男子中学生と入れかわった少女を熱演→オファーが殺到したが…当時16歳の小林聡美が「1年間テレビに出なかった」深いワケ

2025年5月24日(土)7時0分 文春オンライン

 俳優の小林聡美は、エッセイを中心に、鼎談集やラジオ番組でのトークをまとめた本なども入れるとこれまで10冊を優に超える著書を上梓している。現時点で最新の著書は、昨年(2024年)春に刊行された『 茶柱の立つところ 』(文藝春秋)だ。


 この本に収録されたエッセイに「買い物」と題した1編がある。そこで主につづられるのは、2匹の家猫のためにオーダーメイドで木製のキャットタワーを買ったものの、猫たちが全然遊ばず、結局処分するにいたる(処分するまでがまた大変で、あれこれ試行錯誤した経緯が淡々と語られる)というエピソードなのだが、じつはこれはその5年前の著書『聡乃学習(サトスナワチワザヲナラウ)』(幻冬舎、2019年)にも出てくる話であった。



小林聡美(HPより)


芸歴は45年あまり…60歳の誕生日を迎えた


 とはいえ、まとめ方はまったく異なる。前著で小林は、「猫への愛の証はモノではなく、行動で」との教訓を得たというふうにまとめていたが、『茶柱の立つところ』では、キャットタワーだけでなく、バブル期に買った高級ブランドの服やバッグも引っくるめて、《どんなに気に入って、高いお金をだして買ったものでも、悲しいかないつかはゴミになる》と書く。それゆえに彼女は、品質の素晴らしいものについて使われる「一生もの」なる形容を信じないという。そして最後は次のように締めるのだった。



〈《つまるところ、一生ものとは、自分の体しかないのだ。いろいろなものに取り囲まれていても、結局最後まで一緒にいるのは自分自身。それに気づくと、美味しいものを食べて、ほどほどの刺激に感動して、静かに生きていければいい、猫がおなかを満たして心地よく眠って一生を終えるように、人間も、本当はそれでいいんじゃないの、と晩年が始まっている私は思う。バブル時代もそれなりに楽しかった。高級バッグは、資本至上主義戒めの象徴として、今しばらく手元に置いておくかな(本当はまだ捨てられない! 強欲)》〉



「晩年が始まっている私」という表現に、5年の歳月を感じさせる。この間、小林は50代も半ばから後半に入り、さらにコロナ禍もあっただけに、自身を顧みようという思いも募っていったのだろう。きょう5月24日、彼女はまた一つ年齢を重ね、60歳を迎えた。


「『女優になるのよ!』って意識はなかったんですよ」


 すでに芸歴は45年あまりを数える。東京の葛飾区出身の小林が初めて芸能事務所に入ったのは中学1年のときで、事務所が設けていた養成所的なところに1年ほど通ったという。もっとも、本人に言わせると、子供の頃からテレビドラマを見るのが好きで、芸能界に入ったのもその延長のような軽い気持ちだったらしい(『新潮45』2005年7月号)。


 のちに当時を振り返って《「女優になるのよ!」って意識はべつになかったんですよね。なのにオーディションなんか受けて、受かっちゃって、それでちょっとずつ仕事をして。次は、次はっていう間にここまできてしまった感じです》と語っている(『週刊朝日』2003年10月31日号)。


オーディションで掴んだデビュー作は『金八先生』


 仕事を続けてこられたのは、オーディションに合格して出演した作品がことごとく当たったからでもあるのだろう。何しろデビュー作からして、ドラマ『3年B組金八先生』の第1シリーズ(1979年)である。当時中学2年生だった小林は1学年上の役を演じたことになる。さすがにこのときは、クラスメイトの役にアイドルや子役出身者がひしめいていたこともあってか、彼女はさほど注目されなかった。


 それが高校に入りオーディションで主演の一人に抜擢された映画『転校生』(1982年)で一躍脚光を浴びることになる。よく知られるように同作は、男女の中学生の心と体が入れ替わってしまったことからの悲喜こもごもを描いたものだ。相手役の男子中学生を同い年の尾美としのりが演じた。


少年らしさをしぐさで表現


 監督の大林宣彦は、二人が入れ替わったあとどうなるか演技指導は一切しなかった。ただし一つだけ、小林の身長が尾美より電話帳3冊分低かったことから、彼女を電話帳3冊の上に立たせると、「これだけの目線の違いを演じなさい。君は昨日までこの高さから世界を見ていたのに、電話帳3冊分低くなったところから世界を見るようになったんだから、その戸惑いを演じなさい」とヒントを与えたという(大林宣彦『ぼくの映画人生』実業之日本社、2008年)。


 小林が演じたのは心が男子に入れ替わったという設定なので、家のベッドで横になっても、頭が電話帳3冊分の差で枕に届かず、がに股で這い上がるという具合に、しぐさによって少年を表現し、少女の姿とのギャップを際立たせた。


樹木希林からは「芸能界では生きにくいだろうな」と…


 同作で尾美の母親役だった樹木希林は、後年、小林との対談で当時の彼女について、《まだ多感な年頃なのに、撮影現場での度胸の良さはすごいなと思って見ていましたよ。でも同時にね、芸能界では生きていきにくいだろうな、とも感じていたの。それは今もそうですけれど》と明かしている。


 これに図星を突かれたのか当人が《えっ、どうしてわかりますか?》と訊くと、樹木は《何を聞かれても、小林さんはスコンと答えるでしょう。そこにはウソがない。だから、すごく気持ちがいいんだけれど、一方で、繊細すぎるほど繊細だなぁ、と感じるところもあるからね》と答えた(以上、引用は『婦人公論』2016年6月14日号)。


 大林監督も小林の心が繊細であることを見抜いていた。そのため、『転校生』が公開後、二枚目半的な役どころの彼女に人気が集まり、ドラマへの出演依頼が殺到したことに、このままでは器用貧乏でつぶされてしまうと懸念を抱く。そこで1年間だけテレビに出さないようにして、代わりに彼女にもう1本、映画を撮ってあげようと約束した。こうして制作されたのが『廃市』(1983年)である。小林はこの映画で『転校生』の役柄とはまったく違う、翳りの深い少女を演じた。


一生この仕事をやっていこうという気持ちは薄かった


 こうして俳優への道が開かれ、以後、作品ごとに楽しく一生懸命やるよう心掛けてはいたものの、一生この仕事をやっていこうという気持ちは20代に入っても薄かった。《あまり仕事はバリバリとしません。遊べるお金を稼いで、なくなったら働きます。淡々としたペースで知らないうちに九年がたちました》とは、25歳になっていた1990年、週刊誌の取材に応えての発言だ(『週刊朝日』1990年11月2日号)。


 同じ記事では、《いつまでたってもお節介で気ままな役が多いんです。ほかにやりようがないから、本当なのか嘘なのか分からない芝居をやってます》とも語り、「ずいぶん、冷めてますね」と聞き手を驚かせている。ちょうどこのころ、前々年の1988年に深夜枠でスタートした出演ドラマ『やっぱり猫が好き』が人気を集め、ゴールデンタイムへと昇格していた。それでも浮かれることなく、客観的に自分や芸能界を見つめることで、精神的にバランスを取っていたのかもしれない。


30歳で脚本家・三谷幸喜と結婚


『やっぱり猫が好き』で小林は、もたいまさこと室井滋を姉役に3人姉妹の末っ子を演じた。深夜番組だったので予算は限られ、NGが出ても撮り直しはせずそのまま、セリフが飛んだら、アドリブでどうにか乗り切るということもしばしばだったらしい。出演者からすれば大変だったが、そんな生っぽさが逆にウケたのだろう。


 このドラマには脚本家の一人として三谷幸喜が参加していた。同作が馴れ初めとなり、小林はのち1995年に30歳で三谷と結婚、約16年間ともに暮らした。結婚会見では取材陣から「仲よく腕を組んでください」と注文され、両人がそれぞれ腕組みしてカメラに収まっていたのを思い出す。


『やっぱり猫が好き』で共演したもたいまさことの関係は三谷以上に長い。出会ったのは小林が19歳、もたいが32歳のとき、バラエティ番組『OH!たけし』でだった。その後、もたいが小林の所属事務所に入ってきたこともあり、しだいに心を許し合える仲になっていった。


 ただ、『やっぱり猫が好き』以降、作品で共演することはあまりなかった。本人たちに言わせると、親戚と共演しているようで恥ずかしかったからだという。それが映画『かもめ食堂』(2006年)で久々に本格的に共演し、最初こそ恥ずかしかったが、互いにがっつり芝居することで払拭する。


主演ドラマ『すいか』に集まる熱烈な支持


 この間、小林は主演ドラマ『すいか』(2003年)あたりから新たな境地を拓きつつあった。『すいか』で彼女が演じたのは、早川基子という信用金庫に勤める独身社員だ。基子は34歳になるまでやるべきことを何もせず、そのまま来てしまったと焦りを感じていた。そんな時期、独身女性ばかりが住む古びたアパートを見つけ、やがて過保護な母と暮らしていた実家から移り住むことになる。


 それまで、しっかり者というイメージの役柄が多かった小林にとって、自分の殻に閉じこもりがちな基子はまったく演じたことのなかった役だった。それだけに《台本を読んでいるとイライラしてしまうことも(笑)。『なんで、おまえはここでそんなにうじうじしてるんじゃ!』って。だから、毎回応援する気持ちでしたよ。『おい、頑張れよ、基子』って》と語る(『別冊カドカワ 総力特集 大塚愛』カドカワムックno.278、2008年12月)。


 だが、『すいか』の劇中で、ゆったりと流れる時間のなか、基子と周囲の人たちが時に助け合いながら、それぞれ少しずつ成長していくさまは、視聴率こそ伸びなかったものの一部で熱烈な支持を集め、いまなお語り継がれている。同作は、その後の『かもめ食堂』や『めがね』(2007年)などといった、小林演じる主人公の周りにさまざまな個性の人物が集まり、ハートウォーミングな物語を繰り広げる一連の作品の原点とも位置づけられる。

〈 45歳で脚本家と離婚、大学にも通い…「俳優は向いてない」「仕事はバリバリしません」小林聡美60歳の“自然体&スローライフ”な生き方 〉へ続く


(近藤 正高)

文春オンライン

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