警察が証拠を捏造し、“無実の罪”で中小企業の社長らを逮捕…「捜査の過程で人が亡くなった」冤罪事件・大川原化工機事件の発端
2025年5月28日(水)7時10分 文春オンライン
不正輸出の濡れ衣で社長ら3人が逮捕されるも、初公判直前に起訴取り消し、その後の国賠訴訟では捜査員からの「捏造」発言も飛び出した「大川原化工機冤罪事件」。なぜ警視庁公安部によるストーリーありきの捜査は止まらなかったのだろうか?
ここでは、同事件を取材した毎日新聞記者・遠藤浩二氏の著書『 追跡 公安捜査 』(毎日新聞出版)より一部を抜粋して紹介する。(全3回の1回目/ 2回目 に続く)

◆◆◆
「確かに捏造と言いました」
2023年6月30日。前日から続く梅雨空の東京・霞が関——。新聞・テレビ各社のブースがL字型の通路沿いに並ぶ司法記者クラブの中でも、窓がない毎日新聞のブースはひときわ狭く圧迫感がある。
背丈より高い棚には、埃をかぶった過去の事件ファイルや新聞のスクラップが並ぶ。各社のブースを仕切る薄い壁の天井近くだけは防災上の理由で空間が設けられているが、おかげで、小声で話さないと話は筒抜けだ。
約2カ月前に最高裁の担当になった私は、この決して良好とは言えない記者クラブの一角で、インスタントコーヒーを飲みながら翌月に判決のある訴訟資料に目を通していた。
ところが、のんびりとした雰囲気は、突如ブースの外から聞こえた騒々しい足音と、後輩記者の慌てた報告で一気に破られた。
「捏造って言ったんですけど」
この日は、午前10時から、大川原化工機株式会社(横浜市)の社長らを原告とする国家賠償請求訴訟が行われていた。その捜査に携わった警視庁公安部の現職警察官人の証人尋問で、思いもよらない発言が飛び出したという。
「本当にそんなこと言ったの? マジで?」
驚きながら確認するキャップに、「確かに捏造と言いました」と断言する後輩記者。
捏造——?
傍らで二人のやりとりを聞いていた私は、その言葉の重みに底知れない衝撃は受けたものの、それが意味する本当のところはまだつかめていなかった。ただ、漠然と、何かが動く、そして自らも動かなければならないと感じていた。
大川原化工機事件とはどのようなものだったのか
カップラーメンの粉末スープや、インスタントコーヒー、抗生物質。身近な製品が今回、事件の核となった噴霧乾燥器と呼ばれる機械で製造されていることはあまり知られていない。
噴霧乾燥器は、液体を霧状に撒いたところに付属のヒーターで熱風を送り、水分を蒸発させて粉末にする機械だ。別名スプレードライヤとも呼ばれる。食品、医薬品、洗剤に始まり、顔料、染料、電子部品に用いられるセラミックスまで、あらゆる製品の製造過程に使われる。
一方で、悪用すれば生物・化学兵器の製造に転用される恐れがあり、国際的には2012年、国内では13年10月から輸出規制の対象になった。ただし、全ての噴霧乾燥器の輸出が禁じられているわけではなく、特定の要件を満たす機械が規制対象となる。
従業員は約90人と中小企業の規模ながら、国内ではこの機械のリーディングカンパニーとして知られる大川原化工機が、警視庁公安部の家宅捜索を受けたのは18年10月。
そして、その約1年半後の20年3月。任意の捜査に協力してきた大川原化工機にとって青天の霹靂とも言える事態が起きる。
大川原化工機の社長ら3人を逮捕・起訴→突然の起訴取り消し
大川原化工機の社長ら3人は、経済産業相の許可を得ず噴霧乾燥器を中国に不正輸出したとして、外国為替及び外国貿易法(以下、外為法)違反で逮捕・起訴された。5月には、別の型の機械を韓国に不正輸出したとして再逮捕され、翌6月に追起訴された。
驚くのはこの先だ。東京地検が、初公判のわずか4日前の21年7月30日、突然起訴を取り消した。起訴取り消しとは、そもそも法律に違反する犯罪事実がなく、無実だったということを意味する。裁判所が有罪、無罪の判決を下す前に起訴したはずの東京地検が白旗を上げたのだ。
起訴取り消しは極めて異例で、地検だけでなく、東京高検、最高検を含め、検察組織全体としての判断になる。
唐突に下された決定に対し、大川原化工機の大川原正明社長(76)、元取締役の島田順司さん(72)、そして、長期にわたる勾留の中で体調を悪化させ、保釈請求も認められず、被告の立場のままこの世を去った元顧問の相嶋静夫さん(享年72)の遺族らが、真実を明らかにするために起こしたのが、今回の国と東京都を相手取った裁判だった(※年齢は2025年5月末現在)。
その裁判のさなかで飛び出したのが、現職警察官による「捏造」発言である。
罪を犯したと疑われた人が捜査機関に逮捕、起訴され、裁判にかけられる「国家権力VS.個人」という構図の刑事事件とは違い、民事事件は主に「個人VS.個人」の争いだ。賠償請求額は1円から、弁護士を付けなくても誰でも裁判を起こせるため、判決が出るまでどちらか一方に肩入れした報道をすることはほとんどない。
しかし、現職警察官2人が捜査を批判し、うち1人は捏造とまで言い切った。この証言は重い。「捏造」とだけ聞いても、どれだけ深掘りできるかはとっさには量りかねたものの、ただ判決を待つのではいけないと感じた。公安部内で捜査当時何が起きていたのかを独自に検証する必要がある。明らかに局面が変わったと思った。
まだ一度も世に出ていない事実を表に出すことがやりがい
メディアの報道は大きく「発表報道」と「調査報道」の2つに分けることができる。「発表報道」とは、警察や検察、役所といった当局の発表を受けて報道するタイプ。ストレートニュースともいう。日々のニュースの大半は発表報道で、「東京都内の民家で住人が襲われた事件で、警視庁捜査1課は強盗致傷容疑で男を逮捕した」「厚生労働省が公表した人口動態統計によると、2024年の出生数が初めて70万人を割る公算が大きくなった」などは、その典型だ。
一方、当局に頼らず、独自取材でつかんだ事実を報じることを「調査報道」という。調査報道では、「毎日新聞の取材で判明した」などと、自社のクレジットを付けて報じるため、確固たる証言や客観的な資料が不可欠だ。そのためには、取材対象の組織内部にネタ元がいなければ成立しない。取材のハードルは高い上、長期間取材しても記事になるか分からない。相手から訴えられるリスクなどもあることから、敬遠されがちである。
そもそも事件記者の仕事の大半は、発表報道、調査報道にかかわらず、時間も体力も気力も使うことが多い。取材対象者が仕事を終えて帰宅するのを待ち構えたり、朝の出勤時に自宅から出てきたところで声をかけたりして情報を聞き出す、いわゆる「夜討ち朝駆け」は基本の「き」。
最初から、気持ちよく喋ってくれる人などいるはずもなく、半年間「おつかれさまです」「バカヤロー。来るなって言ってるだろうが」の応酬を繰り返したこともある。肉体的にも精神的にもきつく、担当を避けたり、担当になっても辞めてしまったりする記者も多い。
当時、入社して15年。記者を続けるうちに、まだ一度も世に出ていない事実を表に出すことにやりがいを感じるようになっていた。また、理不尽な事件に巻き込まれた人の死や、事件解決に向けて捜査に励む捜査員に心が揺さぶられることが何度もあった。これまで夜討ち朝駆けに何千時間費やしてきたのか分からない。
取材を開始すると社内からストップが…
今回、捏造とまで言われた捜査の過程で人が亡くなっている。そして、自身の組織内での立場を顧みず捜査を批判した警察官がいる。関係者から話を聞き、隠された捜査の問題点を明らかにするのに、自分以上にうってつけの記者はいないと思った。
公安部の内情を探るべくさっそく取り組んだのは、捜査員のフルネームを調べ、自宅の住所を割り出す「ヤサ割り」と呼ばれる作業だ。今回の不正輸出の捜査を担当したのは、警視庁公安部外事1課5係。約20人の部署だが、人員が毎年少しずつ入れ替わるため、捜査に関わった捜査員は50人に上る。
今回「まあ、(事件は)捏造ですね」や「捜査幹部がマイナス証拠を全て取り上げなかった」と指摘した2人の警部補以外にも批判的な捜査員は間違いなくいるだろう。これまでの経験から、ヤサが割れた捜査員を片っ端から当たり、感触のいい人に夜討ち朝駆けを繰り返せば、捜査の内情を聞けるという自信があった。
ところが、これからという時に、社内で取材にストップがかかった——。
そして、その後、捜査員から初めて話を聞くことができたのは、冒頭の捏造発言から4カ月も経った10月。序盤の取材はすっかり他社に先行されていた。
またか——。
すぐそこに取材対象者はいるはずなのに、取材が進められない。組織のふがいなさ、それに対する怒りを感じるよりも、真実に迫れないことが記者として許せなかった。
この感覚は初めてではなかった。以前から取材を続けている、ある事件のことが浮かんだ。
〈 「動くな」「電話するな」ある日突然、会社に大勢の捜査員が押しかけ…“冤罪事件”に巻き込まれた大川原化工機は、なぜ警察に狙われてしまったのか 〉へ続く
(遠藤 浩二/Webオリジナル(外部転載))
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