「白いスカートが血で赤く染まり、呼吸困難に陥りそうに…」107人が死亡した“凄惨な電車事故”19歳女子大生が語った、事故直後の壮絶な状況

2025年5月27日(火)7時20分 文春オンライン

 乗員乗客107人の死者を出した、JR史上最悪の惨事・福知山線脱線事故から20年。脱線・転覆の10秒間に、いったい何が起きていたのか。生死を分けたものは何だったのか。重傷を負った生存者にふりかかった様々な苦悩と、再生への歩みとは——。


 ここでは、遺族、重傷を負った被害者たち、医療従事者、企業の対応など、多角的な取材を重ねてきたノンフィクション作家・柳田邦男氏の著書 『それでも人生にYesと言うために JR福知山線事故の真因と被害者の20年』 (文藝春秋)より一部を抜粋。2両目に乗っていた女子大生(19歳)の証言を紹介する。(全3回の1回目/ 2回目に続く )



救出作業に追われる福知山線の列車脱線現場 ©時事通信社


◆◆◆


1両目の死者を上回る大きな被害を出した2両目


 2両目の乗客たちは、どのような状況に巻き込まれたのか。


 2両目は脱線した後、1両目との連結器がはずれて、ほぼ線路沿いに突進し、マンションに正面からは衝突しなかったものの、左側面をマンションの角に激しくぶつけたため、車両の後半部は3両目に押されて、時計の針が進む方向へ回転し、全体を「くの逆向きの形」にして左側面全体をマンションの壁に激突させた。


 空から撮影した写真を見ると、2両目は車両の横幅がほとんどなくなったと言えるほどぺしゃんこになって、マンションにへばりついた形になっているのがわかる。このため、2両目の死者は1両目の死者を上回るほど大きな被害を出す結果となった。


 2両目の最前部と言ってよい位置に乗っていたのは、山下亮輔と同じように大学に通い始めたばかりの19歳の三井花奈子だった。1年浪人して受験勉強に励み、念願の同志社大学に入れたので、母親・ハルコの目には健気に見えるほど、真摯に授業に出ていた。


「車内でくっつき合うのはいやだな」2両目の一番前の列から乗車した


 この日は、2時限目の授業から出ればよかったので、川西市の自宅からバスでJR福知山線の川西池田駅に出て、午前9時過ぎの上り快速電車に乗れば、同志社前駅まで直行するので、授業に間に合う。その通学に慣れてきた時期だった。


 同志社前駅では1両目が改札口に近くて便利なので、川西池田駅のホームに入ると、1両目の行列の後ろに並んだ。4つのドア別に4つの行列ができていて、花奈子が並んだのは、1両目の後部ドア列だった。見回すと、行列の人数が1両目に集まっていて、2両目から後ろの列はずっと少なくなっている。


 車内でくっつき合うのはいやだなと思った花奈子は、2両目の一番前の列に移動した。そこへ電車が入ってきた。車内に入ると、空席はなかったが、あまり混んでいないのでほっとして、最前部の進行方向に向かって右側の長椅子の前に立ち、吊り革を右手で握った。


 長椅子には自分と同じくらいの年に見える若い女性などが座っていた。普段ならすぐに忘れてしまいそうな周りの乗客のことが、異常事態が発生すると、意外に記憶から甦るものだ。


忘れられない伊丹駅でドアが閉まった瞬間の情景


 快速電車は急速にスピードを上げていき、停車しない北伊丹駅を通過する時には、最高制限速度の時速120キロを少し超えていた。それでも福知山線に慣れていない花奈子には、異常なこととは感じなかった。


 途中停車駅の伊丹駅に急停止する感じで着いた時、窓の外に駅のホームがなかった。変だなと思っていると、電車はバックし始めた。《オーバーランしたのか》と思ったが、JRの線ではよくあることなのかなと、大して重大なこととは思わなかった。


 伊丹駅では、新たにかなりの人々が乗ってきて、急に混雑した感じになった。ドアが閉まり動き出した。花奈子は、後になって事故の体験を思い起こす度に、ドアが閉まった瞬間の情景が、もはや逃れることのできない運命共同体の中に乗客たちを閉じこめた瞬間のように思えてならないのだった。実際、それは妄想などではなく、紛れもない現実だった。


 伊丹駅を出てからの電車のスピードは、花奈子にも異常に感じられ、吊り革をしっかり握っていないと転倒してしまいそうなほど激しく揺れた。発車してから事故が起こるまでは、あっという間だった。


 花奈子は、1両目との連結部に近いところに立っていたので、連結部の窓越しに、1両目の車両の動きの異常な変化にすぐに気づいた。1両目の車両が左に傾きながら、2両目の前面と激しくぶつかり合い始め、窓ガラスが一瞬のうちにガシャガシャンと割れる。


 周りから悲鳴やざわめきが湧き起こると同時に、激しい衝撃が生じた。それ以降の記憶がない。花奈子は意識を失ったのだ。


「助けて!」動けなくなっている人間の塊の中にいる


 気がつくと、無残に潰れた車体の中にいて、身体は何かに挟まれて動けなくなっていた。頭が上で、身体は垂直に立った状態なのだが、足は地に着いていない。下肢が金属のような固いものにはさまれて圧迫されていて、動かすことができないのだ。なぜか手も動かせない。


 息が苦しく、吸っても吸っても、空気が足りない感じだった。自分が生きているのか死んでいるのかさえ、わからない。


「助けて!」


 女性の叫び声が、だんだん甲高くなってくる。叫び声があちこち近いところから聞こえる。周囲の様子がわかってきた時、花奈子はショックを受けた。自分は動けなくなっている人間の塊の中にいるのだ。


 意識が朦朧とする中で、花奈子の脳裏に浮かんできたのは、母の顔だった。父や姉の顔も浮かんできた。



〈《家族みんなに会えないまま死んでしまうなんて、絶対にいやだ。助けを求めなければ、誰にも見つけられないで死んでしまう》〉



 切羽詰まった思いがこみあげてくる中で、花奈子は周囲の人たちと同じように叫んだ。


「助けて!」


 いや、叫んだつもりだけだったかもしれない。再び意識を失ってしまったのだ。


白いスカートは血で赤く染まり、息苦しさが辛く…


 次に意識が戻ったのは、救助隊の人に身体を支えられてマンションのすぐ前に連れ出された時だった。花奈子は、そのまま地面にしゃがみこんだ。目の前には、見たこともないような潰れた形になった2両目の車両が、マンションにへばりついている姿があった。それ以外の車両もジグザグ状にそれぞれが勝手な方向を向いて壊れている。


 自分の姿はと見ると、白いスカートが血で赤く染まり、片方の靴がなく、手に持っていた鞄もなくなっていた。額を触ると出血している。手、肩、足など身体中が痛くて動かすことができない。一番辛かったのは、息苦しいことだった。呼吸困難に陥りそうだった。周りには、怪我をした人たちが横たわっていて、みなぐったりとしている。


 しばらくして、花奈子は担架でブルーシートの敷かれた場所に移された。すぐに病院に運ばれるのかと思っていたが、一向にその気配がなかった。周りでは、負傷者一人ひとりに対して、医療班による搬送と治療の優先順位を決めるいわゆる「トリアージ」の救急診断が行われていた。


 1分1秒を争って治療を急ぐ必要のある重篤な負傷者には「赤」のタグをつけ、現場での応急処置だけでしばらく待っても生命に別状はない負傷者には「黄色」のタグをつける。現場で死亡が確認された人には「黒」のタグをつけて、とりあえず現場に安置しておく。


「赤」のタグがつけられ、救急車に乗せられて


「この人、赤だ。搬送! 先だ」


「この人、黄色。しばらく待ってください」


 そんな声が飛び交うのを聞いていて、花奈子は、《そうか、重傷者は赤で目立つようにして、先に運ぶのか》と、緊急搬送に手順があるのを知った。


 待つ間に心の支えになったのは、周辺の工場などから支援に駆けつけてくれた従業員らが、ボトルで水を飲ませてくれたり、励ましの言葉をかけてくれたことだった。


 そのうちに花奈子にも医療班によって「赤」のタグがつけられると、担架に乗せられて、近くの中学校の校庭に運ばれ、待機していた救急車に乗せられた。酸素マスクをつけられたが、息苦しさは和らがなかった。頭はぼーっとしていたが、家族に会いたいという思いだけは途切れることなく駆けめぐっていた。


 ピーポーピーポーの音とともに、救急車が現場から遠ざかるにつれて、家族にもうすぐ会えるという期待感が高まってきて、自分は助かるという安堵感も朧げながら生じてきた。

〈 「19歳の妹が事故に巻き込まれたかもしれない」姉は職場で泣き崩れ…107人死亡の“凄惨な電車事故”被害者家族が語る、事故直後の絶望的な心境 〉へ続く


(柳田 邦男/ノンフィクション出版)

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