斎藤元彦氏が「民意」を得て返り咲いた兵庫県知事選挙と『ジュリアス・シーザー』に見る、現代政治の間

2024年12月20日(金)6時0分 JBpress

(歴史ライター:西股 総生)


人間の本質を描いた『ジュリアス・シーザー』

 ウィリアム・シェイクスピアの代表作に『ジュリアス・シーザー』という史劇がある。紀元前44年にローマで起きたシーザー暗殺事件を題材とした作品だが、「若い頃読んだ記憶がある」「読んだことはないが名前くらいは知っている」という方も少なくないだろう。

 お話は、シーザーの盟友であるブルータスが、シーザーに独裁者への野心を感じて苦悩するところから始まる。やがて、シーザーに反感を持つキャシアスらの謀議に加わったブルータスは、ローマの共和制を守るためにシーザーの排除を決心し、元老院に登院してきたシーザーを、キャシアスらとともに殺害する。

 事件を知って広場に押しかけてきた群衆に対しブルータスは、ローマの未来を守るためやむなく独裁者の出現を防がねばならなかったのだ、と苦衷を語り、群衆からはブルータスを支持する声が上がる。しかし、続いて壇上に登ったアントニーアスは、ブルータスらを「公明正大の士」と讃えながらも、巧みな弁舌で人々の情動に訴えかけ、群衆を扇動して反ブルータスの気運を作り上げる。

 かくてローマ市民は、ブルータス・キャシアス一派を排撃すべく暴動へと立ち上がり、アントニーアスも彼らを討伐するための軍を起こす。混乱の中で、たまたま暗殺派の一人と同名だった詩人は、いきりたった群衆によって処刑され、ブルータスもキャシアスもアントニーアスと戦って果てる、というストーリーである。

 筆者がなぜ、今の時期に『ジュリアス・シーザー』の話を持ち出したのかというと、このところ世上をにぎわせている兵庫県知事選挙を見ていて、この作品を思い出したのだ。パワハラ問題や公金不正支出疑惑で知事を失職した斎藤元彦氏が、「民意」を得て返り咲いた今回の選挙。世上ではSNSによる発信が、絶大な影響力をもったことが、しきりに取り沙汰されている。

 けれども、冷静になってよく考えてみよう。発信の手段が、広場での演説からSNSへと変わっただけで、巧妙なロジックによって野心家の志や業績面を強調し、情動に訴えかけることで大衆を煽る、という本質においては、『ジュリアス・シーザー』の世界と何ら変わらないのではないか。

 あるいは、ヒトラーとゲッベルスが駆使したラジオが、当時としては最新の発信手段であったことを想起されたい。SNS云々は、はたして今回の問題の本質なのであろうか?

 筆者は以前、拙著『東国武将たちの戦国史』の文庫版「あとがき」において、シェイクスピアの『マクベス』や『オセロー』を引き合いに出して、長尾為景(上杉謙信の父)の下剋上と対比させてみた。シェイクスピアの史劇といえば、黒澤明の名作『蜘蛛巣城』は『マクベス』の、『乱』は『リア王』を翻案したストーリーだ。

 こうした対比や翻案が成り立つのは、シェイクスピアの作品が、時代や洋の東西を超えて人間の本質を照射しているからに他ならない。ちなみに『ジュリアス・シーザー』が初演されたのは1599年というから、日本なら慶長4年、関ヶ原合戦の前年である。

 そのような時代にイングランドで書かれた物語が、いまもって世界中で多くの人に愛読され、劇として演じられているのは、「人間の本質」が過たずに描かれているからだろう。 今回の兵庫県知事選の一件を、SNSの影響力という観点からのみ論じるのは、本質を忘れた皮相な議論ではないか。そのような観点に囚われている時点で、われわれのオツムは既にしてスマホ脳化しているのである。

 あ、そうそう。物語として『ジュリアス・シーザー』の続編にあたる『アントニーとクレオパトラ』は、大衆に正義を説いて権力を握ったアントニーアスが、クレオパトラとの愛に溺れて滅びる話だっけ……。

[参考図書]戦略と人物から関東の戦国史を読み解く! 拙著『東国武将たちの戦国史』(河出文庫)をご一読下さい。

筆者:西股 総生

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