だから「悠仁天皇」より「愛子天皇」が待望される…専門家が指摘する天皇の直系であること以外の理由
2025年4月25日(金)10時15分 プレジデント社
上皇ご夫妻への新年のあいさつのため、仙洞御所に入られる天皇、皇后両陛下の長女愛子さま〔=2025年1月1日午後、東京・元赤坂(代表撮影)〕 - 写真=共同通信社
※本稿は、島田裕巳『日本人にとって皇室とは何か』(プレジデント社)の一部を再編集したものです。
■悠仁親王しかいない実質的な皇位継承資格者
現状において皇位継承の資格を有するのは、皇嗣の秋篠宮、その息子である悠仁親王、そして、上皇の弟である常陸宮しかいない。常陸宮は2025年3月の段階で、すでに89歳と高齢であり、将来において天皇に即位する可能性は限りなくゼロに近い。
現在の天皇と秋篠宮は5歳しか離れておらず、現天皇が上皇のように高齢で譲位し、秋篠宮が次の天皇として即位しても、その在位期間はそれほど長くはないはずだ。その点では、悠仁親王しか、実質的な皇位継承資格者はいないことになる。
男性の皇族自体、皇位継承資格者の3人と現在の天皇と上皇を含め5人しかいなくなってしまった。昭和天皇には秩父宮、高松宮、三笠宮と三人の弟がいたが、秩父宮と高松宮には子どもが生まれなかった。三笠宮には、2人の内親王のほか、3人の親王が生まれたものの、その3人はすでに亡くなっている。うち2人の親王は結婚し、子どもをもうけたが、男子は生まれなかった。次に、新たに男性の皇族が誕生するとしたら、悠仁親王が結婚し、男子をもうけたときである。
■「万世一系」が招いた皇位継承の危機
果たして悠仁親王と結婚する女性は現れるのだろうか。それはかなりハードルが高いことなのではないか。民間から嫁いだ雅子皇后が、精神的に長く苦しんできたという事実もある。天皇になる皇族と結婚することには重大な決断を要するし、家族や親族は、それを簡単には許さないだろう。
しかも、「小室さん」をめぐる騒動があった。皇室とかかわれば、どれだけの誹謗中傷を受けるかわからない。そう簡単に、悠仁親王の結婚相手が現れるとも思えない。結婚がかなったとしても、そこに男子が生まれるという保証はまったくないのである。
皇位継承が危ぶまれる事態が訪れるのは、ある意味必然的なことである。というのも、近代の日本社会はその方向に動いてきたからである。最初は、岩倉具視が「万世一系」というとらえ方を打ち出したことに原因がある。
それをもとに、大日本帝国憲法と同時に1889(明治22)年に制定された旧皇室典範では、男子しか天皇になれないと定められた。それより前には、皇室典範にあたるようなものは長く存在しなかった。皇位継承を定める法的なものは、飛鳥時代以降存在しなかったのだ。
写真=共同通信社
上皇ご夫妻への新年のあいさつのため、仙洞御所に入られる天皇、皇后両陛下の長女愛子さま〔=2025年1月1日午後、東京・元赤坂(代表撮影)〕 - 写真=共同通信社
■戦後に廃止された「皇室の藩屏」
その上、旧皇室典範の第42条では、「皇族ハ養子ヲ為スコトヲ得ス」と養子が禁止された。現皇室典範では第9条である。皇室典範が制定されることで、それまでは存在していた女性天皇が封じられてしまったのだが、養子をとれなくなったことも大きい。
天皇家以外でも、家を継承することが重要なところはいくらでもある。かつては農家や商家において跡継ぎが重視されたが、血縁にそれが求められないときには養子をとることが一般的だった。
歌舞伎などの伝統芸能の家でも、養子が跡継ぎになるのは珍しいことではない。歌舞伎界の中心にあるのは市川團十郎家だが、現在の十三代目團十郎白猿(はくえん)の祖父にあたる十一代目は松本幸四郎家から養子に入った。養子をとらずに家を存続させることは至難の業なのである。
戦後になると、華族制度が廃止された。これは、憲法第14条が「社会的身分又は門地」による差別を禁じたからである。華族が「皇室の藩屏(はんぺい)」と呼ばれたのは、皇族に対する結婚相手の供給源になっていたからである。
■51人にものぼる戦後の皇籍離脱
しかも、代々の天皇には、皇后以外に側室がいた。皇室典範では、天皇が側室を持つことは禁じられなかった。実際、明治天皇には5人の側室がいた。大正天皇の生母となった柳原愛子(やなぎわらなるこ)氏も華族の娘で、側室の供給源も華族の子女だった。
明治天皇の側室で大正天皇の生母である柳原愛子氏(画像=https://ameblo.jp/dzf999tea-party/entry-12285270583.html/PD-Japan-oldphoto/Wikimedia Commons)
代々、側室から生まれた天皇は少なくないわけだが、戦後に改正された皇室典範では、天皇に即位する可能性のある親王は、第6条で「嫡出の皇子及び嫡男系嫡出の皇孫」と限定され、側室の生んだ子である庶子(しょし)が排除された。これによって、側室は明確に認められないことになった。
また戦後には11宮家が一挙に皇籍を離脱し、それも皇族を縮小させることにつながった。その際に皇籍離脱し、旧皇族と呼ばれるようになったのは51人にものぼった。
戦後には、戦地に赴いていた兵士たちが復員したということもあり、ベビーブームが訪れた。人口は増え続け、むしろ、それをいかに抑制するかが課題になった。その時代には、将来において深刻な少子化が起こるとは予想されていなかった。たとえ、それを予測した人物がいたとしても、皇族の減少が注目されることはなかったであろう。
■国会における皇室問題についての議論
しかし、社会全体を考えてみるならば、戦後において産業のあり方は大きく変わった。とくに1950年代半ばからの高度経済成長の時代には、農業を中心とした第一次産業から第二次の鉱工業、第三次のサービス業への大規模な転換が起こり、農家や商家といった家の重要性は著しく低下した。
多くの人間が、企業や役所、各種の団体に雇用されるようになり、家を継承していかなければならないという感覚自体が希薄になった。天皇家の存続が危うくなるのも、そうした社会の変化と深く関係する。
こうした状況のなか、国会では、皇室の問題について議論されてきた。そこでは、「女性宮家」の創設という形で皇族女子を結婚後も皇室に残す案や、旧皇族の男系男子を養子縁組で皇籍に復帰させる案が出されている。とくに立憲民主党は、女性宮家の創設について積極的な姿勢を見せている。そこには、民主党政権の時代に、現在の立憲民主党の代表である野田佳彦元首相のもとで、その議論がはじまったことが関係している。このことをめぐっては、国会で議論が続けられている。
国会での議論のなかでは、今のところ、女性天皇や女系天皇については問題にされていない。それに、たとえ「愛子天皇」が誕生したからといって、それがそのまま皇位の安定的な継承に結びつくわけではない。それでも小林よしのり氏や高森明勅(あきのり)氏が愛子天皇待望論を主張するのは、愛子内親王が悠仁親王のように天皇の傍系ではなく直系だからである。
■愛子内親王が持つ天性のカリスマ性
ただし先代の直系であることが、これまでの天皇の必須の条件になってきたわけではない。高齢で即位した光仁天皇もそうだが、傍系での即位はいくらでもあった。
島田裕巳『日本人にとって皇室とは何か』(プレジデント社)
それでも、愛子天皇待望論が主張され、女性天皇や女系天皇について国民の多くの支持があるのは、愛子内親王が独特の「カリスマ性」を持つからではないだろうか。
現代はボピュリズムの時代であり、天皇に対しても、国民をひきつけるだけの魅力が求められる。人をひきつける能力はカリスマ性と言えるし、スター性とも言うことができるが、それは天性のものである。
たんにその地位にあるからといって、カリスマ性が発揮されるわけではない。多くの国民は、悠仁親王からはカリスマ性を感じることがないのではないだろうか。それに対して、愛子内親王にはある。それこそが国民の一致した見方ではないだろうか。
なぜカリスマ性を備えているのか、その理由を明らかにすることは難しい。むしろそこには、愛子内親王が女性であることが深くかかわっているのではないか。その背後には、開かれた皇室のイメージを形成する上で決定的な役割を果たした美智子上皇后がいて、それを受け継いだ雅子皇后がいる。平成の時代にしても、令和の時代にしても、注目を多く浴びるのは男性である天皇ではなく、むしろ民間出身の二人の女性である。
愛子内親王がこの二人の血を受け継いでいることが、そのカリスマ性を高めることに貢献しているのは間違いない。
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島田 裕巳(しまだ・ひろみ)
宗教学者、作家
放送教育開発センター助教授、日本女子大学教授、東京大学先端科学技術研究センター特任研究員、同客員研究員を歴任。『葬式は、要らない』(幻冬舎新書)、『教養としての世界宗教史』(宝島社)、『宗教別おもてなしマニュアル』(中公新書ラクレ)、『新宗教 戦後政争史』(朝日新書)など著書多数。
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(宗教学者、作家 島田 裕巳)