自分が考えることではないと割り切っている。
「『家族は助け合うべき』といっても、夫婦や親子、兄弟姉妹と実はいろいろ別の関係性が含まれていますよね。夫婦はお互いを自分の意思で選べるし、離婚で家族をやめることもできます。親から見た子どもも、『子どもを育てよう』と自分たちで決意した責任がある。でも『子どもから見た親』や『兄弟姉妹』は自分で選択したものではないですよね。生まれてきたら勝手に『家族』にカテゴライズされ、『助け合い』を求められる。それはフェアではない」
白井さんの経験は、障害のある兄弟姉妹を持つきょうだい児が抱える葛藤や、家族関係の複雑さを浮き彫りにしている。
(「文春オンライン」編集部)
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