「戦後復興のシンボル」力道山が他界して60年、未亡人の知られざる数奇な半生…男性社会の洗礼、特殊な業界に翻弄

2024年7月11日(木)8時0分 JBpress

パリ五輪、高校野球やMLB(メジャーリーグベースボール)など、今年の夏も注目のスポーツイベントが目白押し。そこで今月は、スポーツビジネスの裏側、スター選手や家族の努力や苦悩、スポーツサイエンスなど、様々な視点から「スポーツの今」を読み解く5冊をご紹介します。

選・文=温水ゆかり


戦後復興のシンボル”力道山を妻の目から描く、傑作ノンフィクション

著者:細田昌志
出版社:小学館
発売日:2024年5月31日

【概要】

第30回小学館ノンフィクション大賞受賞作。 “戦後復興のシンボル”力道山が他界して60年。妻・田中敬子は80歳を越えた今も亡き夫の想い出を語り歩く。しかし、夫の死後、22歳にして5つの会社の社長に就任、30億円もの負債を背負い、4人の子の母親となった「その後の人生」についてはほとんど語られていない──。

〈未亡人である敬子には、相続を放棄する手もあった。
 しかし、それは考えなかった。
「そんなことを、主人は絶対に望んでないって思ったんです」
敬子は社長を引き受けることにした〉(本文より)

「力道山未亡人」として好奇の視線に晒され、男性社会の洗礼を浴び、プロレスという特殊な業界に翻弄されながら、昭和・平成・令和と生きた、一人の女性の数奇な半生を紐解く傑作ノンフィクション。

 2024年の小学館ノンフィクション大賞を受賞した『力道山未亡人』。この本の中に流れる時間はタイトルから想像するより膨大だ。日本統治下にあった朝鮮半島生まれの百田光浩(ももた・みつひろ/力道山の戸籍名/1924〜1963年没)史であり、プロレスの興亡史であり、プロレスという切り口から見た政治経済史、裏社会史のようでもある。

 未亡人とは旧姓田中敬子さんのこと。日本航空の国際線エアガール(客室乗務員のこと)時代に、力道山から猛烈なアタックを受け、22歳で大物政治家がズラリと居並ぶ世紀の結婚式を挙げるも、半年後の12月15日、身重の身体で未亡人になってしまった。

 力道山は翌年開かれる1964年の東京五輪を二つの理由で心待ちにしていた。

 一つはIOCが韓国と北朝鮮の統一チームを作るよう勧告を出していたことから、二カ国同時国交回復が成し遂げられるかもしれないと希望をつないでいたこと。

 二つ目は故郷に残してきた女性の産んだ娘が、北朝鮮代表のバスケットボール選手としてやってくる可能性があったこと。

 現実には北朝鮮と韓国は折り合えず、二カ国としての参加になった。しかも北朝鮮はオリンピック村での処遇を巡って大会をボイコット。開催の2日前に、選手団全員で引き揚げている。

 南北統一が宿願だった力道山は、この騒ぎを見ずに済んだ。しかし、政界に多くのコネを持った力道山なら、違った方向に進めることもできたのではないかという人もいる。


「金はいくらかかってもいい。何とか助かるようにしてもらってくれ」が最期に

 閑話休題。冒頭で力道山死傷事件の顛末が詳述される。1963年12月7日、浜松で日本プロレスの年内最終興行を終えた力道山は予定を変更し、翌8日の朝に帰京。昼に赤坂の自宅(リキアパート)で高砂親方を迎える。「大相撲アメリカ場所」の団長に任じられた親方が、現地の興行関係者に顔が利く力道山を頼ってきたのだ。

 かつて自分を冷遇した角界に頼られたとあって、宴を用意して迎えた力道山は終始上機嫌だったという。夕方には全員を引きつれ、料亭「千代新」で飲み直し、夜9時からのTBSラジオ「朝丘雪路ショー」の収録に向かう。すべて徒歩圏だ。

 が、酔っ払いすぎていて収録はボツに。力道山はそれでもまだ飲もうと、ラジオのスタッフも誘って「コパカバーナ」に向かう。夜の大使館と呼ばれ、無名女優だった根本七保子がインドネシアのスカルノ大統領に見初められ、第三夫人「デヴィ・スカルノ」となった高級クラブだ。

 が、力道山の気が途中で変わる。7、8人と人数が多かったためだろう。行き先をコパカバーナより広いナイトクラブ「ニューラテンクォーター」に変更。事件はそこで起こった。

 トイレからロビーに抜ける狭い通路で、住吉連合の若いヤクザともみ合い、ナイフで腹部を刺されたのだ。力道山は表沙汰になることを嫌っていったん家に戻るが、説得されて再び山王病院に戻り、緊急手術を受ける。この時点では順調に回復するはずだった。

 が、12月15日の朝、容態が急変。再手術が行われ、午後4時の段階で手術は成功と言われる。敬子さんは6日ぶりに帰宅して入りたかったお風呂に入るが、妙な胸騒ぎがしてならない。

 夜9時に「奥さん、すぐ来て下さい」との電話で病院に駆けつけると、全員が押し黙っている。医師が沈黙を破って「ご臨終です」と言うのを聞いて、敬子さんは気を失い暗闇に墜ちた。

 手術室に消えるとき、夫が「俺はまだ死にたくない」「金はいくらかかってもいい。何とか助かるようにしてもらってくれ」と言ったのが、夫婦の最期の会話になってしまった。

 こんな悲劇の幕開けの後、敬子さんの生いたちに遡る部分が、戦後復興期の活力そのもののようで明るく楽しい。健康優良児で、中3のとき神奈川県代表として、岐阜で行われた青少年世界赤十字世界大会に参加。

 そこで駒場高校に通う大宅映子と知り合い、彼女に感化され、初めて聞く大学名だったけれど、自分も国際基督教大学を目指そうと決める。高2のとき「横浜開港百年祭」の記念英語論文コンテストで優勝するなど、敬子さんは外交官になるのが夢だった。

 しかし受験に失敗。女性が浪人するなんてめったになかった時代に、娘に浪人を許した神奈川県警・茅ヶ崎署長の父上のリベラルさは見上げたもの。一方、駿台予備校に通う総武線の中でふと目に留めた「客室乗務員、臨時募集」の貼り紙を見て、試験度胸を付けるために応募。みごと15名の合格者の一人となった敬子さんの優秀さも天晴れではないか。

 著者の細田昌志氏に、敬子さんのことを書くよう勧めたのは、前著の取材で訪ねた安部譲二氏だった。安部氏と敬子さんは日航同期。安部氏は著者にこう語ったという。

「たったの半年で後家さんになっちまったんだよ。再婚もしなかった。不思議な人生だと思わないか」「相当苦労したらしいよ。何せ力道山は莫大な負債を抱えていたからさ。それを全部背負わされたんだもん。彼女の長い年月を書いてほしいんだ。読みたいな」


政治家と大物ヤクザが暗躍する世界に投げ出された身重の23歳

 力道山の死後、敬子さんには社長業など受け継ぐ気はなかった。しかし顧問弁護士がやってきて、グループ企業全ての代表取締役になってもらうと言う。出産も控え、無理ですと応えると「これは相続です。法的にそうするしかありません。それとも相続を放棄しますか」と。

 力道山には、入籍しなかった女性との間に、短大生の長女、高校生の長男、中学生の次男と三人の子がいた。彼らの生活や将来のこともある。敬子さんは相続することにした。

 リキアパートやリキマンション、松濤の土地や相模湖畔、箱根、油壺の土地など、合計30億円(現在の価値にして約100億円)ほどあった。が、ゴルフ場、レース場、ホテル建設などの計画が進行中で、約8億円(現在の価値で約30億円)の負債も。

 早く引退してビジネスを手がけたがっていた力道山は、5つの会社をグループ会社にしていた。1)日本プロレス興行、2)マンション建設や土地売買を行うリキエンタープライズ、3)レストランやボーリング場を経営するリキスポーツ、4)ボクシングジムの経営と興業を手がけるリキボクシングクラブ、5)相模湖畔に一大レジャーランドを建設しようとしていたリキ観光開発。

 身重の23歳で、5つの株式会社の、5つの異なる業務をこなさなければならなくなった敬子さんだが、これはほんの序の口。長い長い道のりの始まりだった。

 夫の死に続いて、自民党副総裁で力道山亡き後も敬子さんの後見人役を務め、日本プロレス協会コミッショナーでもあった義理と人情の政治家、大野伴睦(1890〜1964年没)が亡くなったのも痛手だった。

 ちなみに最近の自民党裏金事件で、5000万円超という飛び抜けた環流額で起訴された岐阜の大野泰正(やすただ)氏は、伴睦の孫。世間的にはそれほど知られていなかった参院議員が、なぜあれほど高額のキックバックが受けられたのか。血の流れと金の流れの相関関係に思いを馳せてみるのも面白い。

 大野に替わって自民党副総裁とコミッショナーの両方の座に就いたのは川島正次郎(1890〜 1970年没)だった。元警察官僚の川島は、政界とヤクザの癒着を断ち切るために、ヤクザの資金源が興行にあることに目を付ける。

 力道山の死後、日本プロレス協会(会長・児玉誉士夫)には副理事というポストが新設され、東西の大物ヤクザが就任していた。西の利権を一手に収める山口組三代目組長の田岡一雄と、東の利権を持つ東声会の町井久之(鄭建永)会長である。

 川島は、田岡と町井を排除するために、こんな理屈をひねり出す。田岡や町井が副会長でいるのは未亡人の後ろ盾になるためだ。未亡人が協会と密接な関係にある日本プロレス興行株式会社の社長から降りれば、彼らが副会長にとどまる理由もなくなる。

 川島の意を受け「代表の座を譲っていただきたい。自分達で経営したいのです」と切り出した幹部レスラー達に、敬子さんは長男が大学を卒業したら代表を返すという条件付きで、念書を取ることもなく、あっさり承知する。本音を言えば肩の荷が下りた。が、これはある種の謀反だった。

 新社長に就任した豊登や幹部レスラー達は、興行収益やテレビの放映料など毎月莫大な収入があったにも関わらず、グループ企業の資金繰りの相談にも応じようとせず、いつの間にか内緒で事務所も移し、利益を自分達で独占していたのだ。


年利1億円の返済地獄も乗り越えた、天性の明るさと自立心と聡明さ

 敬子さんは夫の夢だったゴルフ場建設に必要な資金を確保できず、競走馬の育成牧場を経営していた人物から高利で金を借りる。が、焼け石に水。結局ゴルフ場建設は断腸の思いで中止を決断した。これでまた一つ肩の荷が下りたかといえば——

 あらたな地獄が待っていた。相続税と力道山時代に発生した追徴課税を足した4億5千万(現在の価値で約18億円)の返済地獄である。相続税は10年年賦でゆっくり返せばいいと呑気に構えていた。側近がけげんな顔で「年利が1億円ほど付きますが、いいんですか」と言ったときは、ひっくり返りそうになってしまった。

「どうして教えてくれなかったの!」。知らなかった自分も悪いが。知っていたら日本プロレスの経営権を豊登達に無償で譲ったりしなかった。ほぞをかんでも、もう遅かった。

「レスラーにとって金と人情は別」(ナイトクラブのオーナー)というのは、いささか職業差別的な物言いに聞こえなくもないが、夫が亡くなったあと、残された妻が軽く扱われるようになるのは男社会では避けがたい。

 豊登(道春)にとって、無償で敬子さんに会社を譲らせることなど、赤子の手をひねるようなものだったのだろう。その豊登はギャンブルにくるい、会社のカネを億単位で使い込んで仲間達から放擲されてしまうのだから、結局因果は巡るのだ。

 が、悪人ばかりではない。中には手をさしのべてくれる紳士もいる。追徴課税の原因になった松濤の1117坪の土地は、三菱グループの不動産会社が買い取ってくれた。生前、現在の東急文化村あたりの土地を五島慶太と争うなど、力道山が土地を見るときに発揮したビジネスセンスは鋭い。もし生きていたら、東京の風景の一部は今と違っていたかもしれないと、少し夢見る。

 本書の始まりは悲劇、すぐにシンデレラストーリーとなり、中盤は夫の遺した負債の整理というシーシュポスの神話を地でいくような展開になる。

 敬子さんに安らぎは訪れないのか? 心配になるが敬子さんは30歳になったあたりから、次第に身軽になっていく。1億円の相続税がまだ残っていたものの、会社を二つに減らしたのだ。

 以下に敬子さんと、いまも人々の記憶の中で輝き続ける力道山の栄光を巡るメモリアルな出来事を年表風にしてみる。 

1975年 力道山13回忌追善大試合

1989年 力道山が特別に可愛いがったアントニオ猪木が参議院選挙に立候補し、最後の議席を扇千景と争い、最後の当選者に滑り込む。南北統一を願って政治家になりたがっていた力道山の夢を叶えた

1996年 「第1回メモリアル力道山」開催

1999年 ジャイアント馬場、61歳で逝去

2000年 「第2回メモリアル力道山」開催。引退したアントニオ猪木とジャニーズの滝沢秀明が3分一本勝負のエキシビジョンマッチを行う。これ以降も猪木は何度となくリング復帰が噂されたが、二度とリングに立つことはなかった。

2022年 アントニオ猪木、79歳で逝去

 2008年、高校野球の神奈川県代表を決める大会で、慶應義塾高校の左腕の活躍が報じられる。彼の名は田村圭、力道山と敬子さんの実孫だ。決勝で東海大相模との死闘を制し、前年の夏に続いて春の選抜への出場を決める。甲子園では準々決勝まで勝ち進み、延長で惜しくも敗れた。スタンドには県大会から孫を見守り続けた敬子さんの姿があった。

 孫はフジテレビのアナウンサー職をけり、三菱商事に入社した。孫は当時の事情など知らないだろうが、三菱といえば、敬子さんにとって松濤の土地を買って自分を助けてくれた会社。不思議な縁に、ふっと口角が上がる。

 その敬子さんの姿は今、ある場所で週2日、お見かけすることができる。誰でも行ける場所だ(ここではあえて伏せます)。

 本書を通じてなにより心打たれたのは、敬子さんの天性の明るさと、人を恨みに思ったりしないさっぱりした気性だった。日航のエアガールの面接で、「きみ、(当時の)皇后様に似てるね」と言われた優美な顔立ちの奥には、当時の女性としては珍しいほどの自立心と横浜の陽光が似合う聡明さが宿っていた。

 プロレスのことをちゃんと書くには実力不足だったことをプロレスファンにお詫びしつつ、本書を女性にもお薦めするしだいだ。


新聞記者魂を持つ著者が、スポーツの真の在り方を問うサスペンス

著者:堂場瞬一
出版社:文藝春秋
発売日:2022年9月9日

【概要】

五輪を潰せ! 新たなスポーツ大会「ザ・ゲーム」の計画が浮上した。
果たして黒幕は誰なのか。記者が、たどり着いた真相とは!?

五輪の意義を問う、衝撃のサスペンス!
メディアを排除し、ザ・ゲームを開催せよ!

コロナ禍にもかかわらず、強引に開催された東京五輪の最中、大学教授が、「五輪は集金・分配システムに変化し、意義を失った」という言葉を残して、日本を去った。数年後、新聞記者がある情報を手にする。世界的企業が、新たなスポーツ大会「ザ・ゲーム」を企画している、と。記者は、この大会を仕掛ける、謎の組織の正体を暴けるのか。

 有名選手達に送られてきた「ザ・ゲーム」への招待状。東京オリンピックの開催時期にあわせて開かれる「ザ・ゲーム」は、どこで誰がどんな目的で開くのか? 

 堂場さんの警察小説やミステリーを読み慣れている読者は、ちょっと虚を突かれるかもしれない。謎が抽象的で異質だ、と。五輪など祝祭資本主義はもう限界に来ているという現実を踏まえ、新聞記者魂を持った堂場氏がスポーツの真の在り方を問う。

 パリ五輪で市長達が血道を上げているセーヌ川の浄化。そんなところで泳げるようになるのを「レガシー」にしようなんて絶句。小池百合子都政下で、TOKYO2020のレガシーが今後ランニングコストでお荷物になる未来を視察にくればいいのに、と思う。


反逆精神と自立心に富む、大坂なおみの母と家族の物語

著者:大坂 環
出版社:集英社
発売日:2022年4月26日

【概要】

大坂なおみの母が明かす、自由を求めて故郷を飛び出してから、なおみがチャンピオンになるまで。喜び、その後の苦悩、そして今ふみだそうとする、新たなスタート。

「自由に生きたい!」北海道の保守的な家庭を飛び出し、駆け落ち同然でハイチ系アメリカ人と結婚。二人の娘たちがまだ幼い頃、「ウィリアムズ姉妹のようなトップのプロテニス選手にしたい!」夫がひらめいたときから、一家四人の過酷な旅が始まった。頼る人もなく、テニス業界についての知識もなく、お金もない中で、今日一日、あともう一日、と“光の見えないトンネル”を走り続けた。努力が実を結び、なおみがチャンピオンに。喜びのあとにおとずれた、とまどい、不安。悩んだ末に、また歩き出した今の思いを綴る。

 女友達が「大坂選手の北海道のおじいちゃんが出てくるときに漂う背景の豪邸感って凄いよね」と言ったことがあって、その目の付け所に「座布団三枚!」と思った。

 ガイジンと結婚するなんてとんでもないという厳格な父親の元、ハイチ出身の男性と恋愛してカバン一つで大阪へ出奔。年子で二人の娘を出産、正規で働くこともできず貧しさの極にあるような生活の中で、二人の娘をテニスプレイヤーに育てようとする。保守的なものに対する反逆精神があり、自立心に富んで、涙をぬぐって空を見上げるようなガッツの持ち主が、どれだけの苦難の道を歩んだか。

 お金がなくても、たいていのことは工夫と知恵で乗り切ることができる。と書いてはみたものの、とても真似できない。大坂なおみ選手もママになった。パリ五輪にはチームジャパンのメンバーとして加わる。このところ球にキレとパワーが戻ってきているので楽しみだ。


トップアスリートのDNA研究を追う、驚きと発見の書

著者:善家 賢
出版社:KADOKAWA/角川文庫
発売日:2012年7月25日
価格:682円(税込、電子書籍)

【概要】

日本人に「100m9秒台」はDNA的に不可能なのか?

世界トップアスリートのDNAを集めた英国研究者の調査等で「金メダル遺伝子」とも呼ぶべき遺伝子の存在が明らかになった。最先端の科学技術はスポーツ界に何をもたらすか?

 著者はNHK報道番組ディレクター(当時)。ジャマイカのスプリンターの遺伝子を調べている研究者がいると聞き、グラスゴー大学のヤニス・ピツラディス博士にダメ元で連絡してみる。取材はOKだった。ケニアで一流アスリートのDNAを採取するから、その様子を撮影してはどうかと言う。

 こうして始まったDNAの旅。筋肉には瞬発系競技に強い「CC」型と、持久力系競技に強い「TT」型の二つの遺伝子がある。逆を言えば筋肉の遺伝子を調べることによって、自分にもっとも適した種目を見つけることもできるのだ。種目を変更したら突然金メダルを獲得したアスリートなど、「へ〜」だの「わ〜」だの、読みながら思わず声が漏れてしまう驚きと発見の書。

※「概要」は出版社公式サイトほかから抜粋。

筆者:温水 ゆかり

JBpress

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