「動くな」「電話するな」ある日突然、会社に大勢の捜査員が押しかけ…“冤罪事件”に巻き込まれた大川原化工機は、なぜ警察に狙われてしまったのか

2025年5月28日(水)7時10分 文春オンライン

〈 警察が証拠を捏造し、“無実の罪”で中小企業の社長らを逮捕…「捜査の過程で人が亡くなった」冤罪事件・大川原化工機事件の発端 〉から続く


 不正輸出の濡れ衣で社長ら3人が逮捕されるも、初公判直前に起訴取り消し、その後の国賠訴訟では捜査員からの「捏造」発言も飛び出した「大川原化工機冤罪事件」。なぜ警視庁公安部によるストーリーありきの捜査は止まらなかったのだろうか?


 ここでは、同事件を取材した毎日新聞記者・遠藤浩二氏の著書『 追跡 公安捜査 』(毎日新聞出版)より一部を抜粋して紹介する。(全3回の2回目/ 3回目 に続く)



写真はイメージ ©Tomoharu_photography/イメージマート


◆◆◆


「なぜ、大川原だったんでしょうか」


 東海道新幹線、JR横浜線、横浜市営地下鉄が乗り入れ、高層ホテルやオフィスビルが林立する新横浜駅から2駅。JR横浜線の鴨居駅で電車を降りると、同じ横浜市内でも雰囲気はがらりと変わる。


 線路に沿うように流れる鶴見川に架かる橋を渡ってしばらく歩くと、背の低い町工場が建ち並ぶ一角に4階建ての社屋が見えてきた。


 2024年1月、私は大川原化工機の本社に向かっていた。私はこの頃、すでに、警視庁公安部が立件に不利な証拠を隠蔽した疑惑をつかんでいた。噴霧乾燥器の温度実験をした際、見立て通りに温度が上がらなかった測定箇所のデータを除外し、経産省に報告した疑いだ。


 しかし、この話を記事にするには、噴霧乾燥器の構造を詳しく知る必要がある。会社側に相談し、紹介されたのが、入社30年を超えるベテラン技術者の武村さん(仮名)だった。


 武村さんは、カタログや図面を広げながら、サイクロン、製品回収容器、排風口といった装置の各部位の特徴や寸法について説明してくれた。そうして、一通り話し終えた武村さんが、ふと口にした。


「なぜ、大川原だったんでしょうか」


 私はこの質問に虚を突かれたような思いがした。


 当時、私は捜査当局の内部資料を入手し、捜査の問題点を指摘する記事を出すことに力を注いでいた。目が向いていたのは公安部側を追及することだが、その対極にいる、大川原化工機側の逮捕された社長ら3人のことも忘れたことはない。


 一方で、その陰にいた、大川原化工機の社員たちに今ひとつ考えが及んでいなかった。彼らもまた、「当事者」だった。そんな武村さんら社員の立場からは、今回の公安部の捜査はどのように映ったか。


「動くな」「電話するな」いきなり大勢の捜査員が会社に押しかけ…


 18年10月3日、午前9時の朝礼前に、いきなり大勢の捜査員が会社に押しかけてきた。「動くな」「電話するな」と大声で怒鳴り、パソコンや書類を根こそぎ持っていった。その日から間もなく、社員らは何度も任意の事情聴取を受けた。警察の任意の捜査に協力的に対応していたが、20年3月には社長ら3人が逮捕、起訴された。


 そして、21年7月30日に起訴が取り消された。この約2年10カ月の間、社員とその家族がどれだけ不安な日々を過ごしたのかは、想像に難くない。武村さんは部下から「退職したい」と言われた場合、どう答えるかを考えていたという。社員も、当事者、関係者である以上に、社長ら3人と同じように、冤罪事件に巻き込まれた被害者なのだ。


 起訴が取り消されても、捜査当局から説明はない。知らないうちに事件に巻き込まれ、知らないうちに事件が終わったのだ。何が起きていたのか知りたいと思うのは当然だろう。


 内部資料とともに捜査の問題点を突く記事とは違い、捜査の端緒を説明する記事は紙面上大きな扱いにはならないかもしれない。しかし、この冤罪事件を追う記者として、武村さんの「なぜ、狙われたのか」という根本的な疑問に答えなければならないと思った。


「大企業だと警察OBがいる」大川原化工機が公安に狙われた理由


 なぜ、大川原化工機だったのか——。


 この頃、すでに話をできる関係を築いていた複数の捜査関係者にこの疑問をぶつけてみた。すると、数々の信じ難い答えが返ってきた。


「大企業だと警察OBがいる。会社が小さすぎると輸出自体をあまりやっていない。100人ぐらいの中小企業を狙うんだ」


 これは捜査を指揮した警視庁公安部外事1課5係の係長だった宮園勇人警部が日頃から言っていた言葉だという。


 大川原化工機は社員約90人の中小企業。警察OBも雇っていない。国内では噴霧乾燥器のリーディングカンパニーで、ヨーロッパを中心に機械を輸出していた。宮園警部がターゲットに挙げる会社の条件と完全に一致していた。捜査のきっかけは次のような経緯だったという。


大川原化工機の捜査が始まったきっかけ


 17年春、輸出管理に関する調査研究をしている一般財団法人「安全保障貿易情報センター(CISTEC システック)」が、民間企業の輸出管理担当者を対象に開いた講習会があった。この講習会に外事1課の巡査長が1人で参加した。そこで、噴霧乾燥器が生物兵器の製造に使われる恐れがあるとして、13年10月から国内で輸出規制の対象になったことを知った。


 まだ手を付けていない分野には、まだ見ぬ“宝”が眠っているとでもいうのだろうか。


「5係は新しいものが好き。新しくできた規制での立件第1号は注目されるから、調べることにした。捜査で端緒をつかんだわけではなく、毎年参加している講習会に出ただけだ」(捜査関係者)


 しかし、端緒の話は、外事1課が当初、大川原化工機側に伝えていた話とは異なっている。大川原化工機の複数の社員は、外事1課から任意の取り調べを受けた際、「中国のあってはいけない場所に大川原化工機の噴霧乾燥器があった」と言われていた。


 私は最初にこの話を聞いた時、大川原化工機の装置が輸出規制品に当たるかどうかという問題は別にして、少なくとも、外事1課が大川原化工機の装置が危険な国や組織に流れたことをつかんで、捜査を始めたと思っていた。


「大川原には火も煙も立っていなかった」


 ところが、端緒は単なる講習会だったのだ。ある捜査関係者は私にこう言った。


「『火のないところに煙は立たぬ』ということわざがあるが、大川原には火も煙も立っていなかった。我々が火を付けに行っただけだ」


 巡査長の報告を受けた外事1課は、噴霧乾燥器について詳しく調べることにした。一定の条件を満たした装置は輸出規制の対象になり、輸出する際には経済産業相の許可を取る必要がある。外事1課が経産省に問い合わせたところ、輸出許可申請を出していたのは、西日本にあるX社だけで、しかも申請は1件のみだった。


 これまでに輸出許可申請が1件しか出ていなかったのはなぜか。それは、大川原化工機をはじめ、業界では「輸出規制品に当たるのは自動洗浄装置付きの噴霧乾燥器」という認識だったからだ。業界全体の認識として、自動洗浄装置が付いていなければ、輸出の際に許可申請を出す必要はないと考えていたのだ。


 捜査関係者によると、許可申請を出していたX社ですら、「規制品に該当するかよく分からないので、とりあえず申請した」という程度の認識だったという。


外事1課はX社を取り込もうと考えた


 業界全体が輸出許可申請は不要と考えていたとなると、たとえ不正輸出があったとしても、規制品と分かっていて輸出したという「故意」を問うのは難しい。本来、ここで捜査は立ち止まらなければならない。捜査はまだ序盤で、容易に引き返せたはずだ。


 しかし、ここで外事1課に思いもよらぬ追い風が吹く。


 X社が大川原化工機に対し、液体を霧状に噴霧する噴霧乾燥器のノズル部分の特許を巡って、訴訟を起こしていたのだ。しかも、当時はまだ1審判決が出ておらず、X社と大川原化工機が係争の火花を散らしていた時期だ。外事1課は訴訟記録を取り寄せ、X社を取り込もうと考えた。


 実際、この作戦は奏功した。ある捜査関係者は「X社は次第に公安部の見立てに沿うことは何でも言うようになっていった」と明かす。後に「X社の証言は本当に信用性があるのか」と、内部で問題になるほどだったという。

〈 「逮捕すれば認めるに決まってる」警察が“無実の社長ら”を犯罪者にでっち上げ→捜査中に死亡した人も…「大川原化工機冤罪事件」の“ありえない捜査” 〉へ続く


(遠藤 浩二/Webオリジナル(外部転載))

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