「それはやっぱり、まずは聖が…」元メンバー田口淳之介がKAT-TUN再結成を聞かれて答えた“意外な一言”とは《結成25周年での解散》

2025年5月1日(木)18時0分 文春オンライン

「お店の営業が終わってスマホを見たら、友達から連絡がたくさん来ていて、それで解散を知りました。びっくりはしましたけど、事前に週刊誌の報道がありましたし、僕のTikTokライブにもファンの方々が不安げなコメントを残していたので『本当だったんだな』と……」



KAT-TUN田口淳之介 ©山元茂樹/文藝春秋 (2024年4月撮影)


 こう語るのは、KAT-TUNの元メンバー・田口淳之介(39)。2月12日、STARTO ENTERTAINMENTは KAT-TUNの亀梨和也(38)が3月31日をもって退所し、同日でKAT-TUNが解散することを発表した。残るメンバーの上田竜也(41)、中丸雄一(41)は事務所に残り、個人で活動を続けていくという。


 2006年に『Real Face』でデビューし、東京ドーム連続公演8日間などの記録を打ち立てたKAT-TUNだが、2010年に赤西仁(40)、2013年に田中聖(39)、2016年に田口がグループを脱退している。現在はアーティスト活動やプロデュース業を行う田口が『週刊文春』の取材に応じ、20周年を前に終止符を打つことになったKAT-TUNへの思い、そしてデビュー前夜の思い出や脱退時の秘話を50分にわたり明かした。


◆ ◆ ◆


2001年に結成された6人組グループ


——KAT-TUNの解散をどう受け止めていますか。


 結成から25年。四半世紀を走り抜けたみんなだけど、時代が変わって視野も広がって、いろんな選択肢が生まれた上での結果なのかな。今回、解散の報道を受けて、たくさんのファンの方からメッセージをもらいました。今も6人時代のKAT-TUNを青春の1ページとして大切に思ってくれている方がいることを嬉しく思いますし、それだけKAT-TUNが残してきたものは大きかったんだと実感しています。


——KAT-TUNはジャニーズアイドルとしては異色の「オラオラ系」を前面に出したグループとして2001年に結成されました。


 聖の「声出さなきゃ命はねえからな!」なんて煽り文句なんか、ジャニーズが言っていいの? って感じじゃないですか(笑)。ジャニーズのアイドルグループはジャニー(喜多川)さんに「じゃあyouとyouとyou」みたいな感じで集められるものなので、どこか互いにライバル意識は残っているし、バンドみたいに「よっしゃ」ってスクラム組んでやるわけじゃないんです。


 でもKAT-TUNの場合はデビューまで約5年の活動期間があったので、その間にキャラクターやコンセプトを完成させることができた。デビュー前は一緒に遊ぶことも多くて、僕の高校の文化祭にKAT-TUNのメンバーが来てくれたこともありました。前日に家に泊まって、そのままみんなで学校に行って。俺がダンスパフォーマンスを披露したり、喫茶店をやったりしているところに遊びに来てくれましたね。KAT-TUNが文化祭に来るなんて、アツくないですか?(笑) あとは、揃ってとしまえんプールに行ったこともあったっけ。デビューしてからは、みんなそれぞれの仕事が忙しくなってタイミングが合わなくなっちゃったけど。


田口淳之介が今だから語る、メンバーのこと


——デビュー当時は6人。“個性豊かな”メンバーが揃っていました。


 自分たちは意識していなかったけど、今思えばそうですね。KAT-TUNには明確なリーダーがいませんでしたが、実質的な旗振り役は亀(亀梨)でした。亀とは同い年なのでデビュー前からよく遊んでいたけど、「頭がいい人」という印象。ステージ構成なんかも亀が中心になって考えていた。メンバーが「これやったらいいんじゃない?」「あれやったらいいんじゃない?」「こういうタイトルどうかな」ってアイデアを出すと、その上で「今のKAT-TUNならこうするべきじゃないか」と、亀は誰よりもKAT-TUNブランドを高めようと努力していた。リーダーシップがあって、後輩からも慕われていました。


 上田は誰よりも純粋で、自分の信念に従うタイプ。中丸くんは平和主義者で、何か問題が持ち上がっても、ちゃんと落としどころをつけて丸く収めてくれる。聖の醸し出すやんちゃな雰囲気とラップはKAT-TUNのカラーに絶対に必要な存在でした。赤西くんは圧倒的に歌がうまくて、もうアーティストですよね。誰かに理解されようとかじゃなく、自分の世界観に生きているというか。


——その赤西さんはデビュー7カ月後に海外留学へ。一度はグループに戻るも、2010年に脱退しました。


 デビューして3枚目のシングルがもう5人ですからね(笑)。留学を聞かされた時は、「えー!」って思ったけど、彼がアイドルという枠に収まらないアーティストだということは、一緒にやってきた僕らが一番よくわかっている。誰にも止められないですよ。


——その後2013年に田中さんが契約解除となり脱退。次々とメンバーが減り、当時はどんな雰囲気だったんですか?


 聖の場合は事務所からの契約解除だったので、僕ら自身も彼を守りきれないところがあった。その決定は受け入れるしかないから、「じゃあこれからは4人で頑張っていこう」って話し合っていました。当時は『KAT-TUNの世界一ダメな夜!』(TBS系)っていうグループの冠番組をやっている最中だったので、「人数が減った」とか一生懸命ネタにして、とにかく前を向いていましたね。


脱退に至った背景は…


——しかし田口さんも2016年に脱退。理由はなんだったのでしょう。


 デビューして10周年で、自分も30歳を迎えるというタイミングでした。KAT-TUNといえば「ロック」というイメージが強くて、そのスタイルでずっとやってきましたが、僕はどちらかといえばもっとダンスがしたかった。その方向性の違いや、将来を考えた時に30歳になるこのタイミングで独り立ちして、自分のアーティストとしての道を模索していきたいと思ったんです。


——周囲からは引き止められませんでしたか?


 もちろんありましたけど、もう自分の中では気持ちが固まっていたので。僕は2015年11月の『日テレ系音楽の祭典 ベストアーティスト2015』という番組で脱退を発表したのですが、収録の前日に急に「明日発表してください」って事務所から言われたので、「え⁉」って驚きましたね。あの場所で自分の言葉で宣言するのは、かなり勇気がいることでした。その時点では、もうメンバー間の話し合いは終わっていましたね。


「亀が自分らしく生きるタイミングが来たんじゃないか」


——どのような話し合いがあったのでしょう。


 やっぱり聖がいなくなって、「これから団結していこう」っていう時期だったので、上田は、「そういう気持ちでやってたのか?」と。上田とはプライベートでも仲良くしていただけに、そういう疑問を抱かせてしまった部分はあると思います。


 中丸くんは、「今までやってきた環境を手放すのはもったいないんじゃないか?」「10周年っていうのを目前にして、ファンに対しても悪いんじゃないの?」と諭すように言ってくれましたね。


——亀梨さんはなんと?


 亀はきっと、俺の気持ちを誰よりわかってくれていた。あんまり多くは語らず、淡々と受け入れている感じでした。でも実際、一番悔しかったのは彼なんじゃないかと思います。紆余曲折のあったグループですが、誰よりもKAT-TUNを大事にしていたのは亀なので。特に2トップの一人である赤西が抜けてからは、責任感もプレッシャーも一層重くのしかかっていたと思います。どういう経緯で今回の解散が決まったか、俺は知る由もないんですが、亀が一つの荷物を下ろして自分らしく生きるタイミングが来たんじゃないかなと思います。


——田口さんは脱退後、2019年に大麻取締法違反容疑で逮捕されました。田中さんも覚せい剤取締法違反で逮捕され、現在は収監されています。


 僕の事件でKAT-TUNの名前が大きく出て、3人に迷惑をかけてしまったことは今も本当に申し訳なく思っています。


——脱退後は、メンバーと連絡することもなく?
 
 立つ鳥跡を濁さずで、連絡はしていません。俺自身、自分のことで精一杯で、KAT-TUNの活動を細かく追っていたわけではないのですが、少なくとも残った3人が四半世紀一緒にやってきたってことは、絆の深さを物語るものじゃないかと思います。


KAT-TUNは運命共同体だった


——改めて、田口さんにとって、KAT-TUNはどういう存在ですか。


 僕にとってKAT-TUNは夢を叶えてくれた同志であり、運命共同体でした。東京ドーム8日連続公演の時は、リハーサルで怪我もしたけれど、メンバーで団結してフォローし合って、後にも先にもない記録を作ることができた。そういうグループのメンバーの一人でいれたことを誇りに思うし、KAT-TUN時代のことは忘れられない大切な思い出としてこれからも残っていく。グループはなくなってしまうけれど、思い出が消えてしまうわけじゃない。殿堂入りしてメモリーに刻まれるという感じでしょうか。


 ずっと応援してくれていたファンにとっては家がなくなるようなものかもしれませんが、一人一人の活動は続いていくし、KAT-TUN時代の思い出を持ちつつ、それぞれのメンバーを応援してくれたら嬉しいですね。解散まであと1カ月ちょっと。俺もそうでしたが、この期間はいろいろとナイーブになると思います。でもこの間に、メンバーもファンも覚悟が決まっていくんだと思います。


——もう一度6人のKAT-TUNを見たいという声も大きい。


 それはやっぱり、まずは聖が出てきてからだね(笑)。まあでも全部、運命次第なんじゃないでしょうか。メンバーと連絡を取っているわけでもないし、スマホに残ってる連絡先が今も使われているのかどうかもわからないけれど、何かのきっかけで、そういうことがないとも言い切れないし、そういうことを俺は嫌だとは思ってない。今後どこかのタイミングでKAT-TUNの6人が再集結して、「俺たちも大人になったな」って言い合えたら面白いじゃないですか。


——「いろいろあったけれど」と……。


 それは最後までKAT-TUNだった亀、上田、中丸くんの3人が言うべき言葉ですよね。俺が言えるセリフではないですが、もしタイミングがあって必要とされるんだったら、絶対に駆けつけます。


——亀梨さん、中丸さん、上田さんに何を伝えたいですか。


 本当におつかれさま。そして、これからも楽しい人生を送りましょう、そう言いたいです。



田口淳之介●たぐちじゅんのすけ
1985年11月29日生まれ。2006年、KAT-TUNのメンバーとしてデビュー。16年に脱退後にソロ活動を開始。現在はアーティスト活動の傍ら、プロ雀士やメンズショークラブ 「A-MEN'S TOKYO」 のディレクターなど、多方面で活躍している。



(「週刊文春」編集部/週刊文春)

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