45歳で脚本家と離婚、大学にも通い…「俳優は向いてない」「仕事はバリバリしません」小林聡美60歳の“自然体&スローライフ”な生き方
2025年5月24日(土)7時0分 文春オンライン
〈 男子中学生と入れかわった少女を熱演→オファーが殺到したが…当時16歳の小林聡美が「1年間テレビに出なかった」深いワケ 〉から続く
きょう5月24日に60歳の誕生日を迎えた俳優の小林聡美。オーディションをきっかけに中学2年生でドラマデビューすると、出演したドラマや映画の多くが熱い支持を集めてきた。エッセイストとしても活躍し、その人柄も“自然体”と評される彼女の人生観とは?(全2回の2回目/ 最初 から読む)

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なぜ「自然体」と評されるのか?
小林聡美の演技や演じる役について「自然体」との評がつきまとうようになったのも、 #1 でとりあげたドラマ『すいか』(2003年)あたりからだろう。ただ、本人はこうした世間でのイメージにあまりピンと来ないようだ。ある記事では、演じる役に「世間の物差しにとらわれず、自然体で生きようとする人」が目立つことを指摘され、次のように返している。
〈《ご縁があって、確かにそういう役をいただくことは多いですが、人は、どんなに生きても完成がないわけで……。ずっと“自分らしいって何かな?”と、模索し続けているわけじゃないですか。“自然体”が具体的にどういうことを指すのかは私にはよくわかりませんが、常に、何かを模索し試しながら生きていく。それはある意味、人間らしいのかなとは思いますね》(『週刊朝日』2021年1月1・8日号)〉
役ばかりでなく演技によっても小林は、誰にも代えがたい唯一無二の魅力を放っている。俳優のなかにも彼女と仕事をしたがる人は多い。その根源は一体どこにあるのか? これについては、小林の演技を一ファンとしてずっと見ていたいと思うと、かねがね語っていたもたいまさこにもずっと謎だったという。だが、映画『かもめ食堂』(2006年)で改めて共演してみてようやく答えを見出し、本人との対談で以下のように熱っぽく語っている。
「こういうふうにプレーンでいられる人っていない」
〈《すっごいね、飛ばないよね。飛ばないのに、全然違う人になってる。(中略)役者ってさ、「この役」って入って、急になんか低い声で、こういう役だからみたいな。ガラッと変わるけど、小林さんは……。本当、人がね、この音で出るだろうなと思うのと、全然違う音で出るとか。それがでも、不自然じゃないの。普通だと、そうやって出ると、絶対に不自然になって。作ってるなって、決めてきたな、こいつって分かるんだけど、この人そうじゃない。こういうふうに、プレーンでいられる人っていない》(小林聡美『散歩』幻冬舎、2013年)〉
ようするに「普段の自分から地続きのまま別人になりきっている」「役をつくっているのに不自然じゃない」ということだろう。したがって、素のままで演じているというような意味での自然体とは全然違う。
ちなみに小林自身はデビュー以来、ことあるごとに自分に俳優は向いていないと口にしてきたが、もたいは《これが、「私、向いてるわ」と思ったら、どんだけの芝居するんだろうと思うけど(笑)》と訝しんでいる(前掲書)。
同級生・小泉今日子との“慎重な”関係性
もたいが小林と日頃から付き合いがあるだけに共演が恥ずかしかったというのと対照的なのが、小泉今日子だ。小林は小泉と年齢でいえば同級生にあたり、やはり19歳で初共演して以来、年齢を重ねるにつれてその機会が増えている。
30代で共演した『すいか』では、小林演じる基子の職場の同期にして親友で、3億円を横領して逃亡する役を小泉が演じた。50代後半に入ってからも、向田邦子作のドラマを舞台化した『阿修羅のごとく』(2022年)で、登場する4人姉妹のうち小泉が長女、小林が次女に扮していたのが記憶に残る。ただ、二人はプライベートではほとんど付き合いがないという。
小泉によれば、《出会ってから、ゆっくり慎重に関係を進めてきたという感じです。仲良くなって電話番号を教え合うみたいな瞬間は一度もないです。すごく慎重だったから、今ここに来て確固たるものになってきているという印象ですね》という。これは昨年(2024年)、NHK-BSのドラマ『団地のふたり』での共演にあたり、そろって取材に応えた際の発言だ。
これを受けて小林も《仕事場で接するうちに、小泉さんの生きざまみたいなものに触れてきたので、いい加減な気持ちで接することができないのです》と述べた(以上、引用は「TVガイドWeb」2024年9月5日配信)。
『団地のふたり』で二人が演じたのは、同じ団地で育った幼馴染みで、一旦はお互い団地を離れて暮らしながらも、それぞれ紆余曲折あって戻ってきた50代という役どころだった。劇中では、小泉が仕事帰りに小林の家に立ち寄っては一緒に食事をしたり、高齢化の進む団地の住人たちと交流したりするなかで、絶妙のコンビネーションを見せていた。それも、長年慎重に築き上げてきた関係性のなせるわざなのだろう。
小林は昨年、小泉の演出により人生初のコンサートも実現させている。チケットが即完売だったというそのコンサートで、彼女は昭和歌謡を中心に見事に歌い上げた。今年もコンサートを夏に開催予定だという。
45歳で離婚、大学にも通った
このほか、今年に入って新たにいくつかの媒体でエッセイの連載を始めるなど、俳優以外の仕事もあいかわらず精力的にこなしている。プライベートでは2011年に脚本家・三谷幸喜との16年の結婚生活にピリオドを打ったのと前後して、いままでやりたかったのに先延ばしにしてきたことに向き合おうという思いが強くなったという。そこでまずは45歳で大学の社会人入試を受けて合格し、日本文化について学んだ。在学中は、若い友達も何人かでき、連れ立ってオーストラリアへ卒業旅行にも行ったとか。
そもそも日本の文化に興味を持つようになったのは、柳家小三治(2021年死去)の落語を聴きに行ってその芸に魅せられたのがきっかけだった。小三治が永六輔や小沢昭一などといった面々と「東京やなぎ句会」という句会を半世紀以上続けていることを知ると、小林も俳句を始め、友人たちと句会を開くようにもなった。ついには本家のやなぎ句会にも、初の女性メンバーとして迎えられている。
仕事も遊びも詰め込みすぎないよう心がけている
大学に続く“先延ばし案件”は田舎暮らしであったが、移住先を検討するうちコロナ禍になってしまい、一旦保留する。代わって50代半ばにして始めたのが、やはり長らく先延ばしにしていたピアノを習うことだった。 #1 で挙げた昨年刊行の著書『茶柱の立つところ』(文藝春秋)でも、ピアノの練習に励む様子がユーモアも交えてつづられている。
こうして見ると、小林はいかにも多忙な日々を送っていそうだが、最近は仕事も遊びも予定を詰め込みすぎないよう心がけているという(『暮しの手帖』2024年6・7月号)。まるでこれまで作品のなかで演じてきたスローライフを、60歳を境に実践しつつあるようだ。
もっとも、彼女は若い頃から「あまり仕事はバリバリとしません」と語っていたことを思えば、一貫しているともいえる。いまは頃合いを見計らっているという田舎暮らしを含め“先延ばし案件”を片づけつつ実人生を充実させていくなかで、俳優・小林聡美が新たにどんな顔を見せてくれるか、楽しみだ。
(近藤 正高)