伊藤比呂美「 天津飯と『ろうやぼう』」

2024年5月17日(金)12時30分 婦人公論.jp


(画=一ノ関圭)

詩人の伊藤比呂美さんによる『婦人公論』の連載「猫婆犬婆(ねこばばあ いぬばばあ)」。伊藤さんが熊本で犬3匹(クレイマー、チトー、ニコ)、猫2匹(メイ、テイラー)と暮らす日常を綴ります。今回は「 天津飯と『ろうやぼう』」。食べに行ってからハマっているという天津飯の話、そして一緒に食べに行った女友達のルッキズム論について——(画=一ノ関圭)

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天津飯にハマっている。

急に食べたくなって、女友達を誘って食べにいったのが発端だった。卵の部分はもちろんだが、なにより白いご飯がうまかった。とろとろのあんをたぷたぷにからませて口に入れるその感触が、至福すぎた。

家に帰って、そのまま毎日作り続けている。そういえばだいぶ前にオムライスにハマった。あのときのハマり方にも似てるのだが、天津飯は、オムライスより好きなんだと思う。飽きずに熱がずっと続いている。

二年前オムライス熱にかかったときに買った二十センチのフライパンは、丁寧に使っているからまだ新品同様で、毎回レンジの前でぴかぴか光るフライパンを取り出す瞬間も、誇らしくてとても好きだ。

嚥下障害のある高齢者は、とろみをつけたものなら吞み込みやすい。寝たきりの母もそうだった。病院の食事はみんな形をつぶされて、とろみをつけてあった。それを見て、いやだなこんなものを食べるのはと思っていたが、違う。知らなかっただけだ。おいしいのがわかった。今はもう、ああいう食事を食べるのが楽しみでならない。

七十五になる女友達がいる。天津飯を食べにいった友達だが、こないだはウチに呼んで町中華をやった。天津飯に麻婆豆腐(これも得意中の得意)、そして餃子専門店で買ってきた餃子を焼いて。

女友達は、学校の先生じゃないが「先生」と呼ばれるキャリアを持って生きてきた人だ。それがこの頃会うたびに中国の歴史ドラマ、「ろうやぼう」(『琅榜』)他の話をする。天津飯の日もウチ町中華の日もくり返したから、ついにあたしもその熱を理解した。

その彼女が「ルッキズムが」と言うのである。「ルッキズムが、それこそが私の人生で今まで全否定されてきたものだ。外見のよしあしでふりまわされるのは愚かなことだと信じ込まされて育てられた。私は熊本の田舎のよい子だった。質素に正直に誠実に、がモットーで、勉強するしかなかったのだ」

「あの頃人気があったのはロバート・レッドフォードとか『ウエスト・サイド物語』とかだったけど、私は見向きもしなかった。ビートルズや何かにハマってる子もいたけど、良い子(私のような、と身ぶりで示し)じゃなかったし、私はそんなもの、非現実の中でのあこがれにすぎないと思っていた。とにかく別世界だったのよね」と女友達は言った。

そういえば、とあたしも考えた。

父が好きでよく見ていた時代劇も、主人公は、かっこいいとは言えない、恰幅のいい初老の男たちが多かった。彼らが正しくて強い主人公をつとめるのが、正統派の時代劇だった。めくるめくような恋愛なんてのは基本なくて、男同士のマウンティングに話が終始していたのは、お茶の間の原則もあったろうし、日本文化が江戸の昔から、女の目で見たいい男、対等のセックスというのを封印してきたからかもしれない。

「そうなのよ、中国ドラマを見始めてから、日本にはすてきな男があまりいないというのにガクゼンとしたのよね。中国ドラマはみんな背が高くてハンサムなのよね。

いい男を見て、いいなと思い、いいなと言う——これまでできなかったことに、死ぬ間際の年になって(いやいやまだまだなんですけど、とあたしは言った)今やっと気がついて、こうして溺れているわけなのです」

彼女の発言に、いやはやすごい、フェミニズム的にも女の一生としても奥義を究めてるなとあたしは感じ入り、Wikipediaで大河ドラマを検索して、二人で、歴代の男たちを査定してみた。

中村錦之助、平幹二朗、尾上何々、高橋何々、だめ、だめ、だめ、だめ、と彼女は吐き捨てるように否定して、「背が小さいのよね、貧弱か太り過ぎかどっちかなのよね」と言うから、「いや、それはそれでいい味がある……」と、背の高くない男にも太り過ぎの男にも貧相な男にも寄り添った経験のあるあたしは言ったが、「しょせんフィクションのエンタメなんだから、好きなものを見たいのよね」と聞く耳を持たぬ。

「じゃ韓国ドラマは? きれいな男がたくさん出てくるってみんなハマってるでしょ」とあたしが聞くと、

「韓国の歴史ドラマはねえ、男がみんな同じ帽子被ってて、みんなひげがあって似たような服着てるから、よくわからないのよね」と女友達はのたまいました。

紙幅が尽きる前に、天津飯、あたしのコツを語ります。あたしが作るのは芙 蓉蟹 (フーヨーハイ)自分でご飯に載せてセルフ天津飯です。

蟹かまとみじん切りの葱。フォークでよく溶いた卵三個に、塩少々と白胡椒。

まず、あんを作る。量は超たっぷり、味は超薄め。でないとあんを最後まで食べ尽くせない。中華用チキンスープ、酒をだばだば、砂糖少々、めんつゆ少々。水溶き片栗粉でとろみをつけておく。

なによりのポイントは油の多さだ。

天ぷらですかという量の油を、この動作をやり続けて五十年というような料理人の姿勢とスピードでフライパンに入れてよくよく熱し、しゃっと音を立てて卵を流し入れ、強火で手早く、半熟が半熟じゃなくなるその瞬間に火を止める。深皿に移して、あんを注ぐ。溺れるかというところまで。

オムレツ風の溶け出してくる半熟より、ぱりっと焼いた中にうまさを封じ込めた卵の方が、あんに、すっきりとよくからまる。


(画=一ノ関圭)

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