「心が押しつぶされそうになりました」62歳で大腸がんを宣告されたモンベル創業者が気づいた“恐怖心”の受け入れ方

2025年5月10日(土)8時0分 文春オンライン

 モンベル創業者にして登山・アウトドアの達人として知られる辰野勇氏。現在もアウトドアスポーツの振興や地域活性化、災害支援活動など、さまざまな活動に取り組む同氏だが、いまから約15年前には大腸がんを宣告されていた。身体を蝕む病にどう向き合ったのか。


 ここでは、同氏の著書『 自然に生きる 不要なものは何ひとつ持たない 』(角川新書)の一部を抜粋。がんを患ったことによって得た気づきを紹介する。(全2回の1回目/ 続き を読む)





◆◆◆


自然の中に身を置くと、野性が蘇る


 人間も、自然の一部です。


 美しく、ときには厳しい自然環境に身を置き、その大切さを実感する。すると、自然に生かされていることに気づかされます。


 以前、旭山動物園(北海道)の坂東元園長(当時)から、オランウータンの生態についてうかがったことがありました。


 オランウータンのように知能の発達した動物でも、「心配」という概念を持っていないそうです。人間と違って、「あの木に飛びつくのは危険ではないか。落ちたらケガをするのではないか」と余計な心配をせず、「目の前の状況をどうクリアしていくか」だけを考え、一瞬一瞬を生きているというのです。一方、人間(ホモ・サピエンス)には、「見えていないことを頭の中で想像する」という能力(=想像力)があります。人間と野生動物との違いのひとつが「想像力」だといいます。


 想像力は人類の進化を促しました。しかし、想像力を持ったからこそ置き去りにしてきたものがあります。それは、「『今』を生きようとする姿勢」です。人間がクヨクヨするのは、想像力があるからです。想像力がネガティブな方向に向かえば、不安に駆られて悲観的になります。「まだ起きてもいないこと」を心配するようになります。


人間が過去を振り返るのはなぜ?


 人間は想像力のほかにも、野生動物が持たない能力を有しています。それは、言語化能力です。京都大学前総長で霊長類学者・人類学者の山極壽一氏と対談する機会をいただきました。山極氏は、ゴリラ研究の第一人者です。


 私が山極氏に、「ゴリラやチンパンジーは、今この瞬間を生きていて、加齢などで能力が損なわれても、それを受け入れていくそうですね」と質問をすると、「ゴリラでも落ち込むことはあります」と教えてくださいました。


 おもしろいことに、自分の本来の衝動が発揮できない状況では、引きこもってしまうゴリラもいるそうです。しかしゴリラは、落ち込んだとしても、今の自分と過去の自分を比べて、「不幸になった」と悲観することはありません。山極氏は、「ゴリラにも記憶があります。ですが言語を持たないため、過去の記憶を再現できません」と述べています。


「以前、フランシーヌ・パターソンという発達心理学者が、マイケルという雄ゴリラに手話を教える実験をしたことがあります。マイケルは見事に手話を覚えたそうです。パターソン氏が試しに、アフリカにいたころの状況を聞くと『お母さんが首を切られて殺されてしまった』と手話で表現したというのです」(『OUTWARD』No.84より引用)


 ゴリラにも過去の記憶は残る。けれど、言葉を持たないから想起することがないため、過去をあまり振り向かない。ゴリラは、今を生きています。


「自然の中に身を置くこと」で感じること


 一方、人間は、過去を確認して落ち込んだり、喜んだりします。


 人間も本来、オランウータンやゴリラと同じで、余計な心配や詮索、推測、憶測をせず、今を一所懸命に生きる力を持っていたはずです。ですが、想像力と言語化能力に依存しすぎた結果、その力が薄れているのではないでしょうか。


「自然の中に身を置くこと」で、本来身につけていたはずの「今を生きる力」を呼び戻すことができるように思います。私は山に登るたび、森に入るたび、川を下るたび、そんな瞬間を感じることがあります。


心を救ってくれたのは、「自然の存在」


 2009年12月24日に、大腸の内視鏡検査を受けました。定期検診で便に潜血が見つかったからです。内視鏡で腸管内を見ていくと、キノコ状のポリープがあらわれました。病理検査を行うために、内視鏡でポリープの一部を採取。生検の結果は正月明けに聞かされることになりました。


「ガンだったらどうしよう?」。人の命に限りがあることは百も承知でしたが、いざその現実を突きつけられたとき、自分でも驚くほどうろたえました。


 若いときから命がけの登山やカヌーに挑んできたのに、これほど取り乱すとは思いませんでした。


 1月5日に生検の結果を知らされました。


 大腸ガンでした。心が押しつぶされそうになりました。


 手術は1月28 日に決まりました。先生は「初期のガンなのでリンパ節への転移はない」と説明してくれましたが、悪い想像ばかり膨らんでいきました。


「62歳まで好きなことをやらせてもらえたのだから、たとえここで死ぬことになっても、幸せな人生だったのではないか……」


 そんなことを考え、死に対する心の折り合いをつけようとしました。


 生と死の狭間で揺れる私の心を救ってくれたのが、「自然の存在」でした。


 山の中を歩いているとき。新幹線の車窓から富士山が見えたとき。自然に触れたとき、心に絡みついていた恐怖心がスーッとなくなっていきました。そして「今の自分」「今の状況」を受け入れることができたのです。


 それは、理屈では説明できない穏やかな感覚でした。

〈 「社長室はキャンピングカー」譲り受けた幼稚園の送迎バスを改造して全国へ…! モンベル創業者が乗っていたキャンピングカーがすごかった 〉へ続く


(辰野 勇/Webオリジナル(外部転載))

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