失業率46%、貧困率65%、生活排水も処理できない…「天井なき牢獄」ガザ地区の筆舌しがたい惨状
2024年4月7日(日)10時15分 プレジデント社
※本稿は、手嶋龍一・佐藤優『イスラエル戦争の嘘 第三次世界大戦を回避せよ』(中公新書ラクレ)の一部を再編集したものです。
写真=NurPhoto via AFP/時事通信フォト
雨の日にガザ市のビーチに集まったパレスチナ人たち、2023年2月4日 - 写真=NurPhoto via AFP/時事通信フォト
■ハマスはなぜこのタイミングで空前絶後の攻撃を仕掛けたのか
【手嶋】パレスチナ自治区の一つ、ガザ地区を実効支配するハマスが、いったい何故、このタイミングで空前絶後の攻撃をイスラエルに仕掛けたのか。奇襲を受けたイスラエルの最強硬派、ネタニヤフ政権は、必ずや「100倍返し」に出てくることは目に見えていたはずです。にもかかわらず、ロケットの砲弾の雨を降らせ、人質240人を連れ去るという挙に出たのか。これほどの奇襲に駆り立てた武装集団ハマスの「内在的論理」に分け入りながら、最大の謎に挑んでみましょう。
【佐藤】まずは、ハマスが憎悪を募らせたネタニヤフ首相とその政権についてみてみます。2022年、ネタニヤフは3度目の首相に返り咲きました。リクード党党首で保守的な人物であることは知られていましたが、第1期政権(1996~1999年)のときは、バランスのとれた政策をとっていました。1997年にヨルダンでモサドがハマス高官を暗殺未遂し、イスラエルとの国交断絶の危機に直面した時に、ハマスの創設者アフマド・ヤシン(イスラエルの刑務所に終身刑で服役中だった)を釈放してヨルダンに送り、事態を平穏化させる決断をしたのはネタニヤフでした。今回の組閣にあたって、極右の政党や宗教政党と連立を組みました。
■不気味な平穏さを保っていたガザ地区
【手嶋】イスラエルの建国以来、極端に右に傾いた政権が登場しました。この国で極右を意味するのは、ひとことで言えば、力を剝き出しにしてパレスチナの武装組織を押さえ込むことを意味します。
【佐藤】実際、ネタニヤフ政権の政策は強硬そのものでした。パレスチナ自治区は、パレスチナ解放機構(PLO)の主流派組織ファタハが統治する「ヨルダン川西岸地区」とエジプトのイスラム原理主義組織のハマスが実効支配する「ガザ地区」の二つに分かれています。「ヨルダン川西岸地区」も、イスラエルの入植者とパレスチナ側の住民の間でこれまでも紛争が絶えませんでしたが、ネタニヤフが政権に返り咲くや、イスラエルからの入植政策を強化し、一気に衝突が増えました。
【手嶋】確かに、イスラエルが「ヨルダン川西岸地区」の過激派の拠点を攻撃し、民間人を殺したりする事件が頻発し、パレスチナ側もイスラエルの市民を銃で狙ったりする、報復の連鎖が続いていました。その一方で「ガザ地区」は、少なくとも表向きはパレスチナ住民との衝突は比較的少ないように見受けられました。今回の事態を読むうえでここがポイントだと思います。
【佐藤】まさしく手嶋さんの見立て通りです。表面上、平穏に見えたのは、地下には不満のマグマが渦巻いていたものの、それが強大な力で押さえつけられていたからにすぎません。
■「天井なき牢獄」鉄壁に囲まれたガザ地区の惨状
【手嶋】「天井なき牢獄」――そんな「ガザ地区」の現状を言い表したこの言葉が全てを物語っています。イスラエルはこの「ガザ地区」を分離壁で完全に封鎖して、周囲を鉄壁で取り囲んでパレスチナの住民を閉じ込めていたのです。その惨状は筆舌に尽くしがたいものでした。
【佐藤】ハマスがここを実効支配するようになったのは2007年のことでした。以来、イスラエルはハマスの白煙テロ攻撃を押さえ込むため、壁を作りました。壁を越えたハマスのロケット攻撃などを防ぐために電力の供給を制限し、さまざまな物資の流れも厳しく制限しました。ハマスが武器を蓄えられないようにするなど、反撃能力を徹底的に殺(そ)ごうとしました。そんな状態がもう16年も続いていたのですが、2022年、ネタニヤフ政権が3度目に登場して以来、ガザに対する封鎖政策を一段と厳しくしたのでした。
【手嶋】武器の材料となる恐れがある物資を搬入するのを阻止するため、イスラエル当局が許可したものしか搬入も搬出も許されなかったといいます。陸地はすべて鋼鉄の分離壁やフェンスなどで囲われ、海上も出入港できる船が極端に制限され、厳格このうえない監視体制が敷かれていました。
■水道も使えず、電力も制限され、排水処理もできない
【佐藤】通常では武器の持ち込みなどできるはずがない。武器に転用可能な民生品も厳しくチェックされていました。かつて日本の過激派は「パイプ爆弾」を自前で作っていましたが、その材料となる水道管、パイプ、それをつなぐ部品も、ロケット砲に作り替えられる恐れがあるとして搬入が厳しく禁じられました。
【手嶋】その結果、「ガザ地区」では、水道管の修繕ができず、水道が利用できないまま放置され、住民の暮らしが一層苦しくなっていたという報告もありましたね。
写真=iStock.com/deepblue4you
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/deepblue4you
【佐藤】実際に、ハマスが水道管を地中から掘り出して、ロケット弾に改造しているという情報もありましたから。物資搬入を制限してきたのは、ハマスのテロ活動を抑えるためというのがイスラエルの言い分です。
【手嶋】佐藤さんご指摘の通り、電力も制限されていましたね。以前から「ガザ地区」の総電力の約6割はイスラエルからの配電で賄われていたといわれます。「ガザ地区」に唯一ある発電所も稼働が厳しく制限され、このため住民は、エネルギー供給もイスラエルに頼るしかなかったのです。電力一つとっても“牢獄”と言っていい惨状が続いていたわけです。
【佐藤】電力が慢性的に不足していて、1日数時間しか電気が使えない。電力が足りないので生活雑排水を処理することができない。そのため、近くの溜(た)め池に水を溜めたり、海に流していた。悪臭がひどいだけでなく、水源が汚染され、水道や井戸水が飲めないところも多いと聞きます。
■住民の失業率は46%と世界最高、パレスチナ難民の貧困率は80%超
【手嶋】国連が2012年に発表した報告でも「2020年にはガザは人が住むにふさわしくない場所になってしまう」と警告していました。
【佐藤】そういう状況ですから、経済はとうに破綻していたんですよ。住民の失業率は46%と世界最高です。貧困ライン以下で生活する人は全住民の65%。パレスチナ難民に限って言えば貧困率は80%を超えているというデータさえあります。
手嶋龍一・佐藤優『イスラエル戦争の嘘 第三次世界大戦を回避せよ』(中公新書ラクレ)
【手嶋】その劣悪な生活環境に政治的な自由もなく閉じ込められている様は、まさしく「世界最大級の野外監獄」でした。このような逃げ場のない状況では、住民たちの不満が沸点に達するのは時間の問題だったのでしょう。しかし、国際社会は、ウクライナでの戦いや台湾海峡での緊張の高まりに目を奪われて、ガザの惨状には関心を向けようとしませんでした。
【佐藤】今回のハマスの奇襲が行われる直前にはガザ地区の住民たちによるデモも行われたのですが、いつもの事として国際社会は注意を向けませんでした。イスラエル、とりわけ、ネタニヤフ政権に注がれる憎しみと怒りが高まり、同時に、ここを直接統治しているハマスにも不満は向けられつつあったのです。支配者のハマスとしても、いま何とかしなければ、自分たちの統治そのものが危うくなるという危機感が高まっていたと思います。
■住民たちの怒りの矛先をイスラエルに向けようと奇襲作戦に踏み切った
【手嶋】完全封鎖された後も、イスラエル軍は幾度もガザに空爆を敢行しています。そのたびに、ハマスの軍事拠点だけでなく、一般の市民にも犠牲者が出ています。しかし、財政難のハマスは、空爆で家を失ったり、家族を失った人たちへの補償や手助けをする余裕がない。住民のなかには「これまでハマスを信じてついてきたが、暮らしは一向によくならない。むしろ悪化するばかりだ」という不満が募っていたといいます。その一方で、大切な資金をトンネル掘りや武器づくりに振り向けていると批判的な声も住民のなかに出ていたようです。住民は自分たちは武器づくりやトンネル掘りに加担しなくても、ハマスが何をしているかは薄々気づいていたでしょうから。
【佐藤】ロケット弾をひとたび撃てば、イスラエルから「10倍返し」、「100倍返し」の空爆を食らってしまう。しかも、その代償の多くは自分たちが支払うことになる。“もうハマスにはついていけない”という声が目立ってきていました。そうした声にハマスは当然気づいていて、何とかしなければと焦りを募らせていたはずです。
【手嶋】住民たちの怒りが自分たちに向かってくるのは何としても避けたい。自分たちはイスラエルと雄々しく戦っている。そんな姿を示さなければとハマスは思ったはずです。住民の怒りと不満の矛先をイスラエルに向けようと、捨て身の奇襲作戦に踏み切った。そうした背景があったと思います。
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手嶋 龍一(てしま・りゅういち)
外交ジャーナリスト、作家
9・11テロにNHKワシントン支局長として遭遇。ハーバード大学国際問題研究所フェローを経て2005年にNHKより独立し、インテリジェンス小説『ウルトラ・ダラー』を発表、ベストセラーに。『汝の名はスパイ、裏切り者、あるいは詐欺師』のほか、佐藤優氏との共著『インテリジェンスの最強テキスト』など著書多数。
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佐藤 優(さとう・まさる)
作家・元外務省主任分析官
1960年、東京都生まれ。85年同志社大学大学院神学研究科修了。2005年に発表した『国家の罠 外務省のラスプーチンと呼ばれて』(新潮社)で第59回毎日出版文化賞特別賞受賞。『自壊する帝国』(新潮社)で新潮ドキュメント賞、大宅壮一ノンフィクション賞受賞。『獄中記』(岩波書店)、『交渉術』(文藝春秋)など著書多数。
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(外交ジャーナリスト、作家 手嶋 龍一、作家・元外務省主任分析官 佐藤 優)
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