『スカイラインGT-R(BCNR33型/1997年編)』2年連続の逸冠を喫してしまった熟成版【忘れがたき銘車たち】

2024年5月1日(水)10時38分 AUTOSPORT web

 モータースポーツの「歴史」に焦点を当てる老舗レース雑誌『Racing on』と、モータースポーツの「今」を切り取るオートスポーツwebがコラボしてお届けするweb版『Racing on』では、記憶に残る数々の名レーシングカー、ドライバーなどを紹介していきます。今回のテーマは、1997年の全日本GT選手権 GT500クラスを戦ったBCNR33型『ニッサン・スカイラインGT-R』です。


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 1996年、全日本GT選手権(JGTC)のGT500クラスにおいて、1994年のシリーズ本格スタートから守り続けてきたチャンピオンをついに他車に奪われてしまったニッサン・スカイラインGT-R。


 その王座を再び取り戻すべく翌1997年、導入から3年目を迎えたBCNR33型のスカイラインGT-R(R33 GT-R)には、細部にわたるものではあるが改良が施された。


 1997年モデルのR33 GT-Rは、エンジンやシャシーなど基本的な部分は前年モデルを踏襲していたが、主に空力面に手が加えられた。2枚翼で3次元タイプのリヤウイングを新たに採用したほか(のちに異なる形状のものも使用されている)、サイドスカートを1枚板のタイプに変更。


 これによって、なるべくリヤへと空気を流す効果を狙っていた。またエンジンフードにもエアアウトレットが新たに設けられるなど、ドラッグを低減しつつダウンフォースを増やし、さらに熱対策にも気を配ったモディファイが行われた。


 空力面以外では、エンジンオイルのタンクをミッションケースのベルハウジング内に移し、フロントヘビーなR33 GT-Rの重量配分を少しでも改善する工夫も1997年モデルには見られた。


 このように細部に手が加えられた1997年モデルだが、この年、ニッサン/ニスモはR33 GT-Rによるル・マン24時間レースへの挑戦は終了していたものの、新たにル・マンに向けR390 GT1というオリジナルマシンを開発。


 この影響もあって、1997年モデルのデビューは仙台ハイランドで開催された第3戦へとずれ込んだ。


 そして、その初陣では鈴木亜久里とエリック・コマスのF1経験者コンビが駆るZEXELスカイラインが、予選2位、決勝2位とまずまずの成績を残したものの、その後は低迷。


 この年はライバルのトヨタ・スープラがシリーズ戦6戦5勝、さらにデビューしたばかりのホンダNSXも速さを見せていたこともあり、スポーツランドSUGOでの最終戦でZEXELスカイラインが再び3位表彰台に登壇したが、1997年モデルとしては未勝利のままに。


 結局、1997年のR33 GT-R勢は鈴鹿サーキットで行われた開幕戦でZEXELスカイラインが記録した前年モデルでの1勝のみに終わってしまった。


 2年連続でチャンピオンを逸してしまったR33 GT-R。この敗北も機に次年度に向けて、マシンに大改良を施すことになるのだった。

1997年の全日本GT選手権第3戦仙台ハイランドを戦ったカルソニック スカイライン。星野一義と本山哲がドライブした。
1997年の全日本GT選手権第5戦MINEサーキットを戦ったユニシアジェックススカイライン。長谷見昌弘、田中哲也がドライブした。
1997年の全日本GT選手権第6戦スポーツランドSUGOを影山正彦と近藤真彦のドライブで戦ったKURE R33。


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