カージナルス・ヌートバー独占インタビュー 26年WBC出場を熱望「今季のモチベーションの一つに」
2025年4月30日(水)2時30分 スポーツニッポン
◇大リーグ新企画「MLB BUZZ」
カージナルスのラーズ・ヌートバー外野手(27)が本紙の独占インタビューに応え、来年3月のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)への日本代表での出場を熱望した。前回23年大会は初の日系人選手として出場し、3大会14年ぶりの世界一に貢献した。今季は1番打者としてナ・リーグ3位タイの23四球、同5位の出塁率・405と打線をけん引。侍ジャパン選出のため、キャリアハイの一年とすることを誓った。(聞き手・杉浦大介通信員)
——25年は素晴らしい滑り出しになった。
「キャンプで非常に状態が良く、貴重な時間になった。今年は大事なシーズンだ。23年はWBCがあり、24年は故障もあって、キャンプを完走できたのは初めてだった」
——2年前のWBCで活躍して以降は、左手親指痛、下腹部打撲、腰痛に肋骨骨折などケガに苦しんできた。
「悔しさは感じている。過去2年、複数のケガで力をフルに出せなかった。とにかく健康を保ち、力強い一年を過ごしたい」
——故障予防のため、何か違うことを?
「コーチやトレーナーと相談し、新たなメニューを組み立てた。具体的には2人の異なるトレーナーをつけ、ウエートトレを増やした。リカバリーも大事だから、お湯と冷水に交互に漬かる交代浴も取り入れた。避けられないケガは存在するが、できる限りの準備はしたつもりだ」
——WBCでの侍ジャパンと同様、今年は1番を打っている。
「1番でやれているが、希望があるわけではない。監督はベストな打順で起用してくれるだろうから、そこで力を発揮するだけ」
——チームとしてはプレーオフ進出だと思うが、個人の目標は?
「繰り返しになるが、とにかく健康を保つこと。フィールドに立ち続けさえすれば、力は出せると思うし、それだけの自信はある。今年はどうしても勝ちたいし、何とか地区優勝を達成したい」
——来年はまたWBCがある。出場を希望しているのか?
「もちろんぜひ出場したい。来年WBCがあることが、今季いいシーズンを過ごしたいというモチベーションの一つになっている。前回大会は私の野球人生で最高の経験だった。次もプレーできることを望んでいるよ」
——23年は優勝し、日本でも人気者になった。思い出は?
「チームの多くの人たちと、いい関係が築けたことが最も思い出深い。いろいろと食事に行き、一緒に旅をし、優勝した後はみんなで祝った。あんなに楽しかったことはこれまでなかった。またその機会を得たいと思う」
——井端監督の印象は?
「昨年、会って話した。対面したのはシカゴで、誠也、今永とも一緒だった。まだ彼の下でプレーしてないから細かくは言えないが、会えて交流できたのは素晴らしかった」
——大谷とまたチームメートになるのは楽しみ?
「もちろん楽しみ。そうなれば本当に最高だ。あのとてつもない打撃練習をしばらく見ていないから、楽しみにしておきたい」
——昨季、世間が「40—40」の可能性を話している時に、あなたはもう「翔平は50—50を達成するよ」と恐らく誰よりも早く予言していた。今年の大谷はどうなるか。
「サイ・ヤング賞と言いたかったところだけど、復帰時期を後ろにずらしているみたいだから難しそうだ(笑い)。ドジャースにとって翔平の打撃は非常に重要だから、投手の調整が影響しないように気を配っているのだろう。ともあれ、翔平が何を成し遂げても私はもう驚かない」
——母・久美子さんはお元気ですか?
「開幕週はセントルイスに来て、応援してくれた。変わらず元気だし、いつもサポートしてくれているよ」
◇ラーズ・ヌートバー 1997年9月8日生まれ、カリフォルニア州エルセグンド出身の27歳。南カリフォルニア大から18年ドラフト8巡目(全体243番目)指名でカージ ナルスに入団。21年6月にメジャーデビュー。母・久美子さんは埼玉県東松山市出身の日本人で、ミドルネームの「テイラー・タツジ」は祖父の榎田達治さんから。日本での愛称は「たっちゃん」。1メートル85、92キロ。右投げ左打ち。
≪インタビュー予定狂うも…義理堅い男≫ 【後記】当初は試合後にインタビューの予定が、チームの都合でクラブハウスのオープンが遅れたために実現しなかった。途方に暮れかけてテキストメッセージを送ると、すぐに「いつでも構わないよ」と返信をくれたのが義理堅いヌートバーらしい。「もうすぐ遠征地に着くから」「家に帰ったら話せる」と細かいアップデートまでくれ、最終的には電話インタビューでしっかりと時間を取ってくれた。
日本人らしさも数多く持つ。母の母国である日本代表への思いは本物だ。前回大会後、次回での再会を誓って大谷から腕時計を贈られ、「不出場なら返さなければいけない」というエピソードも有名になった。東京に腕時計を着けて降り立ち、再び侍ジャパンのユニホームに袖を通す姿を、今から楽しみにしておきたい。(杉浦大介通信員)