なぜ遠藤保仁はPKの直前に「6.4秒」も立っていた? 北欧の“PK研究者”が興奮して質問すると本人は…

2025年5月17日(土)7時0分 文春オンライン

〈 「PKはどこを狙って蹴ると1番決まる?」主要大会PK全1711本を分析した北欧の“PK研究者”が出した結論とは 〉から続く


 スタジアムの誰しもが固唾を飲んで見守り、そのひと蹴りで勝敗を決する——。サッカーのPKは極度のプレッシャーがかかる場面で行われるものです。


 ノルウェースポーツ科学学校のゲイル・ヨルデット博士は長年、PKという局面が選手の心理に及ぼす影響に注目し研究を続けてきました。ここではその内容をまとめた『 なぜ超一流選手がPKを外すのか 』から一部を抜粋します。(全3回の3回目/ もっと読む )


 ◆ ◆ ◆


遠藤保仁はただボールを見つめていた


 遠藤保仁は日本サッカー界のレジェンドだ。日本代表として150試合以上に出場し、歴代最多の出場回数を誇る。プロのサッカー選手としてプレーした試合は1100試合以上にのぼり、2024年に43歳で引退した。



遠藤保仁 ©JMPA


 2010年のワールドカップ南アフリカ大会で大役を務めた時には、PKの歴史に足跡を残した。ラウンド16で、日本がパラグアイと対戦した時のことだ。目立った動きもなくスコアレスのまま120分が経過し、試合はPK戦に持ち込まれた。今大会のトーナメント戦で初のPK戦だ。遠藤は日本チームの1番手キッカーだった。ペナルティスポットに着くと、彼は付近の芝生を数秒ほど足で踏み固めた。意図的な行動だったが、穏やかだった。それからボールを置いてGKにちらりと目をやると、(GKに顔を向けながら)後ろに下がった。助走を開始する場所まで下がると、彼はじっとボールを見つめた。静かにじっと立って、ただボールを見つめていたのだ。


瞑想のような「6・4秒」の衝撃


 主審がホイッスルを鳴らした。遠藤は相変わらずじっと立ったまま、食い入るようにボールに見入っている。まだ立っている。テレビカメラがその表情をアップで捉えた。表情はまったく動かない。まるで瞑想しているかのようだ。彼はその状態のまま、何と6・4秒間も立っていた。世界中の人々の目が見守るなかでだ。突然、遠藤はその状態から抜け出した。GKをちらりと見たのだ。短い助走。たったの2歩。右側のコーナーにボールを蹴った。ゴール。


 ほとんどの人の目には、このPKはうまく芯に当てたごく普通のキックに見えたかもしれない。だが、PKに専門的な関心を抱くわたしにとってはとてつもない瞬間だった。サッカーの主要な大会のトーナメント戦でおこなわれたPK戦のなかで、主審のホイッスルが鳴ったあとあれほど長く身動き一つせずに立ち尽くした選手はかつていなかったのだから。


 わたしは思わず通りに飛び出して、そのことを誰かに言いたくなった。だが、もちろん、PK戦を最後まで見届けなければならない。


遠藤が明かした「6・4秒」の理由


 遠藤と会った時に、あんなに長い間を取った理由を尋ねた。彼はまず、GKに予測されないようにしたかったのだと語った。「主審のホイッスルのあとすぐにキックしたら、キーパーがタイミングを合わせやすくなりますからね。だからぼくは時間をかけてキックすることにしたんです。……あれ以前にもPKの前に6秒以上待ったことがあるんじゃないかな。ホイッスルのあと1、2秒でキックすることはめったにないから、自分にとって適切なタイミングは6〜10秒ぐらいだと思う。いつもそんな感じです」


 では、待っている間は何を考えているのか? 「瞑想って、特に何も考えずにじっとしていることですよね—うーん、まぁ、だいたいそれに近いんじゃないかな。だからぼくは集中していたし、もちろん、シュートをうまく決めるだろうと自信を持って立ってました。もっとも重要なことは2つですね。自信を持って蹴ることと、キックを成功させるために全力を尽くすこと。PKの前はこの2つを考えていて、他のことは何も考えませんでした。落ちついていて冷静でした」


 それだけだ。遠藤は本質的なことだけに注意を向けた。落ちつき、自信、そしてキックを成功させるために集中すること。


PKに長い間を取った選手トップ5


 ホイッスル後の間にはそれぞれのペースがあり、どれだけ間を取るかは選手次第となる。歴史を振り返ると、前章で紹介したように、PKキッカーは本能的にホイッスルが鳴って1秒と待たずにボールに向かって走り出す場合が多い。慌ててすぐに助走を始める人は、そうでない人よりもPKを失敗するケースが多いようだ。他方で、考え過ぎてしまう人は、助走を始めるまでに余計な間を取りがちだ。時間を取り過ぎるのも良くないように思える。


 主要な大会のPK戦の歴史のなかで、もっとも長い間を取った選手を5人挙げよう。(1)マーカス・ラッシュフォード(イングランド)、(2)タメカ・ヤロップ(オーストラリア)、(3)ポール・ポグバ(フランス)、(4)遠藤保仁(日本)、(5)ミーガン・ラピノー(アメリカ)。


 トップ10人を男女別にリスト化したところ、選手たちが最長の間を取ったPKはごく最近のものが多いことがわかる。


 選手たちには、主審のホイッスルが鳴った瞬間につい走り出してしまう傾向があることを考えると、彼らがPKを蹴る前に長い間を取る時には、意図的にそれをやっている可能性が高いだろう。そこには意図がある。単なる反応ではない。ホイッスルのあとに間を置くと、助走前に精神を落ちつかせて、自分自身や状況(GKを含む)をしっかりコントロールできるようになり、キックするまでの流れを計画して準備するのに効果的だ。一流選手たちがどうこれをやるか、いくつか例を紹介しよう。


「すごくみじめで。半年間PKは蹴らなかった」


 男子サッカーの主要な大会でおこなわれたPK戦の歴史のなかで、セルソ・ボルヘスは間の長さで歴代5位につけている。彼は、PKを蹴り始めたばかりの頃に苦い経験をした。20歳の時に、2008年の北京オリンピックの予選にU—23コスタリカ代表として出場したものの、PK戦の重要な場面でキックを決められなかったのだ。さらに悪いことに、対戦相手だったパナマ代表チームの監督は父親のアレシャンドレ・ギマラエスだった。ボルヘスはわたしにこんな話をしてくれた。「ぼくのキャリアのなかの決定的な瞬間の一つだね。ものすごいショックを受けた。すごくみじめで。その後半年間はPKを蹴らなかったけど、ある日父からこう言われたんだ。『いずれにせよ、いつかPKをやらなければならなくなるだろう。おまえの選手としての価値はPKで決まるわけじゃない。しょせん試合の一部に過ぎないんだから』。そうだな。わかったよ。誰だって失敗することはある。半年後にウルグアイとの親善試合でPKのキッカーを務めた時、逆足でキックしたらうまくいった。それ以降、PKの出番が増えていった」


「史上初のPK」を1番手で蹴ることに


 その後セルソ・ボルヘスはコスタリカ代表として160試合以上に出場し、同国の歴史のなかで最多出場選手になった。2014年のワールドカップで、コスタリカはグループステージを1位通過して、大衆を驚かせた。同じグループにはウルグアイとイタリアとイングランドが並んでおり、結局イタリアとイングランドが敗退した。続くラウンド16でギリシャと対戦したが、試合は延長戦の末に1─1で引き分けた。PK戦で決着だ。


 ボルヘスは当時のことを鮮明に憶えていた。「やれやれだよ。コスタリカがワールドカップでPK戦をやるのは史上初のことだった。で、1番手のぼくがその史上初のPKを蹴ることになった。だからすごく緊張した。すごくね。他に表現のしようがないぐらいに」


 だが、ボルヘスは緊張で圧倒されたりはしなかった。「これからやることにひたすら集中していた。周囲で何が起きようが気にならなかった。ゆっくりと時間をかけて、何をするべきか、ボールをどこへ蹴るか、といったことだけをひたすら考えていた」


 ボルヘスは得点に成功して、コスタリカはPK戦を制した。準々決勝でオランダと激突し、この試合もPK戦に突入することとなった。最終的にコスタリカにとって苦い結果に終わったが、それはともかくとして、今回もボルヘスは1番手キッカーに選ばれた。直接対決となる相手は、PK阻止の名手で容赦のないオランダの守護神ティム・クルルだ。「すべてをいつもと同じようにやった。ゆっくり準備して、ちょっと間を置いて。深呼吸を1回。あとはただ蹴るだけだった」。再びゴール。


長い間を取って「キーパーに不安を伝染させる」


 興味深いことに、ボルヘスはどちらのPKでも、ホイッスルが鳴ってからボールに向かって助走するまでにかなり長い間を取った(オランダ戦では5秒以上)。わたしがその理由を訊ねると、彼はこう答えた。「確かに時間をかけた。父のアドバイスだったんだ。前に一度こう言われたんだ。主審のホイッスルは助走を始めろという合図じゃない、ルーティンを始めろという合図だ。テニスとは違うんだぞ。テニスの場合は、確か25秒以内にサーブしないといけないんだったか? でも、サッカーでは好きなだけ間を取れるんだぞ、って」


 時間をかけることは、GKとの一対一の勝負で相手に影響を及ぼすチャンスだった。「父がいつも言ってるんだ、キーパーにも不安を伝染させろって。キーパーに『おいおい、こいつは一体何をしようとしてるんだ?』と言わせるぐらいに。相手がそんなことを考え始めたら、ぼくはPKを始める。相手の集中力がちょっと切れたところで、深呼吸して走り出す。時間をかけるのはそのためだね。急いでやることではないから」


(ゲイル・ヨルデッド/Number Books)

文春オンライン

「研究」をもっと詳しく

「研究」のニュース

「研究」のニュース

トピックス

x
BIGLOBE
トップへ