『モスラーMT900R(2001年)』性能調整に苦しんだ長寿車のはじまり【忘れがたき銘車たち】

2025年4月23日(水)17時30分 AUTOSPORT web


 モータースポーツの「歴史」に焦点を当てる老舗レース雑誌『Racing on』と、モータースポーツの「今」を切り取るオートスポーツwebがコラボしてお届けするweb版『Racing on』では、記憶に残る数々の名レーシングカー、ドライバーなどを紹介していきます。今回のテーマは2001年の全日本GT選手権GT300クラスを戦った『モスラーMT900R』です。



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 そのプロトタイプカー的なマシンな成り立ちと脅威的な速さでライバルを驚かせたヴィーマックが全日本GT選手権(JGTC)のGT300クラスにデビューする1年前、2001年のJGTC GT300クラスにヴィーマックのような準プロトタイプカー的見た目のマシンが登場した。そのマシンが今回紹介する『モスラーMT900R』である。


 MT900Rというクルマは、モリソン・モスラーというアメリカの会社が製作したスーパーカー『MT900』のレーシングバージョン。オリジナルのパイプフレームシャシーにLS6というC5型コルベットに搭載されていた5.7リッターV型8気筒エンジンをリヤミッドに搭載したオリジナルのレーシングカーだった。


 このMT900Rは、2001年のデイトナ24時間レースのGTSクラスで本格的なデビューを果たすと、いきなりクラスのポールポジションを獲得する。その活躍を見て、MT900Rに惚れ込んだレーシングチーム、チーム・スリランカの代表が、2001年のJGTCへの導入を決めたのだった。


 迎えた2001年のJGTC開幕戦TIサーキット英田ラウンド。ディランタ・マラガムワと浅見武にマシンが託されると予選で8番グリッドを獲得する。決勝は13位と入賞には至らなかったものの、まずまずの速さを見せたMT900Rの実力に期待が高まった。だがその後、性能調整のために搭載された100kgのウエイトや、リストリクターによる吸気制限で本来の性能が発揮できない状況が続いてしまう。


 それでも非選手権戦だった特別戦のマレーシア・セパンラウンドでは、MT900Rの開発ドライバーだったジョアン・バルボーザを迎えて予選でフロントロウを獲得し、決勝でも5位フィニッシュを果たすなど健闘を見せた。しかし、最終的に2001年は、第2戦富士スピードウェイラウンドでの1度のみの入賞に終わった。


 前述の性能調整などの影響で、2001年は上位入賞を果たせなかったMT900R。2002年以降には時折速さを見せ、結果的に2010年代に至るまで参戦を続けていき、GT300クラスに欠かせぬ長寿マシンになっていくのであった。



2001年の全日本GT選手権第2戦富士スピードウェイを戦ったMT900R。ディランタ・マラガムワと浅見武がドライブした。


2001年の全日本GT選手権最終戦MINEサーキットを戦ったK-STADIUM MT900R。玉中哲二と中島哲也がドライブした。

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