「あー、またキマってるんだ」中学時代から“薬物中毒”だった母は、警察にマークされた末に独特の「覚醒剤の販売法」を編み出し…“ヤクザの子”が振り返る衝撃人生

2025年5月25日(日)18時0分 文春オンライン

〈 「ママやばいよ、死んじゃうかも!」父が母を“覚醒剤漬け”にして1日中、性行為に耽った末に…“ヤクザの子”が振り返る絶望の半生 〉から続く


 国家から「反社会的組織」と定義されている暴力団。その構成員や準構成員の家族、とりわけ子どもはどのような人生を過ごし、大人になっていくのか。『 ヤクザの子 』(石井 光太著、新潮社)から一部抜粋してお届けする。なお、登場する証言者やその関係者は、身に危険が及ぶことを考慮して全て仮名にしている。(全3回の1回目/ 2 回目を読む / 3 回目を読む )



シングルマザーの母は、マンションで覚醒剤を売って生計を立てていた(画像はイメージです) ©SHU/イメージマート


◆◆◆


 東京の立川市は、住吉会の二次団体の縄張りだ。この組織は他にも、国立、昭島、福生、青梅、それに埼玉県の一部にまで大きな影響力を及ぼしている。


 この地域の不良たちにとって、住吉会は身近な存在だ。不良グループから暴走族へ、そして暴力団へと反社会へのエスカレーターが用意されているし、そうならなくても夜の街で遊んでいて住吉会の構成員に遭わない日はなかった。挨拶を交わしていくうちに、いつしか組織の人間関係に染まり、男は利用され、女はその妻や愛人となっていく。


 松島一恵(かずえ)の両親もそうだった。父親の紀夫(のりお)は地元では有名な不良で、中学時代から傷害事件を何度も起こし、卒業後は地元の暴走族へ加入。18歳で引退してからは、先輩の誘いを受けて住吉会の傘下組織の盃を受けた。


 同級生だった母親の美奈子(みなこ)も、幼い頃から札付きの不良少女だった。小学生の頃にはシンナーに手を染め、中学に入って間もなく覚醒剤を覚えた。高校は卒業せず、暴走族の集会と覚醒剤に溺れる日々。17歳でトラック運転手と結婚したものの、喧嘩ばかりで2年で離婚。


 その後、美奈子は紀夫と知り合って再婚する。すでに住吉会の構成員となっていた紀夫は、美奈子とともに覚醒剤の密売を手がけた。


 1995年、22歳の2人の間に生まれた長女が一恵だった。だが、家族3人の暮らしは長くはつづかなかった。


父は親分と対立し、組を離れて酒浸りとなった


 ある日、紀夫は組織の親分から命じられ、衣服をクリーニング店に出しに行くことになった。免許停止中だったが、親分に逆らうわけにいかず、組織の車を運転して出かけたところ、途中で交通事故を起こしてしまった。車は大破し、相手の一般人にも大怪我を負わせた。


 警察は紀夫が構成員であるのを知ると、ほとんど嫌がらせ同然に事務所に対する家宅捜索を行った。事故とは無関係にもかかわらず、事務所にあったものが証拠品として押収された。これに激怒したのが親分だった。紀夫に向かって言った。


「誰のせいでこうなったと思ってんだ。くだらねえ事故起こしてカタギの人間に怪我させたばかりか、警察にまで好き勝手やらせやがって。うちの組への慰謝料を払え!」


 親分は八つ当たりのように紀夫に多額の支払いを求めたのだ。紀夫は納得がいかなかった。親分の命令で運転して起こした事故なのに、なぜ自分だけに責任が押しつけられるのか。彼はこの一件で暴力団に嫌気が差し、脱退を決めた。


 だが、暴力団を抜けた元構成員が直面する現実は厳しい。正業に就くことも、裏稼業をすることもできず、街では他の構成員と顔を合わせないように逃げ回らなくてはならない。そのため、紀夫は朝から晩までよその街のパチンコ店を回り、小銭を稼げば現実を忘れるように酒を飲んだ。


 こうした生活に憤りを覚えたのが、妻の美奈子だ。暴力団からの脱退はやむをえないにせよ、ちょうど2番目の娘を身ごもっていたことから、紀夫には家庭のためにしゃにむに働いてもらわなければならなかった。だが、いくらそのことを言っても、行動に移そうとしない。あきれ果てた美奈子は言った。


「もう別れよう。あんたといても、生きていけなくなるだけ」


「あー、またキマってるんだ」母は中学時代から薬物中毒だった


 離婚を突きつけられた紀夫は家から出て行った。こうして、美奈子は2児を抱えるシングルマザーとなったが、正業に就いて子育てに生きがいを見いだすタイプではなかった。それまでに培った裏社会のつてを使い、前夫なしで覚醒剤の密売を1人でやることにしたのだ。


 一恵は振り返る。


「お母さんは、その頃住んでいたマンションをアジトにしていた。毎日のようにお客さんがうちにやって来て買っていったり、その場でやったりするの。たぶん、私や妹が小さかったから、家の中で商売をしていたんじゃないかな。今にして思えば、お母さんは結構やり手だったんだと思う。車はクラウンに乗っていたし、食事は毎日レストランや居酒屋で外食だった。


 ただ、お母さんは中学時代からのポン中だから、日常生活はメチャクチャだった。一応、娘に見せまいとトイレでやっていたけど、テーブルや床には注射器が転がっていたし、トイレから出て来たら目をギラギラさせていた。キマっている時は何時間も服を手洗いしたり、同じ服を何10回もたたんだりしていたからすぐわかったよ。あー、またキマってるんだ、みたいな」


 一恵の記憶によれば、マンションにやって来る客の中には暴力団構成員が相当数いたようだ。彼女はつづける。


「マンションにはヤクザ風の人がしょっちゅう出入りしていて、刺青のない人の方が珍しかった。私は刺青に興味あったから、男の人が遊びに来るたびに『背中の絵を見せて』ってねだってた。みんな私のことかわいがってくれて、お母さんがいない時は一緒にお菓子を食べたり、テレビを見たりしていたかなぁ。たぶん、あいつら、私の面倒を見ていれば、お母さんが、クスリを安く譲ってくれると思っていたんだよ。だから、私にはお父さんがいなかったけど、たくさんの男の人に囲まれてかわいがられた記憶はあるんだ」


警察にマークされた母が編み出した「覚醒剤の販売術」


 美奈子は覚醒剤の密売をするにあたって、住吉会の構成員をパートナーにして後ろ盾になってもらっていた。その時々で相手の男は変わったが、ことごとく背中には和彫りの刺青が入っていたそうだ。それだけ暴力団との関係が深かったのだろう。


 当然のことながら、地元の警察は美奈子をマークしており、時にはマンションに家宅捜索に押し入って来た。美奈子はそれを承知の上で、あの手この手で覚醒剤を隠していた。


 一恵が覚えているのが、ジュースのアルミ缶を加工する方法だ。プルタブは開けずに、アルミ缶の上の部分をカッターで2つに切断する。中身のジュースを捨て、空になった缶の中にビニールにつめた覚醒剤を入れて、水を足した後、切り離したアルミ缶を接着剤でくっつける。見た目は未開封の缶ジュースだが、中身は覚醒剤というわけだ。


 その他、冷凍庫の食品に混ぜる方法だとか、一恵たち娘の学校の鞄に隠す方法だとか様々だった。売人仲間から聞いたり、自分で考え出したりしていたのだろう。一恵は子供ながらに、よくここまでアイディアが出るなと呆れて見ていたそうだ。


 しかし、警察の目はそこまで節穴ではない。一恵が小学4年生の時、マンションに家宅捜索にやってきた警察官たちがついに隠していた覚醒剤を発見した。

〈 「私はヤっちゃう方だった」「もう別次元の快楽」“14歳の少女”は、覚醒剤に狂う母の後を追って自身も薬物の沼に溺れていった…「ヤクザの子」が振り返る怒涛の半生 〉へ続く


(石井 光太/Webオリジナル(外部転載))

文春オンライン

「ヤクザ」をもっと詳しく

「ヤクザ」のニュース

「ヤクザ」のニュース

トピックス

x
BIGLOBE
トップへ