「社長は不在です」と言われてからが凄かった…伊藤忠の岡藤正広会長もマネをした「天才営業マン」のトーク力
2025年3月30日(日)8時15分 プレジデント社
伊藤忠商事の入社式に出席し、取材に応じる岡藤正広会長=2023年4月3日、東京都港区 - 写真=時事通信フォト
写真=時事通信フォト
伊藤忠商事の入社式に出席し、取材に応じる岡藤正広会長=2023年4月3日、東京都港区 - 写真=時事通信フォト
■よい商人は、異変の兆しを見逃さない
岡藤はつねに現場にいた。社内にいるのではなく、日中は取引先のラシャ屋を回り、さらに取引がないラシャ屋にも顔を出した。そして休日や、出張した先では紳士服を仕立てるデパート、テーラーへ行った。デパートへ行ったら、紳士服売り場だけでなく婦人服から雑貨、食料品までさっと見て歩いた。売り場の人に名刺を出すのではなく、一般の客として声をかけて世間話をした。
「何が売れているんですか?」と聞くわけではなかった。売れている商品は売り場を見ればわかる。彼が店員に聞いたのは売り場における「異変」だ。異変と言えば大げさかもしれないが、「何かおかしいな」「以前とは違っているな」と思ったことである。そして、それがほんのちょっとしたことであっても、気にかかったことは直接、売り場の人間に訊ねてみた。疑問が芽生えたら解決せずにはいられない。そういう性分が商人だ。
■「デパートに行けば客の意思が見える」
「僕は新入社員の頃からデパートによく行っていた。今でも行きます。伊藤忠が関係しているアパレルや雑貨が店を出していることもあるし、直接関係がない店であっても、流行っているところにはお客さんの意思が現れている。それに、人を訪ねる時にはいつも手土産を持っていくから、買うために食料品売り場へ行くことがある。
ある時、うちがやっているブランド、レリアンの梅田阪急にある店へ行ったら、どうも様子が違う。よく見たら店のロゴが他のデパートの店と違っていて、堅い雰囲気の書体になっていた。売り場に聞いたら、梅田阪急にはお金持ち、富裕層のお客さんが多いから、正装のようなカチッとした商品が売れる。だから店の雰囲気も堅い方がいい、看板のロゴも堅い雰囲気に変えた、と。こういうのがお客さんを見て考えた創意工夫や。この工夫で高価格帯の商品が売れるようになった。こういう細かいところまで気をつけるのが商人や。
別の例もある。下関に行った時のこと。地方に行くとデパートと言いながらも、同じ建物内に庶民的なスーパーマーケットと同居している店舗がある。半分はスーパーの売り場で残り半分が高級品も売るデパートになっている。売り場がスーパーとデパート半分ずつとはいえ、実際に見に行くと、お客さんの大半はスーパーの客や。ねぎとか三つ葉とか買い物かごに入れてデパートに来ている」
■2万8000円のシャツが売れるのは東京だけ
「そのデパートにうちの子会社が扱っているブランドのメンズのコーナーがあった。そのコーナーでは紳士用のシャツを2万8000円で売っていた。売り場の店長と話したら、『この店、実はもうすぐ閉店します』と。じゃあ、閉店した後、君はどこの店で働くのかと聞いたら、金沢の同じような感じのデパートでやりますわ、と。
彼はこう言うんだ。
『岡藤さん、ここにある2万8000円のシャツ、まったく売れないとは言いません。でも、このシャツを買う人、この町には1人か2人といったところです。売れるのは1万円から1万5000円くらい。この価格帯の高級シャツが売れるのは東京ですよ。新宿伊勢丹や日本橋三越くらいですよ』
2万8000円の商品を置くより、もっと売れる商品を売っていたら、まだ店は続いたかもしれない。結局、現場へ行かないと、どういう人がお客さんなのかはわからないんだ。東京の本社にいてデータを見て、高級シャツが1枚か2枚売れたら、担当者はその店へ高級シャツを送る。しかし、現場の人間に聞けば、『高過ぎる。1、2枚しか売れない』とはっきり言うはず。データだけで判断してはいけない。
これはうちの子会社の間違いや。伊藤忠だって同じ間違いをやってる。だが、日本中のアパレルが同じことをやってるとも言える。
成功しているアパレルってオーナー会社が多い。オーナーは現場に行って、細かいところをよく見ているから、売れない商品を送ったりしない。伊藤忠みたいな大企業は、現場へ行かない社員がまだまだ大勢いる。データだけで商売しようとする。そこがダメなんだ」
■営業は情熱ではない
岡藤に営業のコツ、セールストークを教えてくれた紳士服地のエージェント、峠一は見たところは人のいい、遊び好きのおじさんだったが、実は天才営業マンだった。
岡藤は振り返る。
「僕は営業マンとしては、最初のうち会社から評価されていなかった。それもあって生地エージェントの峠さんと一緒に客先(ラシャ屋)を回ることになった。
会社に期待されていなかったのは、受け渡しをやっていた時に、取引先の社長に早く入金してください、納期通りに商品をうちの倉庫から引き取ってくださいとそればかり言っていたから。他の営業マンから見れば面倒くさいやつだった。
僕自身も生意気だった。入社してから数年間はいつも遅刻ギリギリ。学生気分が抜けなくて、始業と同時に席に座るような毎日だった。そんな僕を叩き直してくれたのが峠さん。
■社長がいなくてもぜんぜん焦らない
峠さんはもう見ていると素晴らしいんですわ。話が面白い。商才がある。理屈で売っていたわけではない。販売現場でモノが売れるような空気を作りだす。これが天才営業の技です。
だいたい、当時の海外製の紳士服地は差別化されてないから、どこの商社から買っても一緒なんですよ。それを峠さんは生地見本を見せながらラシャ屋さんの社長を口説くわけです。それも3時間くらい話をしていって話をまとめる。このテクニックが素晴らしい。よく営業は情熱とか熱心というけれど、そうではない。営業は情熱ではない。情熱だと圧が強くなる。営業はゆったりとした空気を作って浸透していくもの。それが営業トークや。
写真=iStock.com/TommL
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/TommL
峠さんはラシャ屋の社長がいなくてもぜんぜん焦ったりしない。買ってきたお菓子を出して、ラシャ屋のおばちゃんと食べながら、社長が帰って来るのをのんびり待つ。すると、おばちゃんは可愛がってくれて、僕らの味方になってくれる。僕は営業については峠さんの真似をしたんですよ。それで、おばちゃんたちにお菓子を買って持って行ったりしました」
峠が営業の天才だったのは、その場その場で話し方、話題、契約するタイミングを臨機応変に変えたからだ。相手を見ながら押したり引いたり、商品が売れるように空気を作っていった。彼の営業とは空気の醸成と言える。岡藤が稼げる人間になったのは営業の天才である峠に同行して会社訪問し、その現場を見て感じて、真似したからだ。
■「日本一の商社マン」を目指した若き日
ある日、岡藤は峠と安い居酒屋へ行った。酒を飲んでふたりはお互いの目標を語り合った。
峠は言った。
「岡藤さん、僕は日本一のエージェントになるよ」
岡藤はこう答えた。
「峠さん、僕は日本一の商社マンになる」
営業はアート。科学ではない
「靴ひもを結んでごらん。できるね。じゃあ、結び方を口で説明してくれるかな」〔エリヤフ・ゴールドラット イスラエルの物理学者 『ザ・ゴール』(ダイヤモンド社)の著者〕
営業場面の空気の作り方は靴ひもの結び方を学ぶことと似ている。
靴ひもは誰でも結べる。しかし、「結び方を口だけで説明してくれ」と言われると、説明できる人はおそらくひとりもいない。そして、靴ひもの結び方を文章で読んでも動画で見ても、それだけでは結べるようにはならない。「結び方はこうだ」と目の前でやってもらわない限り、できるようにはならない。
営業も同じだ。相手とその場の空気によってやり方を変えなくては通用しない。「売れそうだ」とピンときたら、そこで押す。売れそうだと感じるセンサーを備えていなくてはならないし、ピンときた瞬間に攻めていく判断力もいる。営業は科学ではなくアートだ。データを積み重ねるだけではなく、感性がなくてはモノは売れない。
■「経営はアートだ。科学ではない」
営業はアートだから、営業の天才を師にして、手取り足取りで学ぶしかない。感性、判断力、空気の作り方を真似る。本を読んでもセミナーに出ても意味はほとんどない。また、天才ではない上司に同行してもらうのもムダだろう。
「営業はアートだ」の元ネタは、「経営はアートだ。科学ではない」である。そう言ったのは『プロフェッショナルマネジャー』(プレジデント社)の著者で経営者のハロルド・ジェニーン。同じ意味のことを、ユニクロ創業者の柳井正も言っている(「経営と経営学は違う」)。
経営も営業も結局はセンスだ。センスを手に入れるには経験しかない。経営も営業もやってみなくては上達しない。画家が上達するのは先達の絵を模写したり、実作するからだ。何冊もの本を読んだからといってピカソのような絵を描けるわけではない。ゴルフの指導書を何十冊読んだからといってプロゴルファーになれるわけではない。上手な人の真似をする。さらに、一人前になってなおかつ、勉強を続ける。そういう人だけが上達する。
また、岡藤は「商人は商売のセンスを盗み取るべき」と言っている。
「ゴルフでも、上達しようと思えばプロの技を横で見て盗もうとする。職人だって、真髄の技はなかなか教えてもらえないから、横でじっと眺める。成功している社長の下にいる社員もまた商売のセンスを盗み取るべき。社長が人生で成功した秘訣、お客さんとの話し方、そういうところに現れたセンスを手に入れようとしないともったいない」
■シャンプーを売るならまず風呂場を掃除しろ
わたしはひとりの営業の天才が「売れそうな空気を作る場面」を見たことがある。彼の営業手法は誰にでもできることだった。しかし、ライバルたちはやろうとしなかった。「人がやらないことをやる」。これもまた営業の天才だけがやっている方法だ。
20年以上も前の話になる。熱海の温泉旅館に泊まっていた。高級ではない。素泊まりで8000円くらいのビジネス旅館だ。着いたのが午後3時で、地元の有名ゲイバー(今はない)の主人の取材をするまでに時間に余裕があったから、温泉に入ることにした。「入浴は午後3時から」と風呂の入り口に書いてあり、わたしが入っていったのはその直後だ。
写真=iStock.com/shirosuna-m
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/shirosuna-m
浴衣姿で脱衣所に入ると、ズボンのすそをまくり上げた裸足のおじさんが風呂場にいた。おじさんは10人は体を洗える洗い場の床面をブラシでこすり、お湯を流していた。さらに、椅子と洗面器を洗い、シャンプーとリンスのボトルの外側をきれいにしていた。
わたしが脱衣所にいるのに気づいたおじさんは、「もうすぐ済みますから」とこれ以上ないほどの魅力的な笑顔で言った。
浴衣姿でぼーっと見ていたら、おじさんは話し始めた。
■「このおじさんは世界一の営業マンだ」
「シャンプーとリンスの営業をしながら、全国の旅館を回っているんですわ。売れても売れなくても話が済んだら、ささっと風呂場の掃除をしてから帰ることにしているんです。ついでに風呂も入らせてもらいますけど」
そうですか、じゃ、ここのシャンプー、おじさんの会社のものなんですね、とわたしは言った。おじさんは「いやいや」と手を振った。
「売れなかったんですわ。売れたら、シャンプーの中身を交換するんです。でも、売れなかったから、ボトルの外側だけきれいにしました。中身はよそさまのものです。売れなくても掃除だけはするんです。売れなかったからとやらなかったら、次に営業に来た時も売れないでしょう。売れなくても掃除するのがコツですわ。それだけはやって帰ります」
あの時の衝撃は忘れられない。このおじさんは世界一の営業マンだと思った。
「買わない、いらない」と言われたのに、風呂を掃除して、シャンプーのボトルまで洗って帰っていく……。シャンプーとリンスでそんなに儲かるとは思えない。でも、おじさんは風呂場を掃除する。いい仕事だな、こういう仕事をして生きていきたいと思った。
一緒にひと風呂浴びて、脱衣所で座っていたら、おじさんはこう付け加えた。
「旦那さん、シャンプーなんて儲からないと思ってるでしょ。そんなことないです。こんなに儲かる商材は他にないんだから。あなた、旅館で一日に何人の客がシャンプーを使うと思いますか」
■「シャンプーほど儲かる商材はない」意外な真実
確かに、50人も泊まればシャンプーやリンスなんてすぐに消費されてしまうだろう。そうか、シャンプーは儲かるのかと気付かされた。
野地秩嘉『伊藤忠 商人の心得』(新潮新書)
営業の場面の空気作りは多岐にわたる。風呂場を掃除することだって営業場面の空気作りだ。風呂場を掃除する営業マンと単にシャンプーを売りに来た営業マンのどちらから買うかと言えば、客は間違いなく掃除する方を選ぶ。
「自分だけの営業方法を持つ」。これもまた営業の上手な人がやっていることだ。天才営業マンは自分だけの営業手法を作り上げる。そして、客を買わなければ申し訳ないような気分にさせてしまう。
シャンプー販売のおじさんは天才だった。商品が売れても売れなくても、彼は動じない。目の前の仕事を完遂するだけだ。おじさんは先を見ているわけでなく、自分のペースを守ることを優先していた。おそらく、そういう仕事のやり方だとスランプには陥りにくいのではないか。
----------
野地 秩嘉(のじ・つねよし)
ノンフィクション作家
1957年東京都生まれ。早稲田大学商学部卒業後、出版社勤務を経てノンフィクション作家に。人物ルポルタージュをはじめ、食や美術、海外文化などの分野で活躍中。著書は『トヨタの危機管理 どんな時代でも「黒字化」できる底力』(プレジデント社)、『高倉健インタヴューズ』『日本一のまかないレシピ』『キャンティ物語』『サービスの達人たち』『一流たちの修業時代』『ヨーロッパ美食旅行』『京味物語』『ビートルズを呼んだ男』『トヨタ物語』(千住博解説、新潮文庫)、『名門再生 太平洋クラブ物語』(プレジデント社)、『伊藤忠 財閥系を超えた最強商人』(ダイヤモンド社)など著書多数。『TOKYOオリンピック物語』でミズノスポーツライター賞優秀賞受賞。旅の雑誌『ノジュール』(JTBパブリッシング)にて「巨匠の名画を訪ねて」を連載中。
----------
(ノンフィクション作家 野地 秩嘉)