開業医は儲かる?資金繰り、スタッフの雇用、大学病院の医師との違いは…。ヤンデル先生が読む『開業医の正体』

2024年2月26日(月)6時30分 婦人公論.jp


「一貫して感じ取れるのは、いまだ定まらない未来に向けて、そのつど誠実に奮闘する松永先生たちの姿だ」(写真提供:Photo AC)

厚生労働省が発表した令和3年度の医療施設調査によると、全国の医療施設は 180,396 施設で、前年に比べ 1,672 施設増加しているとのこと。20床以上の病床を有する「病院」は33 施設減少している一方で、19床以下の病床を有する「一般診療所」は 1,680 施設の増加となりました。「一般診療所」が増える中、小児科医として開業した松永正訓先生が、その実態を赤裸々に明かした『開業医の正体』が発売中です。同書を手に取った、”病理医ヤンデル”こと市原真先生いわく「成功だけを選び取った回想録ではない」とのことで——。

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どんな本だと思う?


松永正訓先生はいい。おすすめだ。医師、小児外科医、開業医である松永先生は多数の書籍を上梓しており、プロフィールに作家と付け加えても違和感がない(御本人はどうもそういう名のりはされていないようであるが)。題材、思索、筆力・構成力などどれも美しく、気配りが行き届いており、医療従事者としての視座を十二分に活かしてさまざまな題材に透徹した視線を投げ込んでおられる。そして何より「へんにニヤニヤしていない」のがいい。安心して家族や知人にすすめられる作家である。

その彼が今回、『開業医の正体』。

未読の人は想像してほしい。どんな本だと思う?

私は……正直に申し上げると、最初はちょっとだけ「情報商材みたいなタイトルの本だな」と感じた。今にして思うと巷間にあふれる「※※の正体」と題された雑文のレベルの低さに引っ張られていた。カストリ週刊誌やらネットのコタツ記事やらが、人目を引くために正体とか裏側とか本音とかいうタイトルを乱発するせいで、本来の「正体」の語義を見失ってしまっていた。

松永クリニック号航海日誌


そもそも「正体」というのは、ページを開いたらわかりやすい言葉で「善」とか「悪」とか書いてあるようなものではないだろう。二言とか三言とかですぐに腑に落ちるようなものであるわけもない。要約してSNSで語れるほどシンプルなものでもない。もっと言えば、「正体」を照らすのはたった一筋の光などではありえない。

「正体」というのは、灯台がくるくると光を四方に放つように、たくさんの事物・事象・情動・情念の中に立った人間が間断なく目配せを続けることで、はじめて総体として見えてくる、複合情報だ。その「正体」を冠した本を、あの松永先生が書いたというのだからこれは見逃せないのである。

本書にはいったい何が書かれているか。開業時の資金繰り、スタッフを雇い始めるときのこと、大学病院の医者と市中病院の医者と開業医の違い。簡単に抜き出すとこういうことだ。しかし簡単に抜き出してしまうと本書のニュアンスは伝わらない。なぜなら松永先生は、ひとつひとつの出来事や要素をブログ的に置くのではなく、これらを有機的に繋げるからだ。豊富なエピソードが断片化されることなく、医師・松永正訓のあゆみとして連綿と書かれることで、あたかも精緻な点描の末に立体が浮き上がるかのように、複合情報としての「開業医の正体」が見えてくる。一部だけ抜き出すなんてもったいない。

本書から一貫して感じ取れるのは、いまだ定まらない未来に向けて、そのつど誠実に奮闘する松永先生たちの姿だ。昨今は、成功者が生存バイアスの終着点から過去を都合よく振り返ってメソッドを切り売りするような書き物があちこちにあふれているが、そういうのとは一線を画する。成功だけを選び取った回想録ではない。本書は期待と不安を進行形で書き取った航海日誌なのである。

「正体」を冠するにふさわしい


開業時の資金繰りに悩む松永先生のもとに、どういう人たちが寄ってきて、誰は信用できそうで、誰が疑わしいのか。クリニックを事前予約制にするか、それとも訪れた人を順番に見ていく方式にするか、どちらがこのクリニックの意図と地域の人びとの思いにより親切なのか。どう考える? どう選ぶ? クリニックの開業に際してスタッフを募集していたある日、松永先生のもとをおとずれた母子が部屋を去った後に、松永先生が奥さん(元・凄腕の手術室看護師)をちらと見て、「追いかけようか?」というシーンはとても印象的である。正解があるわけではおそらくなかった。そして私は、これらのエピソードのつながりから見えてくるものこそが、松永先生によいものを“書かせて”いるものの正体なのではないかとすら思う。

さここまで、本書は「情報商材系」ではないということを強調してきた。しかしじつを言うとこの本は非常に役に立つ(笑)(論点がボケるので、書こうかどうか迷ったが、書かないのもアンフェアだろう)。医療の現場で医師が内心こんなことを考えて、こういう損得のことも勘定に入れて、あるいはある種の損得については度外視することもあるのだなと知っておくことは、患者にとってすごく便利な話ではないかと感じる。その意味では、『開業医の正体』という本に商材としての何かを期待した人のニーズも結果的に満たしてくれるのである。

そういう人が読み終わったときに心の中に灯った火はきっと、複雑で、ふくよかで、時間とともにゆらゆら移り変わって、いつまでも見ていたい、時間的・空間的に厚みのある炎であることだろう。「正体」を冠する本はこうでなければならない。航海日誌とは次の船出のための灯台でもあるのだ。

婦人公論.jp

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