生涯に残した曲は3000以上!服部良一、時代を超越した作品の魅力と珠玉の15曲

2023年12月21日(木)6時0分 JBpress

(堀井 六郎:昭和歌謡研究家)

◉没後30年、舶来風昭和歌謡の牽引者・服部良一の人と仕事、そして遺産(1)


名曲の背景にある編曲への気概

 私の手元に、服部良一作品を収録した古い3枚組CDがあります。『服部良一─僕の音楽人生─』と題された、平成元年(1989)1月に発売された愛聴盤です。

 服部が生涯に残した作品が3000曲以上とされる中で、このCDに収録されている全63曲というのはごく一部でしかありませんが、そのうち62曲が服部良一自身の編曲となっています。

 服部自身が編曲していない曲というのは、CDの最後に収録されている『あじさい旅情』(編曲・佐伯亮、歌・島倉千代子)で、すでに歌謡界が筒美京平の時代となっていた昭和48年(1973)の作品なので、ヒット曲を量産していた昭和30年代までの服部歌謡はほとんど自らが編曲を手掛けています。

 こうした背景には、作品に対する服部の真摯な姿勢、音楽への愛情が如実に表われている、と私は思っています。自らが生み出した曲は前奏・間奏・後奏、そして歌のバックに流れる旋律(裏メロ)まで、すべて自らが責任をもって人々のもとへ届ける、という気概を感じます。

 歌詞に乗せるメロディーを創作するだけでなく、歌手の歌声と演奏を最高の楽曲として人々に伝えるために最大の努力を尽くしていた証でしょう。


不変性にある服部ソングの魅力

 このCD収録曲から、戦前の代表曲を発売順に少しだけ列挙すると──

・『霧の十字路』(昭和12年、詞・高橋掬太郎、歌・森山久)※森山久は、森山良子の父です。
・『別れのブルース』(同12年、詞・藤浦洸、歌・淡谷のり子)
・『雨のブルース』(同13年、詞・野川香文、歌・淡谷のり子)
・『一杯のコーヒーから』(同14年、詞・藤浦洸、歌・霧島昇、ミス・コロムビア)
・『湖畔の宿』(同15年、詞・佐藤惣之助、歌・高峰三枝子)
・『蘇州夜曲』(同15年、詞・西条八十、歌・霧島昇、渡辺はま子)
・『私の鶯』(同18年、詞・サトウハチロー、歌・李香蘭=山口淑子)

 戦後、服部は昭和60年代まで曲を提供し続けますが、戦争を挟んだ昭和10年代から昭和20年代までの20年ほどが絶頂期と言っていいでしょう。

 終戦直後の5年間に限っても、私のお気に入りの曲は次のようにすぐに列挙できます。

・『夜のプラットホーム』(同22年、詞・奥野椰子夫、歌・二葉あき子)
・『胸の振り子』(同22年、詞・サトウハチロー、歌・霧島昇)
・『東京ブギウギ』(同23年、詞・鈴木勝、歌・笠置シヅ子)
・『東京の屋根の下』(同23年、詞・佐伯孝夫、歌・灰田勝彦)
・『青い山脈』(同24年、詞・西条八十、歌・藤山一郎、奈良光枝)
・『恋のアマリリス』(同24年、詞・西条八十、歌・二葉あき子)
・『銀座カンカン娘』(同24年、詞・佐伯孝夫、歌・高峰秀子)
・『買物ブギー』(同25年、詞・村雨まさを〈服部の別名〉、歌・笠置シヅ子)

 以上のようなヒット曲は、YouTubeでも聴くことができますから、未聴曲などがあれば、ぜひとも聴いてみてください。

 ジャンル、曲調、リズムは多岐にわたり、服部の曲が時代を超越した不変のパワーを兼ね備えていることに気づかれるでしょう。


音頭とビールとパーティーと

 JR京浜東北線の大井町駅からほど近い私の事務所から歩いて5分の所に品川区役所があります。その3階ロビーには、品川名誉区民として8人の人物が肖像写真とともに顕彰されていますが、その中でもひときわ目を引くのが、作曲家の服部良一です。

 コロナ禍以前の8月といえば、大井町の駅前で「大井どんたく 夏まつり」が開催され、日曜の夜には、都はるみが歌う服部作曲の『品川音頭』(小磯清明・作詞、石本美由起・補作)が流れる中、多くの人が盆踊りを楽しんでいました。  

 人を大勢集めて自宅でパーティーを開くのを何よりも楽しみにしていた服部良一は、夫人の意向もあって転居が多かったのですが、晩年は東急目黒線の洗足駅や武蔵小山駅にほど近い品川区内に自宅を構えています。

 ビール党だった服部は「一杯のビールから」という発想で書いたメロディーの作詞を、友人の藤浦洸に依頼しました。しかし、アルコールとは無縁のコーヒー党だった藤浦が仕上げた歌は、ご承知のとおり『一杯のコーヒーから』でした。

 歌ってみると、アクセントがコーヒーの「コ」にあって、耳慣れないと違和感を覚え、なるほど曲優先であるだけに、本来は「ビール」だったことが納得できるエピソードです。

 晩年の平成4年(1992)「服部家の人々」というメモリアル・コンサート(ミュージカルだったかな)が竣工したばかりの品川区天王洲アイルの劇場で上演されましたが、私が観劇した日も、親族と共に良一氏が来場、ショーの終了後、2階席から1階の観客に向かって手を振っていたのが、私の見た服部の最後の姿でした。

 服部は翌5年1月30日に亡くなります。85歳でした。

(参考)『ぼくの音楽人生』(服部良一著、日本文芸社)
『評伝 服部良一 日本ジャズ&ポップス史』(菊池清麿著、彩流社)

(編集協力:春燈社 小西眞由美)

筆者:堀井 六郎

JBpress

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