ツタンカーメンの父の時代に築かれたエジプトの古代都市を発見
2025年4月23日(水)20時0分 カラパイア
エジプト北部で、これまで誰にも知られていなかった、約3400年前に築かれたとされる失われた古代都市が発見された。
この都市は古代エジプト第18王朝のファラオ(王)であり、ツタンカーメン王の父であるアクエンアテン王の時代に作られたものだという。
出土した遺物の中には、ツタンカーメン王の異母姉、メリトアテンの名前が記された壺などが見つかっている。
これまでこの地域に最初に定住したのは、古代エジプト文明の後に栄える古代ギリシャ文明の人々だったと考えられてきた。
今回の発見は、古代エジプト文明が地中海沿岸まで広がっていたことを示す、大きな手がかりとなった。
この研究は『Antiquity[https://www.cambridge.org/core/journals/antiquity/article/new-ramesside-settlement-north-of-mareotis-lake-kom-elnugus-egypt/F09B6CC1BEA166AC94981843BCDDC635]』(2025年1月23日付)に掲載されたものだ。
エジプト黄金期に建設された失われた都市を発見
フランス国立科学研究センター(CNRS)の考古学者によって発掘された新たな遺跡は、地中海とマリュート湖の間に挟まれた、アレクサンドリアから西に43km離れた「コム・エル=ヌグス(Kom el-Nugus)」で見つかった。
エジプト、コン・エル=ヌグスの遺跡で新たに発掘された古代都市の遺構 image credit:Sylvain Dhennin/Antiquity Publications Ltd[https://www.cambridge.org/core/journals/antiquity/article/new-ramesside-settlement-north-of-mareotis-lake-kom-elnugus-egypt/F09B6CC1BEA166AC94981843BCDDC635].
この古代都市は、新王国時代エジプト第18王朝(紀元前1570年〜前1293年頃)に作られたもので、遺構からは陶製の壺や鉢、神殿だったらしき石灰砂岩で作られた建物、礼拝堂や記念碑の石片など、さまざまな遺物や建築物が出土している。
メリトアテンの名が語る“王家の痕跡”とワイン作り
コム・エル=ヌグスの歴史を紐解くうえでとりわけ示唆に富んでいるのが、アンフォラ(ワインや植物油などを保存した古代の容器)に押された刻印だ。そこには「メリトアテン」という名が刻まれていた。
メリトアテンは、第18王朝のファラオ「アクエンアテン(アメンホテプ4世)[https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%AF%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%82%A2%E3%83%86%E3%83%B3]」と王妃「ネフェルティティ[https://karapaia.com/archives/52253658.html]」の長女で、「ツタンカーメン」の異母姉にあたる。
研究チームによると、この地域ではワインが作られており、その銘柄として王女の名が使用されたのではないかという。
遺跡と王家とのつながりは、その歴史的重要性を示すものだ。
アクエンアテン王は唯一神アテンを主神として奉じた宗教革命を行ったファラオとして知られている。メリトアテンとは、「アテンに愛されし者」という意味だ。
そのような王女がワイン作りに関係していた可能性は、新王国時代の王家が商業や地域のアイデンティティにもたらした影響を知る貴重な手がかりであるという。
新たに発見された遺構は約3,400年前のものと推定されるている image credit:Sylvain Dhennin/Antiquity Publications Ltd[https://www.cambridge.org/core/journals/antiquity/article/new-ramesside-settlement-north-of-mareotis-lake-kom-elnugus-egypt/F09B6CC1BEA166AC94981843BCDDC635].
軍事や宗教の拠点だった可能性も
またコム・エル=ヌグスの遺構は、その規模や整然とした街区といった点でも印象的だ。整備された街路や複雑な排水路が確認されており、かなりの人口がおそらくは季節に応じて滞在していただろうことが伺える。
神殿の碑文に兵士や軍事について記載があることから、軍事的機能を担った可能性も指摘されている。
この遺構にはラムセス2世が建てたとされる神殿や、軍人の名が刻まれた私的な礼拝堂も存在していた
神殿自体は大部分が解体されているが、岩盤の跡・基礎石・入口の通路といった名残が見つかっている。
こうしたことから、アクエンアテン王の時代に建設が始まり、その後、ラムセス2世によって拡張された可能性がある。
そしてこの場所が宗教および戦略的な役割を担っていた可能性も読み取れるという。
ラムセス2世の神殿から出土したラー・ホルアクティ神を描いた石材/G. Pollin/Institut Français d’Archéologie Orientale/Antiquity Publications Ltd[https://www.cambridge.org/core/journals/antiquity/article/new-ramesside-settlement-north-of-mareotis-lake-kom-elnugus-egypt/F09B6CC1BEA166AC94981843BCDDC635]
古代エジプト文明は地中海沿岸地域にまで広がりを見せていた
コム・エル=ヌグスで発掘された町が当時なんと呼ばれていたのか不明だ。
そもそもエジプトの地中海沿岸に人が住み始めたのは、ヘレニズム期(紀元前323年〜前30年)以降の古代ギリシャ人だと、これまでは考えられていた。
だがそれ以前の新王国の町は、その地の古代エジプトの歴史がもっと前にさかのぼることを伝えている。
コム・エル=ヌグスで発掘された建築や遺物から考えると、一時的な野営地ではなかったことがわかる。
街路沿いに建物が並び、高度なインフラも存在することから、きちんと都市計画が練られ、長期間暮らせるよう整備されていたことがよくわかる。
古代都市が発見された場所と詳細を示す地図 image credit:Sylvain Dhennin/Antiquity Publications Ltd[https://www.cambridge.org/core/journals/antiquity/article/new-ramesside-settlement-north-of-mareotis-lake-kom-elnugus-egypt/F09B6CC1BEA166AC94981843BCDDC635].
研究を率いたフランス国立科学研究センターの考古学者シルヴァン・デニン博士は「都市の規模はまだ分からないが、通りの構造から大規模な定住があったと考えられる」と述べている。
発掘作業はまだ終わっておらず、今の時点で遺跡の詳細はわかっていない。それでもすでに、黄金期における古代エジプトがおさめた地中海沿岸地域の歴史に新たな光があてられている。
References: A new Ramesside settlement north of Mareotis Lake (Kom el-Nugus, Egypt)[https://www.cambridge.org/core/journals/antiquity/article/new-ramesside-settlement-north-of-mareotis-lake-kom-elnugus-egypt/F09B6CC1BEA166AC94981843BCDDC635] / Archaeologists Unearth Ancient Egyptian Town Built by King Tut’s Father[https://www.ancient-origins.net/news-history-archaeology-ancient-places-africa/hidden-town-ancient-egypt-0022029] / 'Major' ancient Egyptian town discovered — and it has a jug stamped with the name of Nefertiti's daughter[https://www.livescience.com/archaeology/ancient-egyptians/major-ancient-egyptian-town-discovered-and-it-has-a-jug-stamped-with-the-name-of-nefertitis-daughter]