96歳ハンドメイド作家「誰かの役に立てたら」60年続けた絵画教室の後、羊毛フェルトの販売に挑戦。手作り作品が人気

2024年5月29日(水)12時30分 婦人公論.jp


山下民子さん(94歳)(撮影:藤澤靖子)

年齢に関係なく好奇心旺盛で前向きな人は、どんな日々を送っているのだろうか。そのヒントを探るため、手作り作品や音楽に情熱を傾けるおふたりに話を聞いた(撮影=藤澤靖子)

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絵画教室で教えて60年


東京・港区のマンションの一室。壁には羊毛フェルトの動物や、色とりどりの花のコサージュ、リメイクした小粋なアクセサリー、バッグや彫刻など、さまざまな手作りの作品が飾られている。

その一つひとつを弾むような口調で説明してくれるのは、ハンドメイド作家の山下民子さん、94歳だ。

若い頃に開いた絵画教室を60年も続け、500人ほどに教えてきたという。ときには生徒たちとバザーを開き、福祉施設に寄付をすることもあった。

昔から社会貢献活動に関心が高かったが、2011年、東日本大震災の甚大な被害を見て、「被災地のために何か作って寄付したい」と考えた。

「子どもたちを励ましたいと考えて、最初に作ったのが『まけない(負けない)カルタ』。かつての絵画教室の生徒さんたちに描くのを協力してもらったんです。紙粘土で作った『猫のお雛さま』は、大変なときでも雛祭りを祝いたい方がいらっしゃるだろうと思って作りました」


何本かの糸が集まって1本の糸になるような人とのつながりで、今日まで来た感じです」と山下さん

その後、より多くの人に作品を届けたいと、87歳のときに、娘2人とネット通販のハンドメイド・ショップ「Tammys(タミーズ)」を立ち上げた。以来、売上金の一部を寄付し続けている。

さまざまな作品の試作を重ねるなかで生まれたのが、ふわふわの羊毛を専用の針でつついて繊維をからめる「羊毛フェルト」の作品だ。山下さんの手法は、フェルト生地の上に犬や猫、リスなどの動物や草花のモチーフを配置し、色とりどりの羊毛を刺してふんわり立体的に仕上げたもの。

これが注目されるようになり、次第に愛犬や愛猫を亡くした人から、「そっくりに作ってほしい」といったオーダーが入るようになる。写真をもとに依頼者と相談しながら制作したペットの肖像作品、羊毛フェルトの「ペットポートレート」が評判を呼んだ。

「単にそっくりに作っているのではなく、飼い主の方とワンちゃん猫ちゃんとの《思い》を形にするお手伝いができれば、と取り組んでいるんです」

実際に見せてもらうと、愛らしい表情のワンちゃん猫ちゃんが、額縁からいまにも飛び出してきそう。山下さんの作品のいちばんの特徴は、物語を感じさせる生き物の表情の愛らしさだ。

「完成品をお送りすると、『愛犬にそっくり。箱を開けた瞬間に目が合って、思わず涙が出ました』『いつもあの子が目に入るように、家具の配置も変えました』などという、うれしいお手紙をたくさんいただいて。お礼にと、地元のおいしいお米や野菜を送ってくださる方もいるんですよ。だから作っている私のほうが感動してしまうの」


羊毛フェルトに針を刺してふんわりさせていく

尽きない創作意欲


フェルト針を持つ手を動かしながらにこやかに語る山下さんだが、これまでを振り返ると波瀾万丈の人生だ。

生まれは1929年。高等女学校4年のとき、父の赴任先の北京に家族で渡った。単身で寄宿舎に入ったが、1ヵ月後に敗戦を迎える。戦後の混乱を経て、なんとか約1年後に帰国し、家族と涙の再会を果たした。

そして美大に通う姉に憧れ、武蔵野美術大学彫刻科へ進学。しかし父親は大陸から引き揚げてきたばかりのうえ、きょうだいのうち6番目だった山下さんは、自力で学費を稼ぐことに。

「焼け残った荻窪の実家で、大学に通いながら絵画教室を始めたんです。従姉妹が子どもの友達を16人も集めてくれて、本当に助かりました」

先輩と夜な夜な新橋や銀座の盛り場に行き、似顔絵描きにも勤しんだ。「デッサンの腕を磨くことはできたけど、酔っ払い相手の仕事は嫌なこともありましたよ」。


これまで制作した作品たち

大学卒業後、同級生だった男性と結婚し、夫の仕事の都合で名古屋へ。長女の出産を機に専業主婦となり、次女が小学校に上がる際に東京へ戻る。

それをきっかけに東久留米の団地の集会場で再び絵画教室を開いた。当時は児童の絵画教室がブームで、教室はつねに満員。多いときは3クラスで80人以上になった。

「観光バスを貸し切って動物園へ写生に行ったり、2泊3日の夏期講習をしたり。大変でしたが楽しい思い出です」

教え子たちの作品は毎年のように公募展へ出品され、山下さんも指導者賞を何度も受賞した。

子どもたちを飽きさせないために、水彩画や七宝焼、銅板レリーフなど幅広いジャンルのもの作りを学んでは教えた。児童絵画ブームが去ったあとも、大人向けのクラフト教室を始めると引き続き人気となる。

「外出先で、『そのアクセサリー、素敵ですね』と声をかけられるんです。『私が作ったんですよ』と言うと、教えてほしいとおっしゃる。こうして生徒さんが増えていくの(笑)」

生徒が増えたためアシスタントとして美大生を集めた。世話好きの山下さんは、「アルバイト代を渡すほかにご飯を作って食べさせて。自分だって疲れているんですけどね(笑)。そんなだから働きすぎで心臓が破けちゃったんです」。72歳で心臓の手術を受けることになった。

「そのときに引退を考えて、生徒さんたちに手紙を書いて知らせたんです。ところが退院して帰宅したら、『先生、いつ教室を再開するんですか。子どもたちが待っています』とお母さんたちが言うの。子どもたちは心配するどころか友達まで連れてきちゃって(笑)。結局それからまた7年、教室を続けることになったんです」

社交的で創作意欲旺盛のまま、81歳まで頑張り続けてきたが、一人暮らしを心配した次女夫婦の誘いもあり、港区のマンションへ引っ越すことに。山下さんは、老若男女たくさんの生徒たちに惜しまれながら、のべ60年教え続けた教室を閉じた。


最近作った額入り作品やアクセサリーなど

絵画教室がなくなり、住み慣れた場所を離れて、意気消沈したりはしなかったのだろうか——。

「それが、どうも私は暇を感じる間もなく何か始めちゃう人なのね(笑)。引っ越して間もなく、経歴を聞いた近所の人に、『区のお祭りで花のコサージュ作りを教えてください』『小学校の放課後教室をお願いします』とお声がかかって。どんどん引き受けてしまいました」

2人の娘は、子どもの頃から絵画教室をサポートしてきたが、それぞれ母と同じ美大を卒業。サンフランシスコ在住の長女・YURIさんはジュエリーデザイナーになり、次女のひろみさんは商品開発とデザインの仕事に就いた。

山下さんが80歳の春には、念願の母娘3人展を都内の画廊で開催。そして、2011年の震災をきっかけに始めた試行錯誤が、「タミーズ」としての本格的な活動につながった。

山下さんが手がける「羊毛フェルト」の心あたたまる世界観に娘さんたちも魅了されて、3人の制作体制となる。たとえば「ペットポートレート」は額装した肖像作品を山下さんとひろみさんが、ぬいぐるみのような立体作品はYURIさんが担当。三者三様のセンスとクオリティの高さが自慢だ。

「娘たちには感謝です。彫刻家としての経験から、もっとこうしたらと伝えて切磋琢磨するという感じ。もう私を凌ぐ力量ですよ」


YURIさんの立体作品(左)と、ひろみさんの額入り作品(右)(写真提供◎タミーズ)

注文が来ればお客様に喜んでいただきたい、そして作品が誰かの助けになれば、という一心で手を動かす。88歳のときには自宅で4日間連続のチャリティバザーを開いて大盛況。3人は、人の役に立ちたいという、ぶれない思いで立ち上がった。

その思いは、11年から続けている、宮城県の東日本大震災こども育英基金や、動物保護団体への寄付に表れている。

「じつはベランダで転んで腰を痛めたので、いまは体調に合わせて自由にもの作りを楽しんでいます」

明日は何を作ろうか——とワクワクしながら眠りにつく。これからも、新しい創作にチャレンジする山下さんの作品が見られるはずだ。

後編につづく

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