「目のまわりがアザだらけの娘」を匿った家族を逆恨み…牛刀を手にした少年が子分を使ってやった卑怯なこと
2025年4月4日(金)17時15分 プレジデント社
男女3人を殺傷し、少女が連れ去られた事件で、少年らが使用したとみられる車(宮城県警石巻署) ※一部画像処理(自動車のナンバーにモザイク)してあります。 - 写真=時事通信フォト
■宮城県石巻市で起きた3人が死傷した事件
これほど好きなのにもかかわらず、相手が離れていったのは、向こうの親族が交際に反対したからだ。そうした思いに囚われ、当該親族を傷つけて恨みを晴らそうと考える。そこまでならば、よくある犯行だ。
だが、その罪を自分で被るのではなく、逆らえない手下に背負わせようとするのは、なかなかに卑劣な思考ではないだろうか。
2010年2月10日の早朝、宮城県石巻市にある小野寺早苗さん(当時18、仮名。以下、被害者は全員仮名)の実家に男2人が忍び込み、家にいた男女4人のうち3人を殺傷するという事件は、まさにそんな事件だった。
家にいたのは早苗さんのほかに、彼女の姉である小野寺由希子さん(死亡時20)と、その友人の佐藤真理さん(死亡時18)、さらに由紀子さんの交際相手だった藤村幸一さん(当時20)である。
犯行から約6時間後に同市内の知人宅で逮捕されたのは、元解体作業員の千葉祐太郎死刑囚(当時18)と、千葉の子分のような存在だった無職の少年A(当時17)だ。
写真=時事通信フォト
男女3人を殺傷し、少女が連れ去られた事件で、少年らが使用したとみられる車(宮城県警石巻署) ※一部画像処理(自動車のナンバーにモザイク)してあります。 - 写真=時事通信フォト
千葉は寝ていた由希子さんと友人の真理さんを刃渡り約18センチの牛刀で複数回刺して殺害。さらに姉妹の相談相手だった藤村さんに重傷を負わせている。そのうえで早苗さんを連れ出し、監禁していた。
■彼女の目のまわりには青タン
じつは千葉と早苗さんは、かつて交際していた元恋人。2年前の8月に合コンで知り合った彼らの間には、09年10月に女児が誕生している。とはいえ、入籍はしていない。
当時、この事件の取材をしていた私に対し、被害者姉妹の知人は言う。
「千葉は早苗さんと知り合ってすぐにバイクのチームに入りましたが、一緒に来た早苗さんの態度が気にいらなかったチームのリーダーが、『オメーの教育が悪い。叩いてでも教えてやれ』と千葉に迫ったんです。それで千葉は彼女の目のまわりに青タンができるくらい、激しく殴った。以来、彼女を殴るのに慣れたみたいで、頻繁に暴力を振るっていました」
写真=iStock.com/Andranik Hakobyan
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Andranik Hakobyan
それからは、早苗さんが別れを切り出すたびに千葉は激しい暴力を振るうようになる。しかし、DV加害者の常として、事後に「好きだ」と言ってつきまとい、ヨリを戻すことを繰り返していたという。
こうした千葉に対し、早苗さんの家族は不審感を抱くようになった。なかでも姉の由希子さんが千葉を毛嫌いしており、そこで取った行動が事件の引き金となってしまうのだ。事情を知る別の知人は語る。
■事件前日に警察に通報していたが
「由希子さんが妹に新しいカレを作ろうとして、10年の正月に合コンを企画しました。そこで早苗さんが、本当に付き合う相手ができたんです。それを知った千葉は相手を呼び出してボコボコにしました。
すると、今度は早苗さんが置き手紙をして家を出たんですね。その手紙には〈私は汚れている。だから(千葉)祐太郎くんにはもっときれいな他の人の方がいい。もっとふさわしい女の人がいると思う。でも、大好きだったよ。いままで楽しかった。ありがとう〉と書かれていました」
それを見た千葉は、「娘に会いたい、早苗に会いたい」と口走るようになり、自分と早苗さんの仲を引き裂いたのは姉の由希子さんと母親だと逆恨みをして、「ねえちゃん(由希子さん)や母親をぶっ殺す」などと、犯行をほのめかすようになっていったのである。
恨みを晴らすための犯行に及ぶ際、千葉は子分であるAを巻き込み、無理やり現場に同行させていた。
直接の犯行は10日の午前中だが、千葉とAは前日9日の午後6時頃に早苗さんの家に侵入している。しかし彼らに気づいた由希子さんが警察に通報。千葉たちは逃げ出している。やがて、被害届は翌日出すということになったことから、警察は一旦その場から引き上げたのだそうだ。
■友人が犯行直前の犯人と話したこと
その夜、警察がいなくなったのを確認した千葉とAは、ふたたび早苗さんの家から少し離れた場所に車をとめて、犯行の機会を窺っていた。
そこで、無理やり犯行に加えられていたAは、千葉の目を盗み、友人に「助けてくれ」と電話をかけている。
10日の未明、Aがその友人に自分の居場所についての携帯メールを送ったところ、同日午前2時頃に、千葉とAの共通の先輩であるX氏を含む、4人の友人が彼らのもとに駆けつけたのだった。
このやり取りの際、Aが友人らに送った携帯メールの文面を着信順に並べると以下の通りだ。
〈さっきゆうたろう君(筆者註 千葉のこと)のゆってたの嘘ですよ〉
〈出来そうにないです〉
〈でんなってゆわれて出れないです〉
〈早苗ちゃんちの近くです〉
〈まだ早苗ちゃんちの近くです〉
〈薬局のとこです〉
〈××(車名)です 奥にあります〉
〈歯科と薬局の駐車場です〉
〈早苗ちゃんち行く時とめてた場所です〉
〈そ〜です〉
こうして友人は千葉とAのいる場所を特定し、先輩のXなどを伴ってそこへ向かったのである。ちなみに、到着後にX氏は車内でAと、他の3人は車外で千葉と話をしたという。事件後にした取材で、X氏は明かす。
■“子分”を巻き込む卑怯さ
「やつらの犯行前、車の後部座席でAと2人きりで1時間くらい話をしました。Aは『先輩(千葉)が殺すって言ってるんだけど、どうやって逃げればいいですか?』と脅えた表情で尋ねてきました。それでオレが『殺すって誰を?』と聞くと、『早苗ちゃんの母ちゃんと姉ちゃんを殺すと言ってます』と言うんです。
そこで、『そんなん、人殺しなんかするわけねえべ』と返すと、『絶対やります、絶対本気です』とAは言い張り、千葉が包丁を用意していることを話しました。そして千葉から『お前が罪をかぶれ』と言われたそうで、Aが『無理です』と答えると、『やんねえとお前も刺すぞ』と、包丁を向けられたという話を聞きました」(X氏)
写真=iStock.com/undefined undefined
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/undefined undefined
後に犯行に使われた包丁(牛刀)は、千葉の命令により、Aが石巻市内のホームセンターで万引きしていた事が判明している。また、千葉はAに罪を着せるつもりだったようで、Aに車内で牛刀の柄を握らせていた。自身は犯行時に手袋をしていたため、後に発見された凶器から出たのはAの指紋だけだった。
さらには逮捕時、千葉はAが犯行前に着ていた黒いダウンを着用しており、これも自分が捕まらないための偽装工作だと見られている。
■「いまから走って逃げろ」
X氏はさらに言う。
「オレが『それならいまから走って逃げろ、逃げたらオレがかくまってやるから』と言うと、Aは『絶対、捕まったらブッ殺されますよね』と、ビビッて逃げようとしないのです。『ならオレがいまお前の携帯に電話して呼び出してやるから、それで車の外で電話するふりして逃げろ』と言うと、Aは『後々のことを考えたらおっかねえ。怖いです』と、やはり逃げることができませんでした」
Aを逃がすことを諦めた友人やX氏ら4人は、午前4時頃にその場を離れた。千葉とAは午前6時40分頃に早苗さん宅に侵入して犯行に及んでいる。その6時間後に彼らが逮捕されたのは、すでに記した通りだ。
この取材では、Aの家族にも話を聞いたが、対応した彼の母親は、憔悴した顔で後悔を口にする。
「息子(A)は昨年の12月ごろから千葉に頻繁に呼び出されるようになっていました。呼び出しは深夜2時とかのこともあり、そのたびに息子は家から出て行ってました。まるでヤクザの親分と子分みたいなやりとりで、息子は『はい、はい』と電話越しに何度も頭を下げ、『わかりました。必ず』とか、そういう口調で話していました。
■事件の結末
「息子をなんとか千葉から引き剥がそうと、家を離れさせようとした矢先に事件が起きてしまいました。今となってはどうしようもないことですが、なんで息子をもっと強引に千葉から引き離せなかったのか、なんで守ってやれなかったのか、そのことをとても後悔しています」(Aの母親)
10年11月、裁判員裁判が開かれた仙台地裁で、千葉には死刑判決が言い渡された。やがて控訴審、上告審を経て、16年6月に死刑判決が確定。ちなみに、裁判員裁判で死刑判決が下された少年事件での死刑確定は、彼が初めてである。
一方、仙台家庭裁判所で刑事処分相当との判断が下されたAは、殺人幇助(ほうじょ)などの罪で起訴され、10年12月に仙台地裁が懲役3年以上6年以下の不定期刑を言い渡し、11年1月に同判決が確定した。
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小野 一光(おの・いっこう)
ノンフィクションライター
1966年生まれ。福岡県北九州市出身。雑誌編集者、雑誌記者を経てノンフィクションライターに。「戦場から風俗まで」をテーマに北九州監禁殺人事件、アフガニスタン内戦、東日本大震災などを取材し、週刊誌や月刊誌を中心に執筆。著作に『完全犯罪捜査マニュアル』『東京二重生活』『風俗ライター、戦場へ行く』などがある。
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(ノンフィクションライター 小野 一光)