「クルマに優しい街」はもはや時代遅れ…アメリカ主要都市が「歩行者の信号無視の合法化」を進める理由
2025年4月10日(木)9時15分 プレジデント社
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/peeterv
※本稿は、池田光史『歩く マジで人生が変わる習慣』(NewsPicksパブリッシング)の一部を再編集したものです。
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■アメリカは「歩きにくい国」
米保険会社Compare the Marketが2024年に発表した「世界で最も歩きやすい都市ランキング」のトップ10の中には、米国の都市が一つも存在しない。なぜなのか?
出所=Compare the Market
これに関しては、興味深いデータが存在する。世界経済フォーラム(WEF)によると、米国の主要35大都市圏には、徒歩で移動できる土地面積そのものが、わずか1.2%しかない、というのだ。
なるほど、ここにきてメタが屋上にトレイルを作った背景が、さらに浮かび上がってくる(※)。米国はそもそも国全体が超車社会がゆえに、世界的に見ても極めて「歩きにくい国」なのだ。
(※)メタは2018年までに、自社の屋上に9エーカー(東京ドーム1個分)の遊歩道を作った。
米国の都市プランナーで、ベストセラー本『ウォーカブルシティ入門』の著者でもあるジェフ・スペックは同書の中で、こう指摘している。
今世紀半ば以降、意図的なのか偶然なのかはともかく、アメリカのほとんどの都市が事実上、歩行禁止区域になってしまった。
■「歩きやすい街」ほど経済的に発展している
かたや驚いたことに、この1.2%の「歩ける街」が生み出すGDPは、米国全体の20%を占めている。だからこそ、WEFの言葉を借りれば、こうした歩きやすい街はまさに「エコノミック・エンジン」なのだ。
具体的には、この1.2%のエリアはニューヨーク、ボストン、ワシントンD.C.、シアトル、ポートランド、サンフランシスコ、シカゴ、ロサンゼルスなど、主に沿岸部の知識経済に依存した都市に集中している。
つまり、米国全体としては「スムーズな自動車交通」や「十分に確保された駐車場」を重視してしまった結果、ほとんどの都市において、ダウンタウンが「車ではアクセスしやすいが、行く価値のない場所」になってしまったということだ。これは、日本の郊外でも概ね事情は同じだ。
■歩行者優先にしたことで負傷者数が減少した
一方で、ミレニアル世代を中心としたクリエイティブクラスの人々は、「ストリート・ライフ」がある地域を好むという調査結果がある。しかしその需要に応えられる街並みは極めて限られ、結果として、アメリカの場合はニューヨークなどの一部の先進的な都市だけが受け皿となっている、という構図が見えてくる。
たとえば、ニューヨークのタイムズスクエアは、都市開発という視点でも実に学びが多い。かつて街路空間の89%が車道だったが、実際の交通は82%が歩行によってなされていたため、2009年の半年間にわたる社会実験を経て、恒久的に歩行者優先のストリートに転換している。その結果、歩行者数は48万人/日へと35%増加したにもかかわらず、歩行負傷者は35%も減少した。さらに、売り上げが急増したエリアも輩出している。
■「クルマ優位の街づくり」の弊害
ところで、先の『ウォーカブルシティ入門』というベストセラー書を読み進めると、いかに他の米国全土が歩きにくいのかという具体的な事例が数多く紹介されていて、これはこれで教訓にすべきという意味で面白い。というか、嘘のような本当の話がずらりと並ぶ。
たとえば、フロリダ半島の先端にある国際都市マイアミ。マイアミの住宅地を歩いていると、不思議な光景に出くわす。平屋建ての家々が並ぶ住宅地に、場違いなほど広大な交差点が至るところに鎮座しているのだ。マイアミの街は歩いた経験があるが、これらの交差点を横断するには実に面倒な時間を要する。
写真=iStock.com/ultramansk
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問題はその理由である。かつて消防組合が、「消防士の人数が一定数以上乗り込んだ消防車でないと出動を認めない」という協定を結んでいたから、なのだという。その結果、なぜか高層ビルの火災用に作られた大型消防車の回転半径に合わせて交差点を設計しなければならず、かつそのような状況が長年続いていたというから、まるでコントのような話である。
■「クルマ中心の街」には企業もやって来ない
こうした惨状は、さらに別の側面にも影を落としている。それが、企業がどこに拠点を作るか、という重大な問題だ。『ウォーカブルシティ入門』の中では、メレルやパタゴニアの靴を製造している、ウルヴァリン・ワールド・ワイドという企業の興味深い事例を紹介している。
ウエスト・ミシガン郊外に本社を構える同社は、従業員の流出に頭を悩ませていた。同書によればその原因は、まさにストリート・ライフの欠如にあった。というのも、新たに赴任してきた従業員のパートナーたちが、地域社会との接点を見出せなかったからだ。
皮肉なことに、ウエスト・ミシガンの人々は開放的でおもてなし気質があることでよく知られていたにもかかわらず、そのような状況に陥ったのは、交流の場が「車でしかアクセスできない」という致命的な欠陥を抱えていたからだ。となると、招待されない限りは、交流の輪に入り込む余地が生まれない。
このことは、日本でも企業誘致をしたい地方自治体が大いに参考にすべき視点だ。歩く文化を育んできた都市においては、偶然の出会いが新たな友人関係を生む、といった機会が存在することになるから魅力的だ。そもそも、歩くスピードだからこそ見えてくる街の風景というものがある。
■歩きやすい街は不動産価値が高い
その魅力が見直され、人々がそういった街——歩行者に優しい街——に集まり始めている、ということなのだろう。実はいま、こうした「歩きやすい街」の不動産価値が上がっていることもまた、あまり知られていないのではないだろうか。
先のWEFの2019年のレポートによると、歩きやすい都市の賃貸価格は、オフィスや分譲住宅において、実に35〜45%のプレミアムが付いているという。商業用不動産の賃料に至っては、75%も高いというデータもある。
これには3つの重要な要因がある、と都市プランナーのスペックは言う。
1つは、特に若い、クリエイティブな人たちにとって魅力的であること。2つ目は、そういった都市部を好む住民が人口動態上の多数を占めつつあること。そして最後に、歩いて生活できるライフスタイルは、かなりの節約効果があり、その節約部分の多くが地元での消費に回される、ということだ。
■NYは歩行者の信号無視を合法化
そもそも僕たちは幼いころから、「道路に飛び出してはいけない」「横断歩道を渡る前に、左右を確認する」といった基本的な交通ルールを教わる。何より命の危険があるのだから、そんなことは常識だと子どもでも知っている。だが、その常識が常識として形成されていったのは、よく考えればごく最近のことだ。
そしてそれは、もはや常識ではなくなりつつある。これが大きくひっくり返るような出来事がいま、これまたアメリカで起きていることをご存じだろうか。2024年10月、米ニューヨーク市が、横断歩道以外の道路を横断したり、信号無視して渡ったりすることを合法化したのだ。
ニューヨーク市だけではない。コロラド州デンバー市、ミズーリ州カンザスシティ、カリフォルニア州、ネバダ州、バージニア州に至るまで、他の州や都市も近年、すでに信号無視の歩行を合法化している。現実を見つめれば、実際には多くのアメリカ人が信号無視をしているわけで、法を実態に合わせたというわけだ。
ではなぜ、歩行者は信号無視をしているのか。ここまでお読みいただいた読者ならお気づきかもしれない。そう、最寄りの信号機や横断歩道までやけに遠かったり、目的地まで歩くのに信号無視をしたり横断歩道以外を横断したりしたほうが、単に便利だからである。それほど街が車に最適化されすぎているということだ。
■いつの間にか街の大部分が自動車のための空間に
こうした「自動車vs歩行者」という20世紀以降の攻防には、複雑な歴史が絡み合う。
いまでは想像もつかないことだが、20世紀初頭の都市の道路は、決して自動車のためだけのものではなかった。歩行者や売り子、馬車、遊ぶ子どもたちのための公共スペースだったのだ。
ところが、自動車の普及とともに交通事故が急増し、1920年にはアメリカの自動車事故による死亡者数は1万人を突破した。このころの米ニューヨーク・タイムズの表紙には、死神が運転する殺人マシンとしての自動車のイラストが大々的に掲載されている。
しかし、こうした価値観が変化し始めたのは、バージニア大学のピーター・ノートン教授によれば、自動車業界が道路を車のための空間にするべくキャンペーンを展開し、法や規範を変える努力をしてきたからだという。
1920年代以降、自動車業界は「ジェイウォーキング」(横断違反)という概念を生み出し、横断歩道以外で道路を渡る歩行者を非難する風潮をつくりだした。ジェイとは、都市のルールを知らない「田舎者」という意味だ。つまり横断歩道を渡らなければならないという概念は、自動車業界が生み出したもう一つの「発明」だった——そしてそのことが、長らく忘れ去られていたわけだ。
■自動運転と歩行者優先の街づくり
ところが、ここにきて過去100年の事の経緯を思い出すかのように、歩行者が権利を取り戻しつつあるのは、2020年に全米に広がったブラック・ライブス・マター(Black Lives Matter)が引き金になっていると思われる。というのも、信号無視で警察から取り締まりを受けていたのは、そのほとんどが黒人やラテン系など有色人種の歩行者たちだったからだ。
ニューヨークよりも一足先に歩行者の信号無視を合法化したカンザスシティの政策ディレクター、マイケル・ケリーは、そもそも歩行者に優しくない街そのものが問題であり、道路を渡らざるを得ない歩行移動を取り締まるのは筋が通らない、と指摘する。
道路を横断するのがルール違反(ジェイウォーキング)というのは、結局のところ、歩行者のために作られていない道路環境を歩く人たちを取り締まって、罰を与えるためのものなのです。
こうした人種的マイノリティ差別への反発といった要素も加わり、歩行者の安全、そして歩くことそのものが再評価され、歩行者優先の都市を目指す動きが、世界で大きなうねりとなっていくのかもしれない。そしてそこには、僕たちが現代の新しいテクノロジーをどう使いこなすかという知恵と選択が求められる。自動運転テクノロジーのことだ。
■駐車場を公園に変えるイーロン・マスク
ニューヨーク市が歩行者の信号無視を合法化するという革新的な一歩を踏み出したのとちょうど同じころ、西海岸では、毎度お騒がせの奇才が表舞台に姿を見せていた。イーロン・マスクである。
数々の未来映画を世に送り出してきたワーナー・ブラザース・スタジオで開催されたテスラの発表イベント「We, Robot」で、完全自動運転ロボタクシー「サイバーキャブ」に乗って舞台に到着したマスクは、2026年までに米テキサス州とカリフォルニア州でロボタクシーの投入を開始すると高らかに宣言した。
テスラ・サイバーキャブ(写真=TESLA)
テスラ・サイバーキャブ(写真=TESLA)
サイバーキャブは3万ドル以下という破格の価格設定で生産開始予定だといい、20人乗りのロボバンという野心的なコンセプトも披露された。だが、こうしたロボタクシーの詳細以上に僕の目を引いたのは、彼が描き出した「未来都市」の青写真だった。
本当に面白いのは、これが私たちの住む都市にどう影響するかです。街を車で走っていると、至るところに駐車場があることに気づきます。自動運転の世界では、駐車場(Parking lots)を公園(Parks)に変えることができます。つまり、Parking lotsから「-ing lot」を取り除くのです。
私たちが住む都市に緑地を作る大きな機会があります。それは本当に素晴らしいことだと思います。
■動いていない車が貴重な街の空間を占拠している
現代社会には15億台を超える自動車が存在するが、その稼働率はわずか5%に過ぎないとも言われている。そのほとんどが遊休資産として、大半の時間、都市という貴重な空間を占拠して過ごしているということだ。
マスクがいうロボタクシーが普及すれば、車両の稼働率は向上し、その遊休時間や都市の駐車場需要も減少して、都市空間の使い方は大きく変わりうる。京都大学の研究者たちによるシミュレーションでは、自動運転タクシーが普及すれば、必要な自動車の総数は84%も削減され、駐車場の面積も71%削減されるという結果を示している。
マスクのプレゼンテーションに対して、株式市場の反応は「具体性や、技術的な詳細に欠ける」と冷ややかだったが、マスクが大言壮語なのはいつものことだ。
それに、マスクが真に評価されるべきは、テスラそのものを成功させたことではあるまい。
見落としがちな視点は、伝統的な自動車企業、すなわち米フォードや独ダイムラー、あるいはトヨタも含めて、世界中の巨大メーカーたちの意識と行動を変えてきたという紛れもない事実だ。
■イーロン・マスクがテスラを使ってやろうとしていること
かつてテスラでマスクの右腕を務めた人物は、僕にこう語ったことがある。
「イーロンは、テスラの車が何台売れて、シェアをどれくらい取るかということには、実はまったく興味がありません。彼の最大の関心は、世の中の化石燃料の車をどれくらい減らすかだけです。フォード、ダイムラー(現メルセデス・ベンツ)、トヨタなどの化石燃料のシェアを減らし、ある程度まで世の中が変わったら、テスラの使命はそこで果たされる、という考え方なのです」
この考え方をそのまま当てはめると、未来都市の実現こそが彼の最大の関心事であり、その実現は究極的にはテスラによらなくてもよいのかもしれない。
池田光史『歩く マジで人生が変わる習慣』(NewsPicksパブリッシング)
もちろん、世の中のオセロをひっくり返していくために、テスラ自身も一翼を担うだろうし、相応のプランは持っているだろうが、すでに自動運転タクシーの開発競争はグーグル(Waymo)やアマゾン(Zoox)といったビッグテック同士が熾烈な競争を繰り広げているのは周知の通りだ。
つまり、テスラ自体が自動運転タクシーで成功するかどうかは、実は焦点ではない。真に問われるべきは、僕たちが自動運転というテクノロジーを通じて理想の都市を実現できるか、だ。そして、マスクは再び世界に道を示そうとしているのではないか。
僕たちが自動運転というテクノロジーに魅力を感じるのは、マスクが未来都市から逆算して提示したビジョンが、100年の時を経て失われた「歩行者のための都市」を取り戻す鍵となるかもしれない——そんな希望を見出すからにほかならない。
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池田 光史(いけだ・みつふみ)
経済ジャーナリスト
1983年鹿児島生まれ。東京大学経済学部卒業後、ダイヤモンド社入社。週刊ダイヤモンド編集部にて金融、日銀・財務省、自動車業界を担当。2016年よりNewsPicks編集部に参画。NewsPicks編集長、CXOを経て現在NewsPicks CMO(Chief Media Officer)。手がけた主な特集記事は「インスタ・エコノミー」「トヨタ『第3の本社』」「電池ウォーズ」「マクドナルド進化論」「テスラの狂気」「ゴーン事変」「iPSの失敗」「日本人のための円安原論」など。経済ジャーナリストとして地歩を固めたのち、取材で体験した登山をきっかけに「歩く」ことを探求し始める。(近影撮影=洞将太)
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(経済ジャーナリスト 池田 光史)