高校を2カ月で中退…学歴もカネもないビッグモーターの落ちこぼれが「年商70億円の中古車会社」を作れたワケ

2025年4月9日(水)18時15分 プレジデント社

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Janusz Lukomski-Prajzner

挫折や壁を乗り越えるにはどうすればいいのか。高校中退という経歴でビッグモーターに入社し、独立後の2017年に立ち上げた中古車販売会社「BUDDICA」(バディカ)で年商70億円を達成した中野優作社長に、元日本マイクロソフト業務執行役員の澤円さんが聞いた——。

※本稿は、マイナビ健康経営のYouTubeチャンネル「Bring.」の動画「『一瞬の挫折』は永遠に続いていく——。中古車販売業界の風雲児が語る、どん底から這い上がるためのマインドセット」の内容を抜粋し、再編集したものです。


写真=iStock.com/Janusz Lukomski-Prajzner
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Janusz Lukomski-Prajzner

■20歳の同窓会で味わった最初の挫折


【澤円】著書『クラクションを鳴らせ!』(幻冬舎)やYouTubeチャンネルを拝見し、中野さんは、お金も学歴もない地点から這い上がってこられたと知りました。数々の苦労があったと推察しますが、「すべての挫折は一瞬だった」とおっしゃっているのも印象的です。


【中野優作】僕は高校を2カ月で中退しました。家庭の経済状況を見ると大学進学も厳しそうでしたし、その先を考えても公務員や一般的なサラリーマンになることが魅力的に映らなかったからです。そこで選んだ仕事が土木作業員。当時は土木業界が活況で、同級生のお父さんが経営していた土木会社もやたらとバブリーに見えたのです(笑)。


その後、数年はただ遊んでいただけでしたね。高校に通わずある程度は稼いでいましたから、よかったのは少しモテたことくらいです。ただ、20歳のときに開催された同窓会が転機になりました。まわりの同級生は大学生活やこれからの就職について話しています。そのなかで、髪は金髪で長髪の、いわば「パリピ」のように遊びまくっている僕は、腫れ物扱いされたように感じたのです。


そこには、小中学生の頃とのギャップもあったように思います。子どもの頃はつねにクラスの中心にいて、大袈裟かもしれませんがヒーローのようなポジションにいました。でも、そうではなくなり、ひとりポツンといるような状況がこの先も続くのかと思うと、大きな苦しさを感じたわけです。それが、僕にとって最初の挫折といえるかもしれません。


写真=石塚雅人

■翌日には髪を黒く染め、転職活動をスタート


【澤円】でも、その挫折は「一瞬」だったわけですよね?


【中野優作】数日でしたね。悩んで落ち込んだあと、「土木業界でトップを取る」というゴールを定めると、その翌日には髪をバッサリ切って黒く染め、転職活動をスタート。最終的には、大手の土木建築会社に入社しました。


そのようにして、落ち込んでいる期間をなるべく短くすることが大事であると感じています。その期間が長いと……深みにハマって抜け出せなくなってしまいます。短くするためのポイントは、ネクストアクションです。ゴールを定めた時点では、現状はなにも変わっていないかもしれません。でも、アクションプランが決まったことで心はすでに挫折を抜け出して前進しているのです。


■中途で入ったビッグモーターでは「字が汚い」とバカにされ…


【澤円】そのような挫折をいくつも経験してきたということですね。


【中野優作】なにせ学歴もまったくないので、たくさんの挫折があったのですが、小さなものを挙げるなら、「字が下手」だとか「キーボードのタイピングが遅い」といったことで馬鹿にされたこともありましたね。僕が大手中古車販売営業会社に入社したのは、26歳になった年の10月でした。その半年くらい前に大卒で入社した新入社員たちにも、高校中退の僕はいじめられたわけです。


字が下手だったのも事実ですし、キーボードは両手の人差し指だけでタイプしているような状態でした。それを馬鹿にされれば落ち込みますし、カーッと怒りが湧いてくることもあります。それも、挫折といえば挫折でしょう。


でも、そのままでは現状は変わりません。当時の僕がやったのは、漢字ドリルとタイピングソフトを買い、それらを徹底的にこなすということでした。タイピングソフトに至っては、買ってきたその晩に徹夜で10時間ほどやり続けました。すると、それだけでも一瞬で効果が出たのです。翌日、僕のタイピングの上達ぶりを見たまわりの同僚たちは驚いていましたよ。


写真=iStock.com/kool99
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/kool99

■枕詞に「どのようにすれば理想の〜」をつける


【澤円】「習字を習っておけばよかった」「タイピングの練習をしておけばよかった」と、過去にフォーカスしても現状はなにも変わらないということですね。


【中野優作】その通りです。ビジネスにおいては、過去の失敗についてその真因を探るといったことも大切なことです。しかし、個人の挫折について「こうしておけばよかった」と過去にばかりフォーカスしても、その過去は絶対に変えられません。


僕が大事にしているのは、「どのようにすれば理想の未来を手に入れられるのだろう?」という思考です。「どのようにすれば理想の〜」を枕詞にする癖をつけておけば、「どのようにすれば理想の字を書けるのだろう?」「どのようにすれば理想のタイピングを身につけられるのだろう?」と、前向きに考えることができます。そうして、アクションプランを見つけ、挫折から脱することもできるのではないでしょうか。


■「挫折」はずっと続いていくもの


【澤円】ただ、その「一瞬の挫折」については、「ずっと続いていく」ということもおっしゃっていますね。いままさに、「壁にぶつかっている」と感じている人にとっては、恐怖や不安を感じる言葉のようにも思いますが、その言葉にはどのような考えが込められているのですか?


【中野優作】ヒントになるのは、「ピーターの法則」というものです。これは、1969年に南カリフォルニア大学教授の教育学者であるローレンス・J・ピーターが著書のなかで提唱したもので、「能力主義の階層社会では、人間は能力の極限まで出世する。したがって、有能な平(ひら)構成員は、無能な中間管理職になる」としています。


これを僕自身の経験にあてはめてみると、「まさに!」と納得できるのです。大手中古車販売営業会社では、馬鹿にされながらも最終的にセールスパーソンとしてトップの営業成績を収め、最年少で店長に抜擢されました。


そうして店長という立場をはじめて経験することになると、他の経験豊富な先輩店長たちと比べ、「自分は無能だ……」と感じることになるのです。つまり、これは挫折です。そして、本部の次長になっても部長になっても、さらに子会社の社長に就任しても、そのたびにこの思いを感じ続けることになったのです。


■挫折や絶望は挑戦者だけが味わえる


【澤円】でもそれは、着実に成長しているからこそ、ステージを上がっているからこそ感じることですよね? そこに重要なポイントがありそうです。


【中野優作】「これくらいでいいや」と、自分にとって居心地がいいポジションでとどまることを選択した人は、この無能感を覚えることはありません。でも、それは成長を止めた、あるいはあきらめたからこそです。「それでいい」と自分自身で決めたのならいいのですが、僕はそうするのが嫌なのです(笑)。


挫折したり絶望したりすることは、挑戦を続けていることのなによりの証しです。挑戦をしない人は、挫折や絶望を味わうことはありません。そう考えると、挫折というものの捉え方も変わってきて、「挫折は成長の糧」だと思えるようになるのではないでしょうか。


そもそも、どれだけ挑戦をしてどれだけ挫折を繰り返しても、命まで取られるわけではありませんよね? まさにいま「壁にぶつかっている」と感じている人も、そのようにマインドセットを変えれば、気持ちはずいぶんと楽になると思います。


■やりやすいものから手を付ける


【澤円】ただ、ここがまた難しいところですが、たとえアクションプランを決めても、「なかなか行動できない」という人もいます。即断即決でネクストアクションを実行していくには、どうすればいいでしょうか。


【中野優作】とにかく、「やりやすいものからやる」ということに尽きると思います。挫折から立ち直るためのアクションを考えたところで、それが経済的事情などにより現実問題として実行不可能なものであれば意味はありません。


でも、「やれるもの」であれば文字通り実行可能ですし、さらに「やりやすいもの」であるほど即座に行動に移しやすくなるはずです。


写真=石塚雅人

■「撤退条件」を決めておく


【澤円】そうしたアクションを起こしたあと、それを「やめる」ことも考えるものですか? もしあるのなら、なんらかの条件を設定しているのでしょうか。


【中野優作】若い頃は、それこそ「やりやすいものはなんでもやる」と思いついたことを片っ端から実行するという姿勢でしたが、いまはだいぶ大人になりました(笑)。特に会社の戦略については社員の人生も左右することになりますので、「撤退条件」を決めています。


新規事業をはじめる、新しいマーケティング手法を試すなど、そこにある打ち手というか、手持ちのカードをまずは並べます。それらのうち、やりやすいものからやるという考え自体は変わりませんが、それぞれについて「こういう状況になったらやめる」というように、予算や期間といった数字などで撤退条件を決めたうえで実行するのです。


すると、「失敗」だとか「挫折」といった感覚そのものがなくなります。仮に撤退することになったとしても、その打ち手を実行した結果として、実行しなければ絶対に得られなかった知見を手にすることができるからです。それは、挫折どころか、次なる成長のための貴重な発見に他なりません。


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中野 優作(なかの・ゆうさく)
BUDDICA代表取締役社長
1982年3月11日生まれ、香川県出身。株式会社BUDDICA、BUDDICA・DIRECT株式会社、株式会社クラクション、計3社の代表取締役社長。高校を2カ月で中退し、土木作業員に。2008年10月、株式会社ビッグモーター(現・株式会社WECARS)に入社。店舗トップの売上を記録し、営業未経験からわずか1年半の28歳で四国香川坂出店の店長に抜擢される。本部の幹部に昇進したのち、子会社・株式会社ハナテンの社長に就任。2017年5月に退社し、翌6月、中古車のBtoB販売をメイン事業とした株式会社BUDDICAを創業、代表取締役社長(CEO)に就任する。四国地方における中古車販売や日本最大の業販サイトで圧倒的な実績を築き、2024年2月には、中古車をインターネット販売するBUDDICA・DIRECT株式会社を創業。現在は、チャンネル登録者数38.5万人(2024年12月現在)を誇るYouTubeチャンネル「中野優作/人生に愛車を。」でユーチューバーとしても活躍中。
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澤 円(さわ・まどか)
圓窓 代表取締役
1969年生まれ、千葉県出身。株式会社圓窓代表取締役。立教大学経済学部卒業後、生命保険会社のIT子会社を経て、1997年にマイクロソフト(現・日本マイクロソフト)に入社。情報コンサルタント、プリセールスSE、競合対策専門営業チームマネージャー、クラウドプラットフォーム営業本部長などを歴任し、2011年にマイクロソフトテクノロジーセンター長に就任。業務執行役員を経て、2020年に退社。2006年には、世界中のマイクロソフト社員のなかで卓越した社員にのみビル・ゲイツ氏が授与する「Chairman's Award」を受賞した。現在は、自身の法人の代表を務めながら、琉球大学客員教授、武蔵野大学専任教員の他にも、スタートアップ企業の顧問やNPOのメンター、またはセミナー・講演活動を行うなど幅広く活躍中。2020年3月より、日立製作所の「Lumada Innovation Evangelist」としての活動も開始。主な著書に『メタ思考』(大和書房)、『「やめる」という選択』(日経BP)、『「疑う」からはじめる。』(アスコム)、『個人力』(プレジデント社)、『メタ思考 「頭のいい人」の思考法を身につける』(大和書房)などがある。
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(BUDDICA代表取締役社長 中野 優作、圓窓 代表取締役 澤 円 構成=岩川悟(合同会社スリップストリーム) 文=清家茂樹)

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