「商人は水や」伊藤忠・岡藤正広会長が入社5年目に出合い、経営者となった今も信条としている「ある教訓」とは?
2025年5月13日(火)4時0分 JBpress
かつては“総合商社の万年4位”と言われた伊藤忠商事。21世紀に入ってからの成長ぶりは目覚ましく、2021年には純利益、株価、時価総額において業界トップに立った。大学生の就職希望ランキングでも、男女ともに圧倒的な人気を誇る。伊藤忠で何が起こり、経営や組織はどう変化したのか。本稿では『伊藤忠 商人の心得』(野地秩嘉著/新潮新書)から内容の一部を抜粋・再編集。岡藤正広会長、石井敬太社長をはじめとするキーパーソンの言葉を通して、近江商人をルーツに持つ同社に脈々と受け継がれている商人のマインドを明らかにしていく。
入社5年目で輸入アパレル製品の営業担当となった岡藤会長。客から説教されてばかりだったという当時、やり手の先輩営業がかけたある意外な言葉とは?
商人は水
入社5年目、彼はやっと営業に出た。最初は当時の課長が一緒だった。
岡藤は営業になった時、ひとつの「商人の言葉」を持っていた。贈ってくれたのは当時の本部長。後に伊藤忠の副会長になった商人としての先輩だ。
「商人は水や」
岡藤の脳裏にはそのひとことが焼き付いていた。彼の一生を決めた言葉であり、座右の銘とも言える。岡藤は説明する。
「水は方円の器に随うという言葉がある。水は器に随い、器が丸ければその形になり、器が四角であれば四角にもなる。商人も水のようにお客さんに合わせなくてはならない。そんな意味です。
商人はお客さんが欲しいものを見つけて持っていく。お客さんというのはマーケットの要望。僕はしきりにマーケットイン、マーケットに聞けと言っているが、それはこの時の言葉から来ている。
全部とは言いませんが、日本のメーカーの多くは技術力があっても商売にしていないところがある。考え方がプロダクトアウトなんです。自分が作ったものにお客さんは合わすべきだ、あるいは自分が作ったものを必要と思うお客さんだけが買えばいい、と。それでは長続きしないし、世界のマーケットに対応できない。
ある世界的な素材メーカーのCEOとは同年齢の友人だからよく一緒にゴルフしたり、食事したりするのですが、彼は『岡藤さん、プロダクトアウトだとどこにでも売りに行ける』と言うんです。技術力があれば勝ちだ、と。
しかし、世の中には技術革新、流行、進歩、そして消費者の嗜好の変化がある。ひとつ変わればすべてが変わってしまう。スマホがいい例です。アップルは2025年以降に発売するすべてのiPhoneに有機ELパネルを採用することにした。これまで日本の素材メーカーが供給してきたのは液晶パネル。有機ELでは韓国、中国の素材メーカーが先を行っているから、日本メーカーはiPhoneの供給網から姿を消す。プロダクトアウトの思考を続ければこうなっても仕方がない。
だから、マーケットインでなくてはならない。つねにお客さんを見て、自分の商品を決める。どこでも売れるとはどこへ持って行っても売れなくなるリスクがあるということでしょう。
僕は繊維の営業を始めて以来、課長、部長、部門長から社長、会長になってもいまだに『商人は水』と思っている。新入社員、うちの会社を志望する学生には『商人は水』を守っていれば商社マンとして大成する、と言っています」
客から説教されたら「しめた」と思え
営業マンとして最前線に出たばかりの岡藤が当時、課長から言われた言葉がある。
「営業に出たら、しばらくは言いたいことがあっても客には言うな。不満があったらノートに書いて俺に見せてくれ」
課長が同行営業してくれたのは短期間だった。だからといって、その後ひとりでラシャ屋へ営業に行ったのではない。まだ右も左もわからない岡藤に同行してくれたのは生地エージェントの営業マン、峠一(後に生地エージェント社長、故人)。峠は岡藤よりも3つ年上のやり手営業マンである。
岡藤は自分はまったく営業に向いていないと感じた。ふたりで営業に行くと、話をするのは峠で、岡藤はラシャ屋の社長から説教ばかりされていた。それは、彼が東大を卒業していたこともある。ラシャ屋の社長は東大卒という岡藤の学歴に対して、ひとこと言わずにはいられなかったのである。
「あんた、東大出てはるの? それはよかったな。だが、商売と勉強は違うで」
「岡藤くん、東大を出てるかも知らんが、商売は勉強通りにはいかんわ」
峠は和気あいあいと話して契約を取る。一方、岡藤は1時間も説教される。さすがに面白くなかったが、峠は言った。
「岡藤さん、お客さんから説教されたら『しめた』と思った方がいいわ。説教しているうちに、お客さんは何か不満を言うようになる。僕らはそれを解決すればいいんや」
岡藤はそんなもんかと思った。そして、考えた。
「これはやはり、人と違うことをせなあかん。自分が峠さんのような天才的な営業マンなら苦労せんでも売っていける。せやけど、僕は天才ではない。客から説教されっぱなしや。だが、峠さんの言うことも一理ある。お客さんに無視されるよりは説教される方がいい。少なくともお客さんと話をしているわけやから。それにお客さんは僕のことが憎くて説教しているわけではない。商売を教えてやろうと思っとるから説教するんや。それなら黙って聞いていた方がいい」
人間は説教した相手が憎いわけではない。気になる存在だから言わずにはいられないのである。そして、説教を続けているうちにだんだん親しみを感じるようになる。
一方、説教された方は慣れてくる。相手の関心がどこにあるかがわかってくる。岡藤は次第に叱られること、説教されることをありがたいと思うようになっていった。
営業の人間に必要な資質は相手を説得したり、論破することではない。知識を披露することでもない。それよりも、相手に関心を持ってもらえる存在になること、説教されるようなキャラクターに自分を仕立てることだ。会長になった岡藤はこう考えている。
「稼ぐには、まずお客さんに儲けてもらうことしかない。自分が儲けるためにはパートナーであるお客さんが儲かる仕組みを考えないといけない。これは大事な点で、普通なら自分を起点にして儲けの仕組みを考えがちだが、それではうまくいかない。
商社だったら、メーカーや小売店さんの間に立って、モノや情報を仲介するから、商売を長期にわたって続けようと思ったら、お客さんが儲かる仕組みをひねり出さないといけない。最初は説教されることから始まって、商売をしてお客さんに笑顔になってもらう。そうでないと商売は長くは続けられない。
時々、若い営業社員から質問があるわけです。『どうやったら儲かるか?』と。それは僕に聞くのでなく、お客さんに聞くべき。お客さんの所へ行って話を聞いて、そこから彼らが儲かる話を創意工夫する。商売には自分の意見は差し挟まないで、お客さんがいいというものにこだわるべき。
では、お客さんが欲しいものをどうやって探せばいいのか。それは現場へ行くこと。お客さんに聞くこと。データを分析するより、ひとりでも多くのお客さんに直接、会って話を聞くことしかないんですわ」
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筆者:野地 秩嘉