JSB1000ライダー近藤湧也、愛機ヤマハYZF-R1の咆哮とともに天国へ。26歳の早すぎる別れ
2019年4月9日(火)23時38分 AUTOSPORT web
3月13日に岡山国際サーキットでのテスト中に転倒し、26日に亡くなった近藤湧也(26歳)の葬儀が4月8日〜9日に千葉県船橋市の斎場で営まれた。
喪主である父・淳さんの希望で葬儀は“湧也最後のレースとして送りたい”という希望があり、「レース関係者はチームウエアで来て欲しい」と呼びかけており、近藤が所属するGBSレーシングYAMAHA、テストライダーを務めるYAMAHA FACTORY RACING TEAMのスタッフを始め多くのレース関係者がチームウエアで駆けつけた。
年齢が近く、近藤と仲がよかった伊藤勇樹、野左根航汰、濱原颯道、前田恵助など現役ライダーも弔問に訪れていた。通夜、告別式と2日間でレース関係者、友人など約700人が参列。通夜は、涙の雨となったが、告別式は晴れ渡った。
祭壇は、実際に近藤がライディングしていたヤマハYZF-R1のカウルを使いサーキットを走っているようなデザインとなっており、最後のレースに相応しい仕上がりとなっていた。
会場は、2019年シーズン、近藤がライディングするはずだったヤマハYZF-R1、レーシングスーツやヘルメット、グローブやブーツなどの葬具、幼少のころのものから、今年2月に行われたマレーシア・セパンでのヤマハファクトリーテストまで、多くの写真が飾られ、さながら近藤湧也館と言った雰囲気となっていた。
「GBSレーシングは、湧也のためのチーム。二人三脚でずっとやってきて、湧也がいたからチームが大きく成長できた。向こうで“何やっているんだ”って怒っているんだろうな。本当にごめんな」と近藤が所属するGBSレーシングYAMAHAの後藤高秀代表は涙を流しながら弔辞を読んだ。
そんな姿を見た淳さんは「湧也は後藤さんが整備してくれたマシンだから安心して走れると言っていました」と感謝の意を表していた。
出棺の際は、後藤代表が近藤のYZF-R1のアクセルを握り、その咆哮で近藤を見送った。