「もう辞めよう」と週末のたびに転職サイトを覗いた…三井物産女性室長が出向先の難局で繰り出したウルトラC
2025年4月13日(日)18時15分 プレジデント社
流通事業本部ブランド&リテール事業部 ライフスタイル事業開発室長 河野由佳さん - 撮影=プレジデントオンライン編集部
■出向が自分を変えた
鉄鉱石やLNGから食品やファッションに至るまで、幅広い事業を手がける三井物産。その女性管理職の中に、大手アパレルグループに出向して事業成長に大きく貢献した女性がいる。現在は流通事業本部ブランド&リテール事業部で、ライフスタイル事業開発室長を務める河野由佳さんだ。
撮影=プレジデントオンライン編集部
流通事業本部ブランド&リテール事業部 ライフスタイル事業開発室長 河野由佳さん - 撮影=プレジデントオンライン編集部
「出向していた6年間は本当に充実していて、事業会社や消費者ビジネスの面白さに夢中になっていました。大失敗もしましたがそのぶん得たものも多く、出向前とは違う自分になれた気がします」
親しみやすい笑顔と明快な語り口調が印象的。事業への思いを語る姿からは、芯の強さやいい意味での図太さも感じる。だが、ここまで順調に成長してきたわけではない。自信を失い、劣等感にさいなまれ、もう辞めようと思った時期もあった。
■入社10年なのにスキルも人脈もないという劣等感
入社したのは2005年。最初の6年は主に原油デリバティブのリスク管理業務を担い、その後2年は中国で修業生として語学習得や食料関連の業務に取り組んだ。この時期に初めて顧客と接する機会を得て、「お客様の顔が見える仕事がしたい」と思うようになる。
そこで、自ら消費者ビジネスへの異動を希望してファッション関連事業の営業部に配属。念願の「ビジネスの現場」に入ることができて、当初は毎日が新鮮だったという。
異動前のリスク管理業務では、柔軟性や自主性より正確性や迅速性のほうが重要だとされていた。しかし、事業部門は顧客の要望に応じて臨機応変に、自分のアイデアで物事を進める姿勢がよしとされる環境。河野さんにとってはこの自由度の高さが新鮮で、解き放たれた気分も味わえた。
とはいえ、現場についてはわからないことだらけ。すでに中堅になっていたにもかかわらず、顧客との接し方から仕事の進め方まで「新人と同じように先輩に手取り足取り教えてもらった」と恥ずかしそうに振り返る。
その恥ずかしさは、やがて劣等感に変わっていく。部のメンバーは経験豊富で実績のある人ばかり。一方の自分は、もう入社10年目だというのに営業マナーも業界知識も身についていない。主導して案件を進めるように言われても、ノウハウもなければ人脈もない。そう思い悩むうち、劣等感はどんどん大きくなっていった。
■悩み通しの4年間…期待されることが怖かった
「そこから4年間はずっと悩み通しでした。自分はダメなんだ、もう辞めようと思って、週末のたびに転職サイトをのぞいていた時期もあります。何に対しても自信が持てなくて、解のない迷いにとらわれていました。精神的にはこの時期が一番つらかったです」
自ら望み、喜び勇んで飛び込んだ部署だったのに、待っていたのは厳しい現実。劣等感や自信の喪失といった精神的な壁を、一体どうやって乗り越えたのだろうか。
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自ら望んだ異動は20年のキャリアの中で最もつらい4年間の始まりだった - 撮影=プレジデントオンライン編集部
きっかけは、人事部主催のマネジメント研修だったという。上司に参加を打診されたときは「私なんかにはもったいない」と後ろ向きだった。悩み続けるうちに自己評価がすっかり下がってしまい、このときはすでに何かを期待されることすら怖くなっていたのだ。
そんな気持ちのまま参加した研修で、ハーバード大の教授から「Failure is the key to success(失敗は成功への鍵)」という言葉を教わった。同時に、今は成功している人も、その裏では大きな挫折や失敗を経験してきていると知る。自分は失敗を恐れすぎていたと、ハッと気づいた瞬間だった。
■部長に直談判
「当時、社内ではちょうど大手アパレルグループへの出資案件が進んでいました。これにぜひ関与したいと思い、研修から戻ってすぐ部長に『やらせてください』と直談判したんです」
ここで失敗しても、それを学びとして次に生かせばいいんだ──。そう自分に言い聞かせて、勇気を振り絞っての行動だった。
この勇気ある行動が、のちのキャリアを大きく転換させることになる。
■三井物産からただ一人、出向先で奮闘
2018年、このアパレルグループへの出資参画が決まると、河野さんは事業成長と海外展開という二つのミッションを背負って、出向する。本社と店舗合わせて400人以上が働くアパレル企業内で、三井物産社員は自分ただ一人。前例もなくロールモデルもいない中、奮闘する日々が始まった。
「最初は全然うまくいきませんでした。現場の皆さんに寄り添いたい、仲間に入れてもらいたいという思いで色々な取り組みを提案したんですが、空回りしてしまって。でも、それが逆に奮起する力になりました」
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出向先に三井物産の人間はただ一人。空回りすることもあった - 撮影=プレジデントオンライン編集部
最初に提案したのは、当時そのブランドにはなかったECサイトの立ち上げだった。ここに成長の余地ありと見た河野さんは、出向先の経営陣にECサイトの必要性を何度も訴えた。だが、そのブランドの服は高価格帯で、対面販売だからこそ思いが伝わって売れるのだという考えから「ECには向かない」「今まで通り店頭で商品を届けたい」などの意見が上がってきてしまった。
■自分でつくるしかない
認めてもらうには、口で言うだけではなく実際にECサイトをつくって数字で示すしかない。そう考えたが、多額の初期投資はできない。
そこで「だったら自分でできる範囲のことをやるしかない」と決意し、社内のシステム担当者と2人だけでECプロジェクトを開始。この小さな挑戦には、お金をかけずに試せるということで経営陣からもゴーサインが出た。そのうちに有志メンバーも集まり、半年後、ついにECサイトをオープンさせる。
「翌日、最初の注文が入ったんです。皆で大喜びしたんですが、結局キャンセルされちゃって……」
その後も売り上げは安定せず、ハラハラする日々が続く。さらに、店舗スタッフからは「顧客がECに流れてしまうのでは」という不安の声が続出。河野さんは店舗を回って対話を重ね、EC上でコーディネートを紹介し購買につながった販売員にはインセンティブを付与するなどの仕組みを導入した。
さまざまな取り組みを粘り強く続けるうち、やがてコロナ禍が到来。同時に注文数が増え始め、売り上げも徐々に安定していく。それに連れて社内からの理解も得られ、結果的にこのブランドのEC事業は億単位にまで成長した。
■何百万円も投資した広告が大失敗
もうひとつのミッションである海外展開も、簡単にはいかなかった。練りに練った海外事業方針をプレゼンしても、「今は日本での事業を伸ばしてほしい」「今は海外展開は必要ない」と反対意見が寄せられた。三井物産がミッションとして掲げた海外展開は、当時の出向先の考えと食い違ってしまっていたのだ。だが、そんな板挟みの状態に陥っても河野さんはめげず、逆に小中高とバスケ部で培った負けん気がむくむくと湧き起こった。
「絶対に結果を残したい」という一心でブランドごとのインバウンド比率を調べ、中国本土と香港に購入客が多いと知った河野さん。この結果をもとに、中国人インフルエンサーへのPR依頼や中国人バイヤーとの関係構築、越境ビジネス会社との提携など、思いつく限りのアイデアを次々と実行していく。
「でも、インフルエンサーを起用した広告が大失敗してしまったんです。何百万もの予算を使ったのに全然売り上げにつながらなかった。経営陣の方々からすれば『何やってくれてんの』って感じだったと思います」
■逆風の中、支えになった言葉
思うように結果が残せず思い悩む中、支えになったのは仕事で世話になったある社長の言葉だった。
「ひとつひとつのキャリアで何かひとつでいいから成し遂げよ」。その言葉で、すべてにおいて早く結果を出さなければと焦っていた自分に気づき、スッと気が楽になったという。
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定年まで出向先にいたいと思うほど仕事が面白かった - 撮影=プレジデントオンライン編集部
これを機に、河野さんは施策を大きく切り替える。不特定多数にPRするのではなく、ブランドを好きでいてくれるファンとそのコミュニティーを地道に増やしていくことにしたのだ。以降はかつて学んだ中国語を武器に、日本の店舗を訪れた海外ファンへのSNS投稿依頼、現地の卸売担当者との関係構築など、目の前の「人」を味方につける努力を積み重ねていく。そして、EC事業に続いて海外事業も億単位の事業に成長させた。
「私にとって事業会社や消費者ビジネスの魅力は、自分のアイデアを実現できて、失敗も成功も自分に返ってくるところ。それが本当に楽しくて、部長にも『定年まで事業会社に出向していたい』と伝えたぐらいです」
出向中、壁にぶつかったときでさえつらさより楽しさのほうがまさっていたそう。その生き生きとした表情に、劣等感のかたまりだったころの面影はみじんもない。そう伝えると、「図々しくなりましたから」とおおらかに笑った。
「100%の力で取り組んで、それで失敗したらもうしょうがないと思える図々しさが身についた気がします。ベストを尽くせば失敗しても絶対に何らかの学びがあるし、次に生かすための道筋も見えてくる。今はそう信じています」
■自己不信の4年があったからこその組織の率い方がある
現在は本社に呼び戻され、同じアパレルグループの主管業務や若手の育成を担う立場になった。それでも「今も出向は狙っていますよ」と、事業会社への思いは変わらない。
ただ、出向先にいるメンバーを含めて約20人を率いる立場となった今は、組織づくりの面白さにも目覚めた。目標はメンバー全員が夢中になり成長できる組織をつくることで、いちばん大事にしているのはコミュニケーションだ。部下が室長に対してどうしても話しかけづらいと思ってしまったり距離を感じてしまうことは自然。自身もそうした経験があるからこそ、いま目指す室長はこれとは違ったものだ。メンバーには「愚痴でも何でも言って」と声をかけ続けているという。話しかけやすく、心が揺らいだときも頼ってもらえる室長。それが、河野さんなりのリーダー像だ。
「以前の私は、何につけても『私の意見なんか』と遠慮してしまっていました。でも遠慮と謙虚は違いますし、組織は一人ひとりがこうしたいと発信してこそ動いていくもの。だから、チームの皆には意見や思いをどんどん発信し挑戦してほしいです。失敗を恐れて何もできない時間ってもったいないですから」
入社10年目にして自己不信に陥り、何年もかけてようやく殻を破ることができた河野さん。その経験や出向先での奮起が、今の強さをつくり上げたのだろうと思う。現在入社20年目。この先も、焦らず揺らがず、自分の道を一歩一歩進んでいく。
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辻村 洋子(つじむら・ようこ)
フリーランスライター
岡山大学法学部卒業。証券システム会社のプログラマーを経てライターにジョブチェンジ。複数の制作会社に計20年勤めたのちフリーランスに。各界のビジネスマンやビジネスウーマン、専門家のインタビュー記事を多数担当。趣味は音楽制作、レコード収集。
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(フリーランスライター 辻村 洋子)