古代ローマの衝撃的事実10選! 息子を奴隷化、金髪強制、尿ビジネス、排便棒…
2022年12月4日(日)11時30分 tocana
古代ローマ人と聞いてどんなイメージを思い浮かべるだろうか。実は古代ローマ人に関する奇妙で意外でショッキングな事実が10もあるという——。
衝撃の事実1
紫色の禁止
古代の多くの社会と同様に、ローマ人が階級制度に執着していたことは間違いない。それや社会的慣習や風習の端々にもあらわれている。
たとえばローマの一般市民には紫色のファッションアイテムを身に着けることを禁止されていた事実がある。ローマ社会では紫色は栄光、権力、王族を象徴するものであった。そのため、紫色のトガ(巻衣)の着用は、皇帝をはじめ少数の高位のローマ人だけに許されていたのである。
そもそも当時、紫色の染料はとても高価で、トガ1着分の紫色の染料は1ポンドの金とほぼ同じ価値であり、庶民には手が出なかった。
またローマ人は見た目だけでその人の階級を区別できることを好んだこともある。紫色のトガの禁止は、成金の下層階級のローマ人が富を見せびらかすことを禁止するために導入された法律であったのだ。ローマの階級制度では上流階級だけが富をひけらかすことができたのだ。
衝撃の事実2
売春婦は金髪にすることを強制された
古代ローマ社会において売春は100%合法であり、買春した男性にも何ら罪はなかった。そしてある意味では自然なことだが売春婦(売春夫)は下層階級の者が多かった。
そこで善良で育ちの良いローマの女性が売春婦と間違われないようにするために、売春婦は髪を金髪に染めなければならないという法律が導入されたのである。したがって売春婦は野蛮な外国人と同様の存在として見下されることになった。
この法律はしばらくの間うまく機能していたのだが、皮肉なことに高貴なローマの女性たちはすぐにセクシーな金髪の女性の見た目を羨みはじめ、自分で髪を染めたり、金髪のかつらをつけはじめたりしたことでこの法律は形骸化していったのだった。
衝撃の事実3
父親は息子を売り飛ばすことができた
ローマ人が奴隷制を活用していたこと周知の事実であり、彼らの帝国は敗北した敵兵を奴隷として酷使することで築かれていた。ローマの奴隷には人権はなく、悲惨な生活を送っていた。
一方でローマ市民は法を犯さない限り、奴隷の身分に落ちることはなかったのだが、きわめて奇妙な例外が1つだけあった。ローマの父親は自分の息子を奴隷(奉公人)として売ることができたのだ。
奴隷労働には期間が設けられていて、期間が過ぎれば相手先から息子の身柄は戻された。
戻ってきた息子を再び売ることもできたのだが、3度売られた子どもは3度目の奴隷期間終了時に父親のもとへ戻らなくてもよいことが法律で定められていた。つまり父親から自由の身になれたのだ。
したがって父親として左団扇で暮らすには、次から次へと子どもを作り続けていればよいということにもなっていたのだ。
衝撃の事実4
父親は家族を殺すことが許されていた
古代ローマは常に家父長制社会であったたが、初期のローマではそれがきわめて極端であった。家族のメンバーは本質的に家長(父親)の所有物であったのだ。法律によって父親は息子たちを奴隷として売り飛ばせることに留まらず、その命を奪うこともできたのである。
家を出た子どもであってもその法律の影響下にあり、結婚して嫁いだ娘であっても、何らかの理由で父親に殺される可能性はあったのだ。しかし3回売られた息子にはこの父親の権利は適用されなかった。
紀元前1世紀までに、家族を殺害できるという父親の権利はほとんど廃止されたが、それでも家族のメンバーが犯罪で有罪判決を受けた場合、父親がその者を殺すことがしばらくの間は許されていた。
衝撃の事実5
残酷な処刑の数々
ローマ人は犯罪者や囚人を殺すための独創的で残酷な処刑法を数多く持っていた。死刑囚は斬首されたり、高所から投げ落とされたり、剣闘士と試合をさせられたりと悲惨な死が待っていた。
最も重罪である父殺しを犯した者は極刑に処された。死刑囚は最初に目隠しをされて引き回され、町から川べりに連れて行かれた。
そこで激しくムチで打たれて瀕死の状態に追い込まれた挙句に縛り上げられ、ヘビ、犬、サル、鶏と一緒に大きな(しかし大きすぎない)革の袋に入れられた。その後、革袋が水に投げ込まれ、溺死するか、暴れ回る動物によって殺されたのである。
衝撃の事実6
男尊女卑の姦通罪
ローマでは姦通罪に関して酷い性差別があった。夫は愛人を持つことも、売春婦を買うこともまったく自由であった一方、妻が夫以外の男と関係を持ったことが発覚した時には多くの証人を集めて徹底的に調べ上げられ、不貞が事実であった場合は離婚しなければならなかった。もし離婚しなければ、妻をほかの男に売った容疑で夫のほうが起訴されてしまうのだ。男女差別という以前に、妻は夫の所有物であった。
妻と関係を持った男が奴隷か売春夫であった場合、夫はその男を殺すことが許されたが、男が一般市民であった場合はもうひと手間かける必要もあった。
それは妻の父親を巻き込むことである。ローマの父親には、娘の恋人を殺す権利があり、妻の父親であればその男を合法的に殺すことができるのだ。しかし父親が不貞を働いた娘を殺す可能性もあり予断を許さなかった。
衝撃時の事実7
キリスト教を食肉崇拝カルトだと認識
ローマ社会の中でなぜ初期のキリスト教徒が迫害されていたのか? その理由の1つは単純に、ユダヤ教とキリスト教の慣習がローマ人に嫌悪感を抱かせていたことらしい。
ローマ人はユダヤ人の割礼の慣習を容認しなかった。ローマ人は彼らの神々の名においてかなり恐ろしい行為をしてきたが、ペニスの先端の包皮を切ることは彼らにとっても理解し難いことであった。
ローマ人からキリスト教徒は最初、血に飢えた共食い崇拝者と見なされていた。ローマ人は比喩を理解せず、聖体拝領の「キリストの肉体」と「キリストの血」の部分をやや大げさに考え過ぎていたというのだ。
衝撃の事実8
剣闘士にあやかる
驚くべきことだが、ローマの医師は剣闘士(グラディエーター)の体の一部を摂取することで、さまざまな病気の治療に役立つと信じていた。たとえば剣闘士の血液と肝臓はてんかん治療の特効薬だと考えられいたのだ。そして実際に決闘ショーに敗れて死んだ剣闘士の身体が無残にも活用されていたのである。
しかし西暦400年以降に剣闘士の決闘ショーが禁止された後、ローマ人は代わりに処刑された犯罪者の血を活用しはじめた。
強い者の肉体にあやかり消費することへの執着は、ローマの美容法や寝室にまで及んだ。たとえば風呂からかき集めた剣闘士の垢(死んだ皮膚細胞)は、フェイスクリームや媚薬として使用されていたのだ。
衝撃の事実9
尿は貴重品だった
ローマ人は公衆トイレを活用していた。公衆トイレは単なる用足しの場ではなく、重要な社交の場でもあったのだ。
ローマの町には世界で最も初期の下水道システムが備わっており、下水から採取された尿のアンモニアから作った製剤が洗濯や革のなめしに使用される商品として販売されていた。下水道のないローマ外の町では、クリーニング業者が汲み取り式トイレに行き尿を集めていた。
尿は非常に大きなビジネスとなり、ウェスパシアヌス帝(西暦69〜79年)はなんと尿に課税した。息子のタイタスが父親の税の徴収方法に嫌悪感を覚えたとき、ベスパシアヌスは息子に金貨のにおいを嗅ぐように言い、それが臭いかどうかを尋ねたという。そして彼の息子が「臭くはない」と答えたとき、皇帝は「しかしそれは尿(の税金)から来たものだ」と教え諭したという。
衝撃の事実10
ローマの公衆トイレは厄介だった
初歩的な下水道が備わっていたローマではあったが、この時代の公衆トイレが現代のもののように衛生状態が保たれていたわけではないのは少し考えればすぐにわかることだろう。
ローマには140を超える共同公衆トイレがあったが、考古学者はこれらの公衆トイレがバイオハザードのリスクを抱えた危険な存在であったことを指摘している。
得られた証拠によるとこれらのトイレはほとんど掃除されておらず、回虫、ノミ、シラミ、そしてゴキブリなどの虫の温床になっていたという。
各トイレにはテルソリウム(tersorium)として知られる棒状のスポンジが備品として1つ置かれており、排便後に肛門を拭くために使用されていた。テルソリウムは簡単に洗う程度で使い回されていてバクテリアの温床となり、トイレで病気が蔓延する原因となっていたという。
さらに公衆トイレの下水道にはネズミやヘビなどが住みついており、トイレで長時間過ごした人が、誰しも絶対に噛まれたくない身体パーツを噛まれたという記録が残されている。そしてトイレで発生する大量のメタンも問題で、最終的に発火して爆発することも珍しくなかった。
悪霊を追い払うための呪文が公衆トイレの壁に刻み込まれているのが発見されるほど事態はひどかったという。やむを得ず公衆トイレを使う時、人々はローマの幸運の女神であるフォルトゥナの像を持って入ったともいわれている。
人類史において古代ローマを民主主義の萌芽として称賛する声は多いが、彼らの規則や法律を見ると、多くの点でローマ人が驚くほど残忍だったことが分かる。中流以上の家庭に生まれなければ公民権はほとんど得られず、奴隷は地獄のような生活を送っていた。一部の歴史家がかつて信じていたほど古代ローマはリベラルではなく、いくつもの深刻な問題を抱えた社会であったことは否定できそうもない。とはいえ今に生きる我々の社会にもある程度は同じことが言えそうである。
参考:「Ancient Origins」ほか
文=仲田しんじ