1万年前に「青い目の人々」が突然現れた謎… 遺伝的変異と古代の神々との関係は?

2022年12月24日(土)11時0分 tocana

 鮮やかな青い瞳を持った人々に憧れる向きも少なくないとは思うが、長い人類の歴史において青い目の人が誕生したのはほんの1万年前からのことであるという——。


1万年以上前には存在しなかった“青い目の人”

 青い目の人々の出現は興味深い突然変異の結果として1万年前〜6000年前の間に登場したといわれている。つまり人類の長い歴史において青い目を持った人が登場したのは“ほんの最近”のことなのだ。


 科学的検証によると、青い目をしたすべての人は共通の1人の祖先を持っているという。今日の世界人口の8%を占める青い目の人々の“オリジン”であるこの1人の人物は、最後の氷河期の後、黒海北部に近い地域で出現、または誕生した。


 ある調査によると、世界で最初に青い目の人物が現れたのは黒海の北の場所である。コペンハーゲン大学の細胞分子医学科のハンス・エイベルク教授によると、この最初の青い目の人は原始インド=ヨーロッパ語族のアーリア人であるという。


 エイベルク教授によれば人間の染色体の「OCA2遺伝子」に影響を与える遺伝子変異により、茶色の目を作り出す能力を制御する“スイッチ”が作成されたということだ。


 メラニンの形成に関与する、いわゆるPプロテインは、「OCA2遺伝子」によってコードされており、人の肌、目、髪の色はすべてこの色素の影響を受けている。通常は「OCA2遺伝子」が完全に“オフ”になるわけではないのだが、虹彩メラニンを合成する活動が低下するように制御されると、茶色の目が青に“希釈”されるのだ。もしも「OCA2遺伝子」が完全に除去されたり“オフ”になったりするとその人物は「白皮症(アルビノ)」になる。


 こうして1万年前に登場した青い目の人物の遺伝子が徐々に伝播して受け継がれ、特に北欧などで青い目の人が増えはじめたのである。


 ちなみに両親の目の色がどちらもブラウンであったとしても、共に青い目の劣性遺伝子を持った両親の間からは4分の1の確率で青い目の子どもが生まれることになる。


なぜ青い目の人が誕生したのか?

 古代エジプト文明の遺品を見ると、ブロンドヘアで青い目の人物が多く描かれている。同様に古代シュメール文明においても、巨大な青い目をした彫像が多く見つかっているのだ。さらに古代のインドやペルーでも青い目の神々が描かれており、総じて古代文明の人々がブロンドヘアに青い目をした人物に着目していたことになりそうだ。


 考古学的分析によってシュメール人の大半は黒髪で黒い目をしていたことがわかっているが、その一方でシュメール人は、他の多くの古代文化と同様に、青い目は神々の特徴であると考えており、古代シュメールの彫像の大きな青い目は、象徴的な意味を持っているといわれている。


 シュメール人が何を意図して大きな青い目の彫像を作ったのはを正確に知ることは困難であるが、そうした彫像や絵画、レリーフなどの多くが上を向いていることから、天を見上げる青い目は神聖なものと考えられていたことが類推できる。


 2000年前、「モチェ(moche)文化」に代表される青い目の支配階級がペルーの北海岸の古代文明を築いていた。彼らが建設した巨大なピラミッドの中には、高さ30メートルを超えるものもあり、周囲の風景を見下ろすようにそびえ立っている。


 ペルー北部のモチェ王国の遺跡・シパンで発掘されたシパン王墓は、過去30年間で世界のこの地域で最も重要な考古学的発見の1つであるといわれている。シパン王は背が高く、あごひげを生やし、白い肌を持ち、見事なエメラルドブルーの目をしていた。


 さらにペルーのワカ・プクヤーナ遺跡の考古学者たちは、インカ以前のワリ族のものと考えられていた古い墓の中で、青い目のミイラを見つけた。その「仮面の貴婦人」の並外れた青い目が、遠い昔の文明の謎を解き明かす鍵を握っている可能性があるという。


 このように古代の文化では、青い目は神々のしるしであると信じられていて、青い目をした人々の像が数多くあり、研究者はそこには青い目を好むポジティブな指向性があると主張している。


 なぜ青い目の人が誕生したのか、そこに進化論的な意味があるのかどうかはわからないが、こうして古代から人々の注目を浴びながら徐々に世界中に広まっていった。そして青い目は実は突然変異などではなく、エイリアンの介入によるものでもあったのかもしれない。青い目の人々の存在もまた「未解決」の興味深い話題といえそうだ。


参考:「Howandwhys」ほか

tocana

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