4大宗教の「食の規定」とカニバリズムの関係とは? アステカの神々が人肉を求める驚きの理由
2022年11月11日(金)7時0分 tocana
人類の3大本能は、食欲、睡眠欲、性欲である。しかし「目に見えないもの」に関する本能がある。それが愛や信仰心、いわば精神的・宗教的な本能だ。世界にはさまざまな宗教があるが、4大勢力は人口の順にキリスト教、イスラム教、ヒンズー教、無宗教だといわれる。
では、これらの宗教と人間の本能「食欲」は、どのように関わっているのか。それぞれの宗教における食事規定について考えてみたい。
キリスト教の食事規定
世界最大の人口を従えるキリスト教は、驚くほどに食物規定が存在しない。そもそもミサ/礼拝のたびにワインを嗜む宗教である。特別な祝祭日を除いては、断食の期間や禁止の規定はみられない。肉も魚もピザも酒も食べ飲み放題である。一方プロテスタントの一部が飲酒を禁止、またアメリカで誕生した分派モルモン教がカフェイン入り飲料を禁止している。
ユダヤ教の食事規定
キリスト教とイスラム教の兄貴分にあたるユダヤ教にも禁止食物がある。それを「コーシャー」という。では、何が禁止されているのか。
鳥肉でいえば、猛禽類の多くが禁止されているので、フクロウは不浄だから食べられない。草食動物でいくと、ヒヅメが2つに割れて反芻する動物は食べてもよい。つまり牛肉、鹿のジビエ、ラム肉はよい。しかしウマ、豚、ウサギなどは禁止対象だ。調理の方法も特別な屠殺の手順があり、通常キッチンとは分離した別の調理場を用意しなくてはならない。
乳製品と肉を同時に食べることも忌避される。熱心なユダヤ教徒はチーズバーガーを食べられないし、親子の肉を混ぜて食べることも禁じられているので、親子丼はNGである。ただし魚については鱗とヒレが両方あるものは食用可である。サーモン、まぐろは食べられるが、蟹、えび、ナマコは食べられない。飲酒もコーシャーならOKだ。断食は特別な祝祭日に行う。
イスラム教の食事規定
ではイスラム教ではどうだろう。最近では「ハラール」とよく聞くようになった。「ハラール」とは、特別な屠殺法や調理の仕方に関する宗教規定である。イスラム教徒の少ない日本でも海外からの旅行客増加によって、ムスリムでも入店し楽しめることを示すために「ハラール認証」という言葉も聞かれるようになった。いまや常識だが、ムスリムにとって豚肉は禁じられたケガレなので食べることができない。それゆえ料理器具も分けなくてはならない。当然、かつ丼、とんこつ背脂ラーメンも禁止対象だ。日本人には悲しく聞こえるが、それこそが聖なるものを掲げる食文化であり、多様性の象徴である。ちなみに「ハラール」であるか否かは、そもそもアラーのみが決められることなので、誰かに認証されるのは奇妙な話である。
イスラム教においては宗派によっては違いがあるが、多くの場合、魚・乳製品は食べてよい。しかし飲酒は禁止されている。また断食「ラマダン」は有名だが、これも病人や旅人には免除が許されている。
ヒンドゥー教の食事規定
ではヒンドゥー教ではどうか。牛が聖なる動物だから、当然、牛肉はNGである。では魚や卵はどうか。これらも禁止である。さすが仏教の親ともいえる宗教だ。殺生を禁ずる展から徹底しているし、宗教的ヴィーガニズムの元祖ともいえる。ちなみに乳製品と飲酒は問題なく、断食は宗派によって習慣と規定がある。
アステカの人肉食もキリストの聖餐も理由は同じ?
続けて『ヒトはなぜヒトを食べたのか』という衝撃的なタイトルの本を紹介しよう。生態人類学者マーヴィン・ハリスによる食人と文化の起源を問うた研究だ。いわく、太古の人類は、大型哺乳類などの動物を狩り尽くし食べて絶滅させたことにより、農耕と牧畜が始まった。結果、余剰カロリーと富の蓄積によって、文化として「戦争」を開発した。戦争の目的は、食糧の確保である。戦争に最適化する過程で女系社会を経由して、部族やバンドを超える国家をつくり、結果として国家が生まれる。そして、国家は食糧としての動物を供給するために、宗教に食の可否を正当化させた。その事例としてアブラハムの宗教の「豚」、インドの「牛」禁忌があげられる。
著者は、さらに刺激的な主張を行う。ユーラシア大陸では家畜が食えたが、中南米では大型の哺乳類が洪積世(約258万年前から約1万年前までの氷河期)には絶滅していた。結果、中米アステカ文明(1428-1521)のころには、食える家畜がおらず、アステカでは食人が国家と宗教によって制度化された。つまり、ユダヤ教とイスラム教が豚を、ヒンドゥー教が牛を禁じたことは、アステカ文明が「人肉食」を肯定した事実と何ら差がないという説である。新約聖書においてキリストは自らを食べるように勧めている箇所すら存在する。
その「食」が聖か呪いかを問わず、国家が食糧供給と人口維持のために宗教を利用した、という主張である。なぜ神が食物の可否・禁止を求めるのか。なぜなら、それは人間の都合に過ぎない。これがマーヴィン・ハリスの主張である。
刺激的で説得的でさえある主張だ。しかしながら2018年のイグノーベル賞によれば、人肉の栄養価は古代に比べるとかなり低いらしい。筋肉1kgあたりイノシシは4000kcalあるが、現代人だと1300kcalほどらしい。現代では、結局何を食べてもよい無宗教が一番楽に暮らせるのかもしれない。
マーヴィン・ハリスの主張は、たしかに説得的だ。国家が宗教を利用したのかもしれない。しかし、その逆はないだろうか。動物やヒトの血肉を求める神々が国家を利用した可能性はないのか。アステカの神が国家にカニバリズムを正当化させたのかもしれない。そう思うと、各宗教の食事規定がグロテスクに見えてくるのは、気のせいだろうか。