朽ちたタンスから母の遺した豪華なケースを発見。老後に光が見えた気がしたけど…
2025年5月1日(木)12時30分 婦人公論.jp
イメージ(写真提供:Photo AC)
連載「相撲こそわが人生〜スー女の観戦記」でおなじみのライター・しろぼしマーサさんは、企業向けの業界新聞社で記者として38年間勤務しながら家族の看護・介護を務めてきました。その辛い時期、心の支えになったのが大相撲観戦だったと言います。家族を見送った今、70代一人暮らしの日々を綴ります
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自慢話の独演会にうんざりした2人
デパートのレストラン街のトイレでのことである。大きな鏡の前で自分の顔を見て、今後、もっと老化するぞと思った。蓄えに余裕のある高齢の友人たちは、年齢に関係なく、シミ取りやシワ取りなど美顔にいそしんでいる。父の借金返済と介護、母と兄の介護に全員が亡くなるまで金銭をつぎ込んだ私は、経済的な余裕がない。だが、家族の介護に対する後悔はないのだ。
そして、顔の筋肉は衰えても、好奇心だけは衰えを知らない。トイレの個室から出てきた60代と見える2人が、手を洗いながら話していることに興味をもち、その場にいた。
「レストランに戻りたくない。このまま帰りたい。自分が惨めになるわ」
「同感。彼女の自慢話の独演会ね。親の遺産で家をリフォーム。金持ちの友人と2人で海外旅行。旦那は一流企業の重役、息子もエリート社員で嫁と孫はなにかと気を使ってくれる」
「あなたと家が近いから時々会っているなんて、同窓会で話してしまい、ごめんね」
「また食事に誘ってきたら、パートの仕事があるとか、家族が病気とか言って断ろうよ」
2人は、厳しい顔をしてトイレを出ていった。
私は70代に突入するまで、他人の自慢話をいろいろ聞いてきた。それが見栄で嘘だと知ったこともある。また、本人は自慢のつもりでなくても、聞いている人には自慢話になってしまう場合がある。
お宝があるから泊まりたくない家
その2日後の夜、70歳で一人暮らしの友人から電話があった。
彼女には、70代後半のA子さんという友人がいて、ご主人が亡くなり3ヵ月がたち、「自分も一人暮らしになり寂しいから、泊まりに来て欲しい」と言われ、泊まりに行ったのである。
友人は、「独身で年金暮らしの私には、旦那の素晴らしさや財産を自慢されているみたいで、すごく嫌だった」と、言うのである。
A子さんは、ご主人が生前から相続のことを考えてくれ、A子さんに家と金銭を残してくれたことを話した。問題はその後だった。
A子さんは、「主人がこれを全部買ってくれたのよ」と、大きな宝石箱を出してきて見せたのである。金のネックレス、宝石が輝く指輪、高価な腕時計などがそこにあった。
買取店の人が見たら、高価買取をしてくれるのが間違いなしの品々だ。
友人は、「何かなくなったら、泊まった私が盗んだと疑われる。もう泊まりに来ないわ」とA子さんに言ってしまったそうだ。すると、A子さんから「息子夫婦が来月から一緒に住むから大丈夫」と言われたのだ。
そして友人は、「あなたが買取店に行った時のことを彼女に話したら、彼女は爆笑していたわ。私も聞いた時は笑ってしまったけれど、気にしていたらごめんね」と言われた。
リッチな奥様気分から貧しいババアに戻る
私の家には、母が嫁入りの時から使っていた朽ち果てた箪笥がある。私が、その引き出しを、母が亡くなった後に開けた時の話を、以前に彼女にしたのである。
西陣織やビロードの布を貼り込んだケースが、引き出しから10個出てきた。ケースを開けると、指輪、ネックレス、ブローチ、ネクタイピンが入っていた。これを買取店に持って行き、現金化すれば…と、私は有頂天になり、暗い老後に光が見えた気がした。
高揚した気分で買取店に到着し、テーブルに広げると、店長が身を乗り出した。「昔はこういう布を張り込んだケースに、指輪とか入れていたのですよ」と、昭和を想っているようだった。私はリッチな奥様気分になっていた。
そこから、貧しいババアの現実に戻るのには、10分もかからなかった。
全部が金メッキ、偽の宝石、ネクタイピンにいたっては、「どこかの観光地の土産店で見たことがある」と、店長は遠慮なく述べた。
「このケースに何で入れたのですかね?」と、店長はケースを持ち上げて底まで見た。
私が判明したことを話すと、店長は、我慢した顔になったものの、ついに笑ってしまった。
落ち着いて考えてみれば、いつも借金に追われていた両親に、金のネックレスや宝石の指輪を買う余裕があるはずがなかった。
なぜ立派なケースがあったかというと、両親の仕事はケースの製造だったからだ。ジュエリーの貿易商や店舗から依頼があると、見本として布張りのケースを作り、少しでもイメージが浮かぶように安価な指輪やネックレスを入れていたのだろう。
店長は、「こんなに本物らしい偽物を、いくつも持って来る人は珍しい」と、笑顔で感想を語っていた。
他人のことをうらやましいと思うのは、気持ちが若い証拠でもあると最近思うようになった。自分の人生はここまでで限界と思うと、絶望的な気持ちにはなるが、他人の豊かで幸せな人生は他人のもので、自分が同じように生きることはできないのだ。自慢はできなくても、笑われても、一応、生きてはいける。