愛子さまには「全然オーラないなと思っちゃった」と…旧皇族・賀陽家に怪活動家が入り込んだ“複雑なワケ”《高市早苗にも接近》
2025年5月5日(月)13時0分 文春オンライン
2月上旬。永田町・衆院議員会館内のカフェに、着物を来た恰幅のいい一人の男性の姿があった。バッジを付けた議員が来店すると声をかけ、こう名乗る。
「旧皇族の賀陽宮(かやのみや)と申します。最近、政治団体を立ち上げまして……」
◆◆◆
「愛子さまのお相手として最有力」
「旧皇族」とは、戦後の1947年に皇室を離れた11宮家の人々のこと。2021年には、安定的皇位継承を議論する政府の有識者会議が皇族数の確保策として、旧皇族の男系男子を養子縁組で皇籍復帰させる案を提示するなど、近年、注目を集める存在だ。
「なかでも『賀陽宮』は別格です。現在、賀陽家を継ぐのは離脱時の当主だった恒憲王の孫にあたる正憲氏。正憲氏は天皇陛下と学習院初等科からのご学友です。天皇家の長女・愛子さま(23)と歳の近い2人の息子がおり、『愛子さまのお相手として最有力』だと取り沙汰されるなど、存在感を高めています」(宮内庁担当記者)

「週刊文春」も 今年1月2・9日号 で、安倍晋三元首相がかつて「愛子さまに相応しい、Y染色体を持つ旧皇族の青年を探せ」と極秘で指示を出していたことを報じた。この指令を受けた杉田和博官房副長官(当時)が注目したのが、賀陽家の2人の息子だったのだ。
当主も「認識していない者」と
そんな名家がいま意外な場所で話題になっている。
「今年初めから“賀陽宮の末裔”という人物が、議員会館で与野党の国会議員に声をかけているのです」(政治部記者)
その人物は「賀陽健」(仮名)と名乗っているという。議員秘書が語る。
「彼はいつも着物姿で、目立つ。賀陽家の他、麗澤大学などを運営する学校法人の経営で知られる廣池家の縁者だとも名乗っていました。『賀陽』や『廣池』の名前を聞いて信用した代議士も多く、高市早苗元経済安保相も議員会館の事務所に招き入れていた。ただ、本当の旧皇族が自己紹介でわざわざ宮号を名乗るとは考えづらく、『本当に賀陽家の人間なのか』と困惑の声が広がっています」
健氏のSNSを見ると…
健氏は議員に何を訴えているのか。SNSを見るとその一端が垣間見える。
〈(日本を)国際繁栄都市・国際宗教都市へ進化させなければなりません。繁栄する都市には、必ず宗教があります〉
〈西暦2020年頃から2037年頃にかけて、日本は現代のエルサレムとなり、世界のメッカとなります。この時期が、日本の黄金時代となるでしょう〉
その他の投稿によると、健氏は1987年生まれの38歳で、「神道協会 総理兼総裁」の肩書きを持つという。林芳正官房長官と写る写真もアップされていたほか、過去には、幸福の科学の書籍や教えを紹介する投稿も。さらに23年には、政治団体「富士山神上大愛神道菊栄豊国協会」を設立していた。
当主も「認識していない者」と
個性的な発信を行いながら、閣僚級議員に近づく健氏。賀陽家ではどのように受け止められているのか。現当主の正憲氏に取材を申し込むと、書面によるこんな返事が届いた。
「お尋ねの者は会ったことも話した事もなく、賀陽家の者として、認識していません。賀陽家として今いる者は6人のみです。賀陽家の者としてこちらが認識していない者が賀陽をかたり、あちらこちらに顔を出していることは、初めて知りました」
正憲氏だけでなく賀陽家の女性2人にも尋ねたが、揃って「親戚と認識していません」と答えるのだ。
健氏は賀陽を騙る“ニセ皇族”なのか——。だが、さらに取材を進めると、驚くべき事実が判明した。
「彼は本当に賀陽家と縁戚関係にある。廣池家の親族に、賀陽家の女性の養女になった人物がいる。その人物の養子が健氏なのです」
そう証言するのは、健氏が賀陽家に加えて縁があると語っている廣池家の関係者である。
廣池家側とのトラブル
話をまとめるとこうだ。恒憲王の長女の賀陽美智子氏(旧名美智子女王・09年に死去)は1943年、公爵家の陸軍中尉と結婚し降嫁するも、離婚。夫婦には子供がおらず、晩年、独り身の美智子氏の面倒をみていたのが、齢の近い廣池みどり氏(仮名)だった。美智子氏は死去の3年前、みどり氏と養子縁組。そして22年6月、みどり氏と養子縁組したのが健氏だった。みどり氏はその半年後に体調を崩し、急逝した。
前出の関係者が語る。
「廣池家では、みどりさんの姿を見かけなくなったことから戸籍を確認して、初めて死亡届が出ていることを知ったそうです。その後、健氏と廣池家は、廣池家がみどりさんに渡していた生活費や、彼女が住んでいた廣池家所有のビルへの居住をめぐりトラブルに発展。廣池家側が警察を呼んだこともある」
学習院で愛子さまとすれ違い
当主も知らぬ間に賀陽家の一員となっていた健氏。だが、当主である正憲氏が“賀陽をかたってあちこちに顔を出している”と断じた事実は重い。その目的は何なのか。電話で直撃すると、1時間超にわたって鷹揚な調子で取材に応じた。
——永田町で陳情をしているそうだが。
「いえいえ、陳情というか。先生方に違った光を届けているというだけです。年初は大臣含めて、ほとんどご挨拶に」
——ビジネスもやっている?
「特に役員とかいうわけではないんですが、ある会社を株主として応援していたりはしていますけれど。今後は財団の立ち上げとか、芸能の事業など、動いていることはありますよ」
賀陽家との関係を聞くと、
「美智子さんの祭祀、お墓を継承しているのが私。当主の2人息子の関係でよく(賀陽家の)名前が出ますが、実はもう一人いたということなんですね。愛子が天皇になった場合、(正憲氏の息子と結婚すれば)私は天皇の義理の親族の立場になりますから。(賀陽家側が)認識していなかったとしても、枠組みの中では同じ賀陽なわけです」
実は愛子さまにも“接近”していたという。
「学習院(大学)によく行っていたのですが、そこで一度すれ違ったことがある。全然オーラないなと思っちゃった」
「私が死に追いやっちゃった」
SNSに投稿していた幸福の科学については、
「今は別に会員ではありません。大川隆法さんが亡くなる1年ほど前に、ご自宅の執務本部の人たちから呼び出されて、私はいろいろ教育してたわけ。晩年、私が近づくと大川さんの心臓の鼓動が高くなっていた。私が死に追いやっちゃったっていう部分もある」
真偽不明の奇怪な持論を展開する健氏は一体、何を目指しているのだろうか。そんな素朴な疑問をぶつけると、こう語るのだった。
「(目指すのは)革命家的な動きでしょう。現職の国会議員や、その他の立場のある方々の価値観の逆転。だから、(賀陽家と廣池家の)両方からすれば、私の存在は消したいはずだよ。幸福の科学の内容も、宗教思想の分野も混ざった、彼らにとっては一番嫌な内容を発信していくわけだから。はっきり言って、私の方が目立っちゃうの。カリスマ性もありますし」
賀陽家にとって革命級の衝撃なのは間違いなさそうである。
(「週刊文春」編集部/週刊文春 2025年4月3日号)